第6話 黄金の報復
「うぅ……うぅ……」
私は廊下の角で、胸の痛みに耐えていた。 目の前で娘が罵倒され、突き飛ばされた。 親として、今すぐ飛び出して行って、あの男子生徒を怒鳴りつけ、殴り飛ばしてやりたい。
だが、私の足はすくんでいた。 私が手を出せば、どうなる?
「暴力教師の娘」と噂され、結衣の立場がさらに悪くなるかもしれない。 モンペ(モンスターペアレント)だと騒がれれば、結衣が学校にいづらくなるかもしれない。
結局、私はただのサラリーマンだ。 PTA会長という権力者に、勝てる術など持っていない。 親とは、なんと無力な生き物なのか。
ズキズキと、心臓が痛む。 自己嫌悪の闇が、私の心を塗り潰していく。
***
同時刻。 日本の最高権力の中枢、そして裏社会の頂点で、異変が起きていた。
官邸の執務室。 五十嵐総理は、重要書類に涙をボトボトと落としていた。
「うおおおおん! 悲しい! 死にたいくらい悲しいぞぉ!!」
SPたちがギョッとする中、五十嵐は幼児のように泣きじゃくっている。 理由などない。ただ、胸が張り裂けそうなのだ。 自分が無力で、惨めで、大切な人を守れないクズ野郎だという絶望感が押し寄せてくる。
一方、鬼島組の事務所。 鬼島組長は、畳の上で正座し、ドスを自らの腹に向けていた。
「先生ぇぇぇ! 悲しい……俺はなんてダメな男なんだぁぁ!! 切腹してお詫びしますぅぅ!!」
「親父ぃぃッ! 早まらねぇでくだせぇッ!!」
組員たちが総出で親父を羽交い締めにしている。
日本のトップ3人が、同時に「原因不明の重度の鬱」と「心停止寸前の胸痛」に襲われたのだ。 そこへ、西園寺玲華からの緊急回線が入った。
『総理! 鬼島! 泣いている場合じゃないわよ!!』
スピーカーから響く、ヒステリックな女帝の声。
「さ、西園寺くん!? 君も泣いているのか……?」
『当たり前でしょう! 今、私はメイクが崩れるほど泣いているわ! でも、原因が分かったのよ!』
玲華は鼻をすすりながら、殺気立った声で告げた。
『特定したわ! 原因はPTA会長・権田原の息子よ。彼が今、佐藤様のお嬢様に暴言を吐き、暴力を振るったの! 佐藤様はそれを見て……ご自分の無力さを嘆いておられるのよ!』
「な、なんだとぉ……!?」
五十嵐と鬼島の涙が、瞬時に引っ込んだ。 代わりに湧き上がるのは、マグマのような純粋な殺意だ。
我らが「生命維持装置(佐藤)」の心を傷つける愚か者がいる。 あのような聖人に、「自分は無力だ」などと思わせた罪人がいる。 それは、国家反逆罪よりも重い、万死に値する大罪だ。
『権田原は、さっきまで私にしつこく媚を売っていた男だわ。……総理、鬼島。遠慮はいらないわね?』
「当然だ。法的措置など生ぬるい」 五十嵐が受話器を握り潰さんばかりに力を込める。
「へへっ、教育的指導が必要ですねぇ」 鬼島が涙で濡れた顔で、凶悪な笑みを浮かべる。
三巨頭の意思が統一された。
作戦名は「佐藤様の笑顔を取り戻せ」。 制限時間なし。手段選ばず。徹底的に、完膚なきまでに叩き潰す。
***
「……おい、何か文句言ってみろよ」
3年A組の前。 権田原の息子は、まだ結衣を睨みつけていた。 結衣が俯いているのを見て、さらに調子に乗ろうとした、その時。
『ピンポンパンポーン♪』
校内放送のチャイムが鳴り響いた。 普段の穏やかな放送ではない。どこかノイズ混じりの、冷ややかな音質だ。
『業務連絡です。PTA会長の権田原様、ならびに3年A組の権田原くん。至急、職員室までお越しください。……繰り返します。逃げずに、至急お越しください』
放送の声は、震えていた。 まるで、銃を突きつけられながら喋らされているかのような、恐怖に満ちた声だった。
「あ? なんだよ親父の呼び出しついでか?」
権田原の息子が舌打ちをした瞬間。
ドォォォォン!!
