第10話 尿意の恐怖と、ドッキリの確信

 三連休の初日。


 私は家族サービスのため、愛車のコンパクトカーを走らせていた。 行き先は、郊外のアウトレットモールだ。 助手席では恵子がガイドブックを広げ、後部座席では結衣がスマホをいじっている。


「今日はいい天気だなぁ」


 私はハンドルを握りながら、上機嫌でブラックコーヒー(Lサイズ)を飲んでいた。 平和な休日。 ……そう思っていたのは、出発して一時間後までだった。


「……動かないな」


 高速道路は、完全なる渋滞にハマっていた。 見渡す限りのテールランプの海。 事故渋滞らしく、ここ三十分、1メートルも進んでいない。


 そして、私には別の問題が発生していた。


「……うっ」


 下腹部に、鈍い重圧を感じる。 さっき飲んだLサイズのコーヒーだ。利尿作用が抜群すぎる。 最初は「ちょっとトイレ行きたいな」程度だったが、車が止まっているストレスと相まって、その波は急速に高まっていた。


「ねえパパ、まだ着かないの?」


「あ、ああ。事故みたいでさ……」


 結衣に答えようとして、私は言葉を詰まらせた。 喋ると、腹筋に力が入る。それが膀胱を刺激する。


(やばい。これ、結構きてるぞ)


 尿意レベル6。


 まだ我慢できるが、冷や汗が出てくるレベルだ。レベル10で大人としての尊厳が破壊されてしまう。


 パーキングエリアまでは、あと3キロ。 普段なら数分だが、この渋滞では永遠のように感じる。


 私は貧乏ゆすりを始めた。


 ***


 同時刻。ニューヨーク。国連本部。 メインホールでは、国連総会が開かれていた。


 演壇に立っていたのは、アメリカ合衆国大統領・マクガイアだ。 彼は世界中の代表団とテレビカメラを前に、核軍縮に関する歴史的なスピーチを行っていた。


「We must seek peace...(我々は平和を希求しなければならない……)」


 マクガイアは力強く拳を掲げた。 その時だった。


「……Ugh!?」


 マクガイアの表情が、一瞬で凍りついた。 下腹部に、巨大な水風船をねじ込まれたような圧迫感が襲ってきたのだ。


 ただの尿意ではない。 「今すぐ漏れる。一滴残らず決壊する」という、極限状態の切迫感だ。


(な、なんだ!? さっきトイレに行ったばかりだぞ!?)


 マクガイアは演台を鷲掴みにし、必死に内股になった。 脂汗が滝のように流れ出し、スピーチどころではない。


「Mr. President?(大統領?)」


「……Wait.(……待て)」


 マクガイアは震える声で言った。 動けない。一歩でも動けば、アメリカの威信と共に、全てが流れ出す。


「(くっ……佐藤か! 日本の佐藤が今、トイレを我慢しているのか!?)」


 マクガイアは悟った。 そして絶望した。 日本の渋滞事情など知る由もないが、この感覚の強さは異常だ。


 世界中継のカメラの前で、合衆国大統領がお漏らしをする。 そんなことになれば、政権は崩壊し、歴史に残る笑い者だ。


「Ooh... No...(うぅ……ダメだ……)」


 マクガイアは演壇の上で、モジモジと奇妙なダンスを踊り始めた。 世界中のメディアがざわつき始める。


「大統領、謎のステップを披露」

「新種のパフォーマンスか?」


 ***


 日本の高速道路。 私の尿意は、レベル9に達していた。


「うぅ……い、痛い……」


 膀胱が悲鳴を上げている。 限界だ。もう人間の尊厳に関わるレベルだ。 ようやくパーキングエリアの入り口が見えてきた。


「と、トイレ……トイレえェェェ!」


 私はハンドルを切った。 駐車スペースに車を滑り込ませるや否や、私は転がり落ちるように車外へ飛び出した。 妻と娘の声も耳に入らない。 目指すは一点、公衆トイレのみ。


 私はゾンビのような足取りで、トイレに向かってダッシュした。 その時だった。


「Mr. Sato!」


「佐藤先生!」


 トイレの入り口付近の茂みから、数人の男たちが飛び出してきた。 黒いスーツにサングラス。 耳にはインカム。 どう見てもカタギではない。


(……えっ?)


 私は足を止めた。 男たちは私を取り囲み、片言の日本語で捲し立てた。


「我々はアメリカCIAだ! 君を保護する! 一緒に来い!」


「違うアル! 中国国家安全部ヨ! 我々の車に乗るヨロシ!」


 男たちが私の腕を掴もうとする。 彼らの手には、スタンガンのようなものが見えた。


 普通なら、恐怖で腰を抜かす場面だ。 だが、極限の尿意で頭が沸騰していた私の脳裏に、ある記憶がフラッシュバックした。


『視聴者参加型・超大規模ドッキリスター誕生! ~あなたの日常が映画になる~』


(――ああっ!!)


 全ての点が線で繋がった。 会社へのガサ入れ。 電車でのモーゼの奇跡。 商店街の福引き。 そして今、SP風の外国人による拉致(ごっこ)。


「これ、ドッキリだ!!!」


 私は確信した。


 ついに来たのだ。私の応募が当選し、撮影が始まったのだ。


 なんて凝った演出だ。外国人のエキストラまで雇って、まるでハリウッド映画じゃないか。


(すげぇ……! さすが人気番組!)


