第12話 真夜中のホラー鑑賞会と、百鬼夜行

 金曜日の夜。 妻と娘は先に寝てしまい、私は一人、リビングに残っていた。


「ふふふ。明日は休みだし、夜更かししちゃおうかな」


 私は冷蔵庫から缶ビールを取り出し、ソファに座った。


 手持ち無沙汰でテレビのリモコンを操作する。 最近、私は「ドッキリ番組の主役」としての自覚を持ち始めていた。 いつカメラが回ってもいいように、リアクションの練習をしておく必要がある。


「お、これなんかいいじゃないか」


 動画配信サービスで見つけたのは、『呪いの廃村 ~カメラは見た~』というB級ホラー映画だ。 パッケージには、白目を剥いた幽霊と、「全米が震えた」という安っぽいキャッチコピー。


「ホラー映画で『驚く演技』の練習といこうか」


 私は部屋の電気を消し、雰囲気たっぷりで再生ボタンを押した。


 画面の中では、大学生グループが廃墟を探索している。 手ブレの激しい映像。不気味なノイズ。 ヒロインが「キャーッ!」と叫ぶ。


「……うん、ベタだなぁ」


 私はビールをちびりと飲んだ。 作り物だと分かっていても、暗い部屋で一人で見ていると、なんとなく背筋がゾワゾワする。 エアコンの風が、妙に冷たく感じる。


「……ちょっと、寒いな」


 私はブランケットを引き寄せ、首をすくめた。 この「ちょっとゾクッとする感じ」。 夏の夜には丁度いいスパイスだ。


 ――しかし、私は知らなかった。 私のこの「ちょっとした悪寒(感覚)」が、リンクする彼らにとっては「絶対零度の恐怖体験(幻覚)」となって脳髄を直撃することを。


 ***


 同時刻。 首相官邸の隣にある、総理公邸。


 ここは昔から「幽霊が出る」という都市伝説が絶えない場所だ。 五十嵐総理は、執務室で一人、書類に目を通していた。


「……ん?」


 突然、悪寒が走った。 部屋の温度は一定のはずなのに、骨の髄まで凍りつくような寒さを感じる。


 佐藤が感じた「エアコンの冷気」が、数百倍の「死の冷気」として伝わってきたのだ。


「な、なんだ……?」


 五十嵐が顔を上げた瞬間。 フッ、と視界が暗くなった。 照明はついているはずなのに、目の前がセピア色の闇に覆われていく。佐藤が見ている「暗い映画の画面」が、五十嵐の視覚にオーバーラップしているのだ。


『……うぅ……ぅぅぅ……』


「ひっ!?」


 五十嵐は耳を塞いだ。 誰もいない部屋の四隅から、地を這うような呻き声が聞こえる。 (佐藤がヘッドホンで聞いている映画の効果音が、幻聴として聞こえている)


「だ、誰か! SP! 誰かいないか!」


 五十嵐が叫ぶが、自分の声が遠い。 その時、背後から氷のような手が、五十嵐の首筋を撫でた気がした。


 ゾワワワワッ!!


「ぎゃあああああああああああああっ!!!」


 日本の最高権力者は、白目を剥いてデスクの下に潜り込んだ。 実際には何も起きていない。部屋は明るく、幽霊などいない。 だが、彼の脳は「今、背後に何かが立っている」というリアルすぎる感覚信号を受信してしまっていた。


「南無阿弥陀仏! 南無阿弥陀仏! 除霊予算を計上してくれぇぇぇ!!」


 ***


 一方、都内某所。 西園寺玲華の豪邸。


 彼女は優雅にナイトガウンを纏い、自室でハーブティーを楽しんでいた。 彼女の趣味は、世界中から集めたアンティーク・ドールの収集だ。


 部屋の棚には、数百体のフランス人形や日本人形が飾られている。


「……あら?」


 玲華はカップを置いた。 視線を感じる。 いつもは愛らしい人形たちが、今日はなぜか不気味に見える。


 その時。 映画の中の「人形の首が動くシーン」を、佐藤が見た瞬間だった。


 ドクン。


 玲華の視界が歪んだ。


「……っ!?」


 棚に並んだ数百体の人形たちが、一斉にこちらを見て「ニチャア」と笑ったように見えた。 もちろん幻覚だ。人形は微動だにしていない。 だが、佐藤から流れ込む「不気味さ」と「恐怖」が、玲華の脳内で最悪の幻影を作り出していた。


『……アソンデ……』

『……ネェ、アソンデ……』


 脳内に直接響く、無邪気で残酷な少女の声。


「いやぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」


 女帝の悲鳴が屋敷に響き渡った。 彼女は「女帝」として恐れられているが、実はオカルトが大の苦手だったのだ。


「セバスチャン(執事)!! 塩!! 伯方の塩を!! トラック一台分持ってきなさぁぁぁい!!」


 玲華は布団を頭から被り、ガタガタと震えながら般若心経(ネットで検索)を唱え始めた。 彼女には、部屋中の人形が踊り狂っている地獄絵図が見えていた。


 ***


 さらに同時刻。 鬼島組事務所。


 鬼島組長は、仏壇の前で手を合わせていた。 彼は極道だが、信心深い。


「……親父。今日も一日、無事にシノギができました」


 線香をあげ、目を開けた瞬間。 佐藤が映画のクライマックス、「殺人鬼がナイフを振り上げるシーン」を目撃した。


 ゾクゥッ……!


