第15話 電気風呂の衝撃と、最後の陥落者

 週の真ん中、水曜日。 私はノー残業デーを利用して、近所のスーパー銭湯『極楽の湯』に来ていた。


「ふぅ……。やっぱり広い風呂はいいなぁ」


 私はタオルを頭に乗せ、露天風呂に浸かっていた。 平日の夕方だというのに、今日の客層は少し変わっていた。


 やけにガタイのいい外国人や、目つきの鋭い男たちが、湯船の隅で背筋を伸ばして入っているのだ。


(ふふっ。今日のエキストラさんは国際色豊かだな)


 私はニヤリとした。 きっと番組の企画で「世界の温泉事情」みたいな特番を撮っているに違いない。 私がリラックスしている絵を撮りたいのだろう。


 私は湯船から上がり、体を洗うために洗い場へ向かった。


 ***


 その洗い場の隅に、一人の老人が座っていた。 鋭い眼光。鍛え上げられた肉体。 ロシア連邦大統領、ウラジーミル・ポロフその人である。


 彼は極秘裏に来日し、部下の制止を振り切って、自ら佐藤の視察に来ていたのだ。


「痛みも快楽も共有する人間など、科学的にありえん。この目で確かめるまでは信じない」 元KGBの冷徹なリアリストである彼は、自分の感覚しか信じない男だった。


 だが、今の彼は苦しんでいた。


「……くっ」


 ポロフは腰を押さえて顔を歪めた。 持病の「腰痛」だ。 若い頃の柔道の稽古と、長年の激務で、彼の腰は悲鳴を上げていた。


 今日は特に痛む。長時間のフライトと、慣れない銭湯の椅子が響いたのだ。


(痛い……。立つのも辛い……)


 彼が脂汗を流して耐えていると、目の前に影が落ちた。


「お父さん、大丈夫ですか?」


 声をかけてきたのは、腰にタオルを巻いたマヌケ面の男――佐藤健二だった。


(こいつが……例の男か)


 ポロフは警戒心を強めた。 暗殺か? 何か仕掛けてくる気か? 彼は身構えたが、激痛で動けない。


「腰、痛いんでしょ? 分かりますよ、その辛さ」


 佐藤は人の良さそうな顔で笑い、ぬるっとポロフの背後に回った。


「私、マッサージには自信があるんです。ちょっと失礼」


「なっ……触るな……!」


 ポロフが拒絶しようとしたが、佐藤の手は既に彼の腰に触れていた。 温かい掌。 それが患部に密着した瞬間。


 ドクン!!


 ポロフの脳髄を、未知の衝撃が貫いた。


「……ッ!?」


 熱い。 腰の奥底にこびりついていた氷のような痛みが、瞬く間に溶かされていく。 代わりに流れ込んでくるのは、爆発的な生命エネルギーだ。 細胞の一つ一つが歓喜の声を上げ、若返っていく感覚。


(なんだこれは……!? 魔術か!?)


 ポロフは目を見開いた。 数秒後、佐藤が手を離す。


「はい、どうですか? 軽くなったでしょ?」


 ポロフは恐る恐る腰を動かした。 痛くない。 それどころか、現役時代の全盛期よりも軽く、力がみなぎっている。


「……信じられん」


 ポロフは立ち上がり、自分の体を見下ろした。 疑いようのない事実。 部下たちの報告は真実だったのだ。この男は、神の御業みわざを持っている。


「ははは! 驚いた顔だなぁ。いいリアクションですよ!」


 佐藤はサムズアップして、ポロフの肩をバンと叩いた。


「それじゃ、私はあっちの湯船に行ってきますんで。お大事に!」


 佐藤は鼻歌交じりで去っていった。 残されたポロフは、その背中を呆然と見送った。 そして、彼の中で何かが「カチリ」と繋がる音がした。


 リンク完了。 最後の超大国が、佐藤の支配下に落ちた瞬間だった。


 ***


「さてと、仕上げに入りますか」


 私はウキウキで内風呂へ向かった。 目指すは、この銭湯の名物コーナー。


『強・電気風呂』


 微弱な電流を浴びて筋肉をほぐす、あれだ。 ここの電気風呂は設定が強めで、ビリビリくる刺激がたまらないのだ。


「よーし、いっちょ気合入れて入るか」


 私は湯船に足を浸けた。


 バチチチチッ!!


「おぉぅ……! 効くぅ……!」


 強烈な電流が筋肉を収縮させる。 ふくらはぎ、太もも、そして腰。 私は覚悟を決めて、肩まで一気に沈み込んだ。


 ビビビビビビビビビビビッ!!!!


