第13話 山は、まだ眠っている

 アイリス山脈は、近くで見ると異様だった。


 本来なら連なっているはずの稜線りょうせんが、途中から不自然に断ち切られている。

 巨大な刃で、山そのものを叩き割ったかのような渓谷。


 それが、かつての戦いの痕だった。


「……何度見ても、信じられないわね」


 サーシャが呟く。


「一人の魔術師が、山脈を割ったなんて」


 フェルトは、渓谷の奥を見つめていた。


 幼い頃から、遠くに見えていた景色。

 だが、近づくのは初めてだ。


「近づくほど、魔力の流れが歪んでる」


 モモが、小さな魔力陣を展開しながら言う。


「第二階位じゃ……ないよ、これ」


「ええ」


 サーシャも、頷く。


「でも、第四階位と断定するには、散りすぎてる」


 まるで、

 砕けた魔力の残骸。


 三人は、慎重に渓谷へと足を踏み入れた。



 岩肌には、奇妙な痕が残っていた。


 溶けたような跡。

 削り取られたような線。


「……古すぎる」


 サーシャが触れようとして、手を止める。


「最近の魔物の仕業じゃない」


「でも、まだ“生きてる”」


 フェルトが言う。


 二人が、同時に彼を見る。


「……流れが、完全に死んでいない」


 説明は、それだけ。


 モモが、少しだけ顔を青くする。


「それって……」


「はい」


残滓ざんしです」


 かつて放たれた、

 あまりに巨大な魔術。


 その一部が、

 まだ、この土地に染み付いている。



 突然、空気が変わった。


 風が、止まる。


「止まって」


 サーシャが、即座に手を上げる。


 数歩先。

 岩陰に、何かが動いた。


 黒い影。

 だが、形が定まらない。


「魔物……?」


「違う」


 フェルトが、短く否定する。


 次の瞬間。


 影は、地面に溶けるように消えた。


 代わりに残ったのは、

 歪んだ魔力反応だけ。


「……逃げた?」


「観測、かも」


 サーシャの声が、低くなる。


「私たちを、見てた」


 モモは、喉を鳴らした。


「……やだなぁ」



 さらに進む。


 渓谷の奥ほど、

 魔力の密度が濃くなる。


 そして――


「……来る」


 フェルトが、足を止めた。


 次の瞬間、

 地面が、脈打つ。


 岩の隙間から、

 赤黒い魔力が噴き出した。


「第三階位……いえ、境界」


 サーシャが詠唱を始める。


「モモ、後ろ!」


「了解!」


 だが、フェルトは動かなかった。


 魔力が、彼の周囲で――静止する。


「……え?」


 サーシャの詠唱が、途切れる。


 噴き出したはずの魔力は、

 フェルトの前で形を失い、

 霧のように散っていった。


「干渉……した?」


 モモが、目を見開く。


 フェルトは、手を下ろす。


「……拒否しただけです」


「拒否?」


 サーシャは、言葉を失う。


 魔術を、打ち消したのではない。

 相殺でもない。


 成立させなかった。


「……これが、外で成立する理由?」


 答えはない。


 だが、

 渓谷の奥で――何かが、確かに目を覚ました。



 その夜。


 三人は、渓谷の縁で野営していた。


 火を囲みながら、

 誰も多くを語らない。


 ただ、山の奥から、

 時折――低い“うなり”が聞こえる。


 まるで、

 眠りながら、何かを思い出そうとしているかのように。


 サーシャは、火を見つめながら、呟いた。


「……この山」


 一拍置く。


「まだ、終わってない」


 フェルトは、黙って頷いた。


 かつて、

 天と魔がぶつかった場所。


 その決着は、

 完全には――終わっていない。


 炎が、揺れた。


 山は、

 静かに、目覚めつつあった。

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