第13話 美しきスパイと、指先の惨劇

 週明けの月曜日。 私の所属する営業部に、新しい派遣社員がやってきた。


「ハジメマシテ。エレナ・イワノフです。ヨロシクお願イシマス」


 金髪碧眼、モデルのような長身の美女だ。 日本語は少しカタコトだが、それがまた魅力的で、男性社員たちは色めき立っていた。 だが、私は冷静だった。


(……ふっ。来たな、新キャラクター)


 私は心の中でニヤリとした。 番組も中盤に差し掛かり、テコ入れとして「外国人美女(ハニートラップ役)」を投入してきたのだ。 分かりやすい。実に分かりやすい演出だ。


「佐藤サーン。この書類、倉庫に運ぶの、手伝ってクダサーイ」


 さっそくだ。 配属初日に、ターゲット(私)を人気のない倉庫へ誘い出す。 展開が早すぎる気もするが、まあ尺の都合もあるのだろう。


「オーケー、エレナさん。喜んで」


 私は爽やかに答え、彼女の後について倉庫へ向かった。 きっと倉庫には隠しカメラがたくさん仕込まれていて、私が彼女にデレデレする様子を撮りたいのだろう。


 だが、そうはいかない。 私は「クールな紳士」というキャラ設定でいくと決めているのだ。


 ***


 薄暗い書類倉庫。 重い扉が閉まると、エレナの雰囲気が一変した。


「……フフ。二人きりネ、佐藤サン」


 彼女は妖艶な笑みを浮かべ、私にじりじりと近づいてきた。 その手には、書類の束が抱えられている。


(おっと、誘惑タイムか?)


 私は内心ドキドキしつつも、ポーカーフェイスを維持した。


「そうだね。整理する書類がたくさんあるから、手分けして片付けよう」


 私は彼女の誘惑を華麗にスルーし、棚の整理を始めた。 この「なびかない男」の演技、きっと視聴者の好感度も爆上がりだろう。


 しかし、エレナの正体は、ロシア対外情報庁(SVR)が送り込んだ最強の暗殺者(スパイ)だった。 彼女の任務は、佐藤を気絶させ、大型トランクに詰めてモスクワへ空輸すること。


(チッ……ガードが堅い男ネ)


 エレナは舌打ちした。 色仕掛けが通じないなら、実力行使だ。 彼女は書類の束の下に隠し持っていた「超小型スタンガン」に手をかけた。


「佐藤サン……これ、見てクダサイ……」


 彼女は私の背後に忍び寄り、電撃を食らわせようと手を伸ばした。


 その時だった。


「ん? どれどれ?」


 私が不用意に振り返り、彼女が持っていた書類の束に手を伸ばした瞬間。


 スパッ。


「あッ」


 コピー用紙の鋭い縁(ふち)が、私の右手の人差し指を滑った。 いわゆる「紙で指を切る」というやつだ。 地味だが、意外と痛い。


「いってぇ……。紙で切っちゃったよ」


 私は指先を見た。 うっすらと赤い血が滲んでいる。 傷は浅いが、神経に障るような鋭い痛みがジンジンとする。


「あー、これ地味に痛いんだよなぁ……」


 私は指を口に含んで舐めた。


 ***


「「「ギャァァァァァァァァァァァァッ!!!」」」


 同時刻。 日本の永田町、アメリカのホワイトハウス、中国の中南海。


 世界三カ国の首脳たちが、同時に絶叫してのたうち回った。


「指がッ!? 私の指が切断されたぁぁぁッ!?」

「痛い! 日本刀で削がれた! 指の肉が削ぎ落とされたぞ!!」


 彼らの脳内には、佐藤の「スパッ」という痛覚が、「指を巨大なカッターナイフで切断される」レベルの激痛としてフィードバックされていた。


 紙で切る痛みは、なぜか普通の怪我よりも不快指数が高い。 それが増幅された結果、拷問レベルの苦痛となったのだ。


 そして、各国の情報部は即座に異常を検知した。


『緊急事態! 佐藤様のバイタルに「出血反応」あり!』

『痛覚レベル、レッドゾーン! 物理的な攻撃を受けています!』

『場所は……会社の倉庫! 一緒にいるのは……ロシアの工作員「エレナ」です!!』


 激痛に耐えながら、五十嵐総理は鬼の形相で叫んだ。


「ロシアめぇぇぇっ!! ハニートラップに見せかけて、佐藤様の指を切り落としやがったなァァァッ!!」


(※実際はただの紙による切り傷です)


 マクガイア大統領も、血走った目で叫んだ。


「許さん……! 我々の宝に傷をつけたな! CIA! SEALs! 日本に潜伏中の全戦力を投入しろ! あの女スパイを排除せよ!!」


 ***


 倉庫の中。


「大丈夫デスカ? 佐藤サン」


 エレナが心配そうな顔で、私に詰め寄ってきた。 距離が近い。甘い香水の匂いがする。


(おっと、怪我をした私を心配して、急接近する演出か?)