校舎全体が揺れるような地響きと共に、廊下の突き当たりから、黒い影の奔流が押し寄せてきた。
「な、なんだ!?」
生徒たちが悲鳴を上げて左右に道を開ける。 行進してきたのは、黒いスーツの集団だった。
先頭を歩くのは、インカムをつけた屈強なSPたち(公安)。 その後ろには、燕尾服を着た西園寺家の執事団。
さらに後ろには、モップやバケツを持った「目つきの悪い清掃員(鬼島組)」たち。
彼らは無言のまま、権田原の息子の前でピタリと止まった。 廊下を埋め尽くすほどの黒い壁。 その圧力に、取り巻きの男子生徒たちは腰を抜かして逃げ出した。
「な、なんだよお前ら……! 俺の親父が誰か知ってんのか!」
息子が虚勢を張って叫ぶ。 執事の一人が、無表情でスマートフォンを差し出した。 画面には、テレビ電話で父親――権田原の顔が映っていた。
「お、親父!?」
画面の中の父親は、顔面蒼白で脂汗を流していた。 背景に見えるのは、見慣れた学校の職員室だ。 だが、そこは地獄絵図と化していた。
権田原の周囲を、東京地検特捜部のバッジをつけた男たちが取り囲み、段ボール箱に書類を詰め込んでいる。 さらに、窓の外には国税局の査察官と、西園寺グループの顧問弁護士団が睨みを利かせている。
『……バカ息子ぉぉぉっ!! お前、一体学校で何をしたんだぁぁぁっ!!』
スピーカーから、父親の絶叫が響く。
「えっ、親父、そこ職員室……?」
『放送で呼ばれて来てみれば、待ち構えていた特捜部に逮捕されたわ!! お前のせいで……西園寺グループとの取引が全部停止になった! 銀行からも融資引き上げだ!』
「は……?」
『しかも脱税の証拠も、裏帳簿も、全部押収された! 終わりだ! 俺の会社は……たった今、倒産したんだよぉぉぉ!!』
画面の中で、権田原が泣き崩れる。 たった数分前まで「PTA会長」として、まるで学校の支配者のように我が物顔で威張っていた男が、今は見る影もない。
『連行する!』という捜査官の怒声と共に、プツンと通話が切れた。 息子が呆然として、廊下にへたり込む。 そこへ、モップを持った強面の清掃員(鬼島組・若頭)が近づき、耳元でドスの効いた声で囁いた。
「……お嬢さんへの暴力行為、現認したぞ。 この学校の『理事長』であらせられる西園寺様が、ブチギレておられる。 お前、即時退学だってよ。校門に借金取り……じゃねぇや、お迎えの黒塗りの車が来てるからよ。 さっさと行けや。……二度と、お嬢さんの視界に入るんじゃねぇぞ」
「ひっ、ひぃぃぃぃぃッ!?」
権田原の息子は悲鳴を上げ、這いつくばるようにして逃げ出した。 一族郎党、もはや日本国内に居場所はないだろう。 彼らは知ったのだ。 自分たちが威張り散らしていた相手(理事長・西園寺玲華)が、実は佐藤健二の「守護者」であり、絶対に触れてはならない「逆鱗」であったことを。
***
「……えーっと?」
私は影から一部始終を見ていたが、状況が飲み込めずにいた。 なんだか凄い勢いで、黒い人たちが来て、いじめっ子がいなくなったぞ? もしかして、あれもドッキリの演出か? だとしたら、エキストラの迫力が凄すぎる。
すると今度は、コックコートを着た集団が、銀色のワゴンを押して廊下に行進してきた。 西園寺家の専属シェフたちだ。 廊下に漂う、芳醇なトリュフとバターの香り。
「みなさーん! 本日の文化祭は、特別スポンサーのご厚意により、全品無料となりまーす!」
「こちらの最高級トリュフオムライス、いかがですかー!」
シェフの一人が、呆然としている結衣の前に進み出た。
「佐藤結衣さん! 怖かったですね。もう大丈夫ですよ」
「えっ、あ、はい?」
「これは、ある方からのプレゼントです」
シェフはうやうやしく、結衣の頭にティアラ(実はダイヤ入り・時価数千万)のようなものを乗せた。 そして、私の方をチラリと見て、バチコンとウインクした。
(……ん?)
私は自分の胸の痛みが、嘘のように消えていることに気づいた。 いじめっ子はいなくなった。 結衣は無事だ。
それどころか、クラスのみんなから「すげー!」「結衣ちゃん、お姫様みたい!」と称賛されている。 これなら、結衣も嫌な思いをせずに済むだろう。
「よかった……。神様が見ててくれたのかな」
私はホッと息をつき、隠れていた角から出て行った。
「おーい、結衣!」 「あ、パパ……」
結衣が私に気づく。 さっきまでの暗い顔はない。少し戸惑ってはいるが、その頬は赤く染まっている。
「なんか凄いことになってるな! オムライス無料だって?」
「う、うん。なんかよく分かんないけど……」
「よし、パパもいただこうかな。これ、美味そうだ」
私はシェフから渡されたオムライスを一口食べた。 半熟卵が口の中でとろけ、濃厚なデミグラスソースの味が広がる。
「うまっ! なんだこれ、ファミレスとは次元が違うぞ!」
美味しい。 心の底から、美味しい。 娘の笑顔が見られて、美味しいご飯が食べられる。 人間にとって、これ以上の幸せがあるだろうか。
私の心が、温かい「幸福」で満たされた、その瞬間。
***
校庭の隅で様子を伺っていた西園寺玲華。 官邸の五十嵐総理。 事務所の鬼島組長。
三人は同時に、天にも昇るような「多幸感」に包まれてへたり込んだ。
「あぁ……幸せだ……」
「生きててよかった……」
「ご飯が……美味しいですぅぅ……」
脳内に快楽物質がドバドバと溢れ出す。 極上の温泉に浸かりながら、最高級の酒を飲んでいるような、圧倒的な幸福感。
佐藤の「美味しい」「幸せ」という感