「ぐぉぉぉぉ! 痺れるぅぅぅ! これだよこれ!」


 全身を駆け巡る電気ショック。 普通の人なら飛び出すレベルだが、私はこの「ギリギリの刺激」が大好きなのだ。 私は歯を食いしばり、恍惚の表情で電流を受け止めた。


 ***


 同時刻。 銭湯の洗い場にいたポロフ大統領。 そして、世界各地のVIPたち。


「「「アババババババババババババッ!!??」」」


 全員が同時に、白目を剥いて痙攣した。


 佐藤の「ビリビリくる刺激」は、彼らにとって「落雷の直撃」あるいは「電気椅子(処刑レベル)」の衝撃となって伝播した。


「ガガガガガッ! か、感電!? 何故だ!? 私は何も触っていないのに!?」


 ポロフは洗い場の椅子から転げ落ち、濡れた床の上でビタンビタンと跳ね回った。 全身の筋肉が勝手に収縮し、自分の意思ではどうにもならない。 口から泡を吹き、視界がチカチカと明滅する。


「あ、あばば……サトウ……! 貴様、電気ウナギか……!?」


 ***


 一方、ホワイトハウス。


「Arghhhhhhhhh!!!」


 マクガイア大統領は、執務中に机の上でブレイクダンスのように回転していた。 コーヒーカップが飛び、書類が舞う。


「で、電気! スタンガン!? 誰だ! 私にテイザー銃を撃ち込んだのはぁぁ!!」


 中国の中南海。


「アイヤーッ!!」


 王主席は、太極拳の練習中に空中で硬直した。 そのまま棒のように倒れ、ピクピクと痙攣する。


「し、痺れる……! 経絡秘孔(けいらくひこう)を突かれたか……!!」


 日本の官邸。


「ひでぶっ!!」


 五十嵐総理は、国会答弁中に演壇でブリッジをキメた。 見事なけぞり。議員たちが「総理!? 乱心ですか!?」と駆け寄る。


「ち、違う……! 佐藤様だ……! 佐藤様が今、電気風呂に入っておられるぅぅぅ!!」


「えっ!? 電気風呂ですか!?」


「早く! 早く佐藤様を湯船から引きずり出せ! でなければ、我々の心臓が焼き切れるぞぉぉぉ!!」


 ***


 銭湯の佐藤。


「ぷはーっ! 効いたー!」


 私は1分ほど電気を堪能し、湯船から上がった。 体が軽い。血行が良くなって、肌が赤くなっている。


「いやぁ、最高だった。やっぱり電気風呂は長湯に限るな」


 私はタオルで体を拭きながら、洗い場の方を見た。


 そこでは、大変な騒ぎが起きていた。 さっきの老人(ポロフ)が、床の上で大の字になってピクピクと痙攣している。 そして、周囲にいた外国人たち(護衛)が、血相を変えて老人に駆け寄っていた。


「ボス! しっかりしてください!」

「救急車! 早く!」

「心停止か!? AEDを持ってこい!!」


 屈強な男たちが、必死の形相で老人を抱き起し、心臓マッサージをしようとしたり、何か叫んだりしている。


「……ほう」


 私は感心して頷いた。 なんだあれ。すごい迫力だ。 てっきり「湯あたり」の演技かと思ったが、どうやら「医療ドラマの急患発生シーン」の撮影らしい。


 老人の白目を剥いた演技も凄いが、周囲の男たちの焦りようもリアルだ。本当に心配しているように見える。


「お父さん、主役ですね! 周りの皆さんのチームワークもバッチリですよ!」


 私はポロフたちに向かって声をかけ、親指を立てた。 護衛の一人が、鬼の形相で私を睨みつけたが、私はニコニコと手を振り返した。 役に入り込んでいるなぁ。プロ意識が高い。


 ***


 風呂上がり。 私は腰に手を当てて、冷たいコーヒー牛乳を一気に飲み干した。


「っかー! 生き返る!」


 最高の湯だった。 体の疲れも取れたし、迫力あるドラマ撮影の裏側も見られた。 明日からの仕事も頑張れそうだ。


 私は上機嫌で銭湯を出た。 その背後で、本物の救急車のサイレンが近づいてくるのが聞こえたが、きっとあれも撮影用の小道具だろう。


 こうして、ロシア大統領ウラジーミル・ポロフは、来日わずか数時間で「佐藤教」の熱心な信者(兼・被害者)となった。 世界中の権力者が、一人のサラリーマンの「入浴タイム」によって、生死の境をさまよった夜だった。


 ***


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