 彼女は私の背中側に回り込み、そっと手を伸ばしてきた。このまま後ろから抱きつく「バックハグ」の展開かもしれない。


(ふふっ、怪我の功名ってやつかな。悪い気はしないぞ)


 私は彼女の「熱心な演技」に応えるべく、振り返って爽やかに答えようとした。


「うん、大丈夫。ちょっと切っただけ……」


 私が彼女の方を向いた、その瞬間。


 ガシャァァァァン!!!


 倉庫の天窓が割れ、黒いロープと共に数人の黒服が降ってきた。 さらに、倉庫の鉄扉が爆破され、完全武装した特殊部隊が突入してきた。


「動くな! ロシアのスパイ!」

「佐藤様から離れろ!」


 アメリカのCIAと、日本の公安警察だ。 彼らは瞬く間にエレナを取り囲み、銃口を向けた。


「えっ!?」


 エレナは驚愕した。 なぜバレた? 完全に潜入していたはずなのに。 それに、たかがサラリーマンの「紙で切った傷」ごときに、なぜ日米の特殊部隊が同時に動く!?


「抵抗スルナ! 確保!」


 プロ同士の戦闘は一瞬だった。 エレナは武道の達人だったが、数には勝てない。 あっという間に組み伏せられ、手錠をかけられた。


「離シテ! 離セーッ! ワタシ、まだ何もしてナイ!!」


 エレナが連行されていく。 嵐のような数分間だった。 倉庫には、割れたガラスと、銃を持った男たちが残された。


 私は……感動していた。


(すげぇ……!!)


 なんて迫力だ。 天窓からのラペリング降下。扉の爆破(音だけかもしれないが)。 そしてスパイ確保のアクション。 まるでハリウッド映画のクライマックスじゃないか!


(今回のドッキリ、予算のかけ方が半端じゃないぞ……!)


 私は興奮を抑えきれず、リーダーらしき隊員(公安)に話しかけた。


「いやぁ、素晴らしい演技でした! 感動しました!」


「は……?」 隊員がマスク越しに困惑している。


「あの女優さん(エレナ)、スタントなしであの動きは凄いですね。 あと、そちらの装備もリアルでかっこいいです!」


 私は隊員の持っているアサルトライフル(実銃)を指差して褒めちぎった。


「は、はあ……恐縮です」 隊員は戸惑いつつも、合わせるしかないと悟って敬礼した。


「佐藤様のご無事が何よりです。……その、お指の怪我は?」


「あ、これ? 絆創膏があれば治りますよ」

「救護班!! 至急、世界最高級の絆創膏と、破傷風のワクチンを持ってこい!!」


「えっ、いや、そんな大げさな……」


 隊員たちが大慌てで私の指を治療し始めた。 たかが紙で切った傷に、消毒液やらガーゼやらが手厚く巻かれていく。 過保護な番組スタッフだなぁ。


「それじゃ、撮影お疲れ様でしたー!」


 私は包帯でぐるぐる巻きになった指を掲げ、意気揚々と倉庫を出て行った。 去り際に、カメラ(だと思っている監視カメラ)に向かって、ビシッとキメ顔をするのも忘れない。


「今回のヒロイン、ちょっと過激だったけど嫌いじゃないよ」


 ***


 その夜。 ロシア、クレムリン宮殿。


 ロシア大統領は、報告書を読みながら眉をひそめていた。


「……意味が分からん」


 彼の元には、作戦失敗の報告が届いていた。 だが、その内容が不可解すぎる。


『標的・佐藤健二が「紙で指を切った」直後、日米中の首脳が同時にパニックを起こし、総力を挙げてエレナを排除した』


「たかが紙で切っただけで、なぜマクガイアたちが発狂するのだ? 奴らは何を恐れている?」


 ロシア大統領は、窓の外の雪景色を見つめた。 彼はまだ、佐藤と「リンク」していない。 だからこそ、痛みもなければ、彼への信仰心もない。 あるのは、底知れぬ「不気味さ」だけだ。


「佐藤健二……。この男には、世界を動かす『何か』がある。 手出しは危険だが……監視は続けなければならんな」


 こうして、ロシアによる拉致作戦は失敗に終わった。 だが、唯一「洗脳(リンク)」されていない大国・ロシアの存在は、今後の佐藤の平穏な日常(ドッキリライフ)にとって、不穏な影を落とすことになるのだった。


 ***


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