 私は感動した。 だが、今はそれどころではない。 感動よりも生理現象が優先だ。


「ちょ、ちょっとタンマ! 今トイレだから!」


 私は迫り来るCIA捜査官の手を振り払った。 火事場の馬鹿力ならぬ、「尿意場の馬鹿力」だ。 私の動きは神速だった。


「What!?(速い!?)」


 驚く捜査官たちの股をくぐり抜け、私はトイレの入り口へヘッドスライディングした。


「逃がすな!」

「追え!」


 男たちが追いかけてくる。 すると今度は、別の黒服集団(日本の公安警察と鬼島組)が、トイレの屋根から飛び降りてきた。


「佐藤様には指一本触れさせん!!」

「戦争じゃあぁぁぁ!!」


 ドガガガッ!! バキィッ!!


 背後で激しい打撃音と怒号が響く。 私はチラリと振り返った。 トイレの前で、外国人エキストラと日本人エキストラが、派手なアクションシーンを繰り広げている。 バックドロップが決まり、スタンガンが火花を散らす。


「ははは、すげぇ迫力! スタントマンって大変だなぁ!」


 私は感心しながら、個室に飛び込んだ。 ズボンを下ろす。


「……ふぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!」


 ジョボボボボボボボ……。


 至福の瞬間。 溜まりに溜まっていたものが、全て解放されていく。 魂が浄化されるような、圧倒的な快感。 私は天を仰ぎ、声を漏らした。


「あぁ……生き返るぅ……」


 ***


 ニューヨーク、国連本部。


「Oooooooooh...... Yes......!!」


 マクガイア大統領は、演壇の上でマイクを握りしめ、恍惚の表情で天を仰いだ。


 限界寸前だった膀胱の圧力が、嘘のように消え去ったのだ。 それだけではない。 「排泄」に伴う強烈な快感が、数百倍に増幅されて彼を襲った。 脳内麻薬が炸裂する。


「Ah... Freedom... This is true Freedom...(あぁ……自由だ……これこそが真の自由だ……)」


 マクガイアは涙を流しながら、うっとりと呟いた。 会場は静まり返っていたが、大統領のあまりに幸せそうな顔を見て、次第に拍手が巻き起こった。 「何かわからないが、平和の尊さを全身で表現しているに違いない」と解釈されたのだ。


 こうして、国連の尊厳は(ギリギリで)守られた。


 ***


 日本のPA、男子トイレ。


「すっきりしたー」


 私は個室から出て、手を洗った。 外に出ると、戦闘は終わっていた。 CIAと中国の工作員たちは、日本の公安とヤクザの手によって全員のされ、物陰に縛り上げられていた。


 私が近づくと、顔面アザだらけのリーダー格(鬼島組の若頭・変装中)が、私に敬礼した。


「さ、佐藤様! ご無事ですか!?」


「うん、大丈夫だよ。君たち、凄い演技だったね!」


 私はニカっと笑い、拍手を送った。


「え?」 若頭がキョトンとしている。


「いやぁ、ドッキリでしょ? これ。 最初のアメリカ人とか、今の乱闘シーンとか、迫力満点だったよ。 カメラはどこ? トイレの中にはなかったけど」


 私はキョロキョロと隠しカメラを探した。


「あ、あの……佐藤様……?」


「大丈夫、分かってるって。 私、応募したもん。『ドッキリスター誕生』。 いやー、まさか本当に当選するとはなぁ。一生の思い出になったよ」


 私は倒れている工作員(気絶中)の肩をポンと叩いた。


「君も、お疲れ様。地面冷たいから風邪引かないようにね」


 そう言って、私は颯爽と車に戻っていった。 残された男たちは、ポカンと口を開けて私の背中を見送るしかなかった。


「……カシラ。佐藤様、これ全部『テレビの撮影』だと思ってますぜ」


「……マジかよ」


 若頭は呆れ、そして深く安堵した。


「……まあ、いい。それが一番平和だ。 『そういうこと』にしておけ。総理にも報告だ。 『佐藤様は全てをエンターテインメントとして受け入れられました』とな」


 ***


 一方、私は軽い足取りで車に戻りながら、一人で納得していた。


「なるほど、やっぱりそうだったのか」


 全ての謎が解けた。 あの文化祭でのPTA会長の派手すぎる逮捕劇や、突然現れた高級シェフたち。


 そして昨日届いた、どう見ても小道具っぽい黄金のパンダ。 あれは奇跡でもなんでもなく、テレビ局が仕掛けた「ドッキリ番組の演出」だったのだ。


「すっきりしたなぁ」


 これでもう、何が起きても怖くない。 これから先、テロが起きても、ミサイルが飛んできても、それは全てスタッフさんが用意した「予算のかかった特効(特殊効果)」なのだから。 私は、安心してリアクションすればいいだけだ。


「パパ、遅い! トイレ混んでたの?」


 車に戻ると、結衣が不機嫌そうに言った。


「いやー、ごめんごめん。ちょっと面白い『撮影』に遭遇してさ」


「は? 何それ」


 私はハンドルを握り、ニヤリと笑った。 この番組、次はどんな演出を用意しているのかな。 私の平凡な日常は、最高にエキサイティングなステージに変わったのだ。


 ***


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