「……あ?」


 鬼島の喉元に、冷ややかな感触が走った。 何も触れていない。 だが、皮膚感覚として、鋭利な刃物がピタリと突きつけられている感触がある。


 「殺気」だ。 歴戦の極道である彼には分かってしまった。背後に、得体の知れない「何か」が立っている。


「な、なんだぁ!? 誰だ!?」


 鬼島は腰のドスを抜こうとしたが、手が動かない。金縛り(佐藤の緊張状態の伝播)だ。 見えない何かが、鬼島の体を締め上げている。


『……コロス……』

『……オマエヲ、コロス……』


 どこからともなく聞こえる、ドスの効いた声。


「ひぃぃぃっ!! す、すみませんんんッ!! 俺が悪かったです! 隠しておいたプリン食べたのも俺ですぅぅぅ!!」


 最強の武闘派組長は、畳に頭を擦り付けて土下座した。 幽霊(幻覚)相手にチャカ(拳銃)は効かない。 裏社会のドンにとって、これほど無力な夜はなかった。


 ***


 一方、佐藤家のリビング。


 映画はクライマックスを迎えていた。 主人公が扉を開けるシーンだ。 BGMが不穏な高音を奏でる。


「来るぞ……来るぞ……」


 私は身構えた。 そして。


 バァァァァン!!


 画面いっぱいに、血まみれの悪霊の顔が現れた。 大音量の効果音。


「うおっ!?」


 私はビクッとして、手に持っていたビールを少しこぼしてしまった。


 ドクン!!


 私の心臓が大きく跳ねた。 いわゆる「ビックリ」だ。 心拍数が急上昇し、冷や汗が吹き出る。


「ふぅ……。びっくりしたぁ……」


 私は胸をさすった。 なかなかの演出だ。やっぱり音響って大事だな。


 ***


「「「ぎゃああああああああああああああああああっ!!!」」」


 その瞬間、VIPたちの心臓は「停止」寸前まで追い込まれた。


 五十嵐総理は泡を吹いて気絶。 玲華は恐怖のあまり、白髪になりかけた。 鬼島は失禁し、仏壇の前でミイラのように硬直した。


 佐藤の「うおっ!?」という軽いショックは、彼らにとって「心臓を冷たい手で直接握りつぶされる」ような、致死レベルのショックとなって直撃したのだ。


 ***


「……はぁ。怖かった」


 私はテレビを消し、電気をつけた。 明るいリビングに戻ると、さっきまでの恐怖心は嘘のように消えた。 やっぱり、お化けなんていないのだ。


「さて、口直しにバラエティでも見るか」


 私はチャンネルを変えた。 深夜のお笑い番組がやっている。芸人たちがパイ投げをしている、バカバカしい映像だ。


「ぶははっ! なんだこれ、くだらねー!」


 私は声を上げて笑った。 恐怖で強張っていた体がほぐれ、楽しい気分が込み上げてくる。


 ***


 同時刻。 幻覚地獄を見ていたVIPたち。


「……はっ!?」


 五十嵐が目を覚ました。 視界がクリアになっている。不気味な声も聞こえない。 それどころか、なぜか急に心がウキウキしてきた。


「あ、あれ……? 怖くない? いや、むしろ……楽しい?」


 玲華も布団から顔を出した。 人形たちは元の可愛い人形に戻っている(ように見える)。 そして、腹の底から笑いが込み上げてくる。


「ふふっ……あはははは!」


 鬼島も、涙と涎でぐしゃぐしゃの顔で爆笑し始めた。


「ガハハハハ! なんか知らねぇけど、おもしれぇぇぇ!!」


 総理公邸、豪邸、ヤクザ事務所。 それぞれの場所で、大人たちが深夜に一人で大爆笑するという、別の意味でホラーな光景が広がっていた。


 佐藤がお笑い番組を見て「笑った」ことで、彼らの脳を支配していた恐怖信号は、「爆笑」という快楽物質によって強制的に上書き保存されたのだ。


 ***


 翌朝。


 私はスッキリと目覚めた。 昨夜はよく笑って、よく寝た。


「おはよう、パパ」

「おはよう、結衣。今日はいい天気だな」


 私はコーヒーを飲みながら、テレビのニュースを見た。


『――昨夜未明、永田町の総理公邸や、都内の高級住宅街において、「深夜に不気味な高笑いが響いている」という近隣住民からの通報がありました。警察は騒音トラブルとして……』


「へぇ、総理大臣もストレスが溜まってるのかな」


 私は他人事のように呟いた。 まあ、今の私の人生(ドッキリ番組)に比べれば、現実のニュースなんて地味なものだ。


「よし、今日は庭の草むしりでもするか」


 私は平和な休日を満喫するために、軍手をして庭に出た。 昨夜の私の「肝試し」が、日本のトップたちを精神崩壊寸前まで追い込んだことなど、知る由もなく。


 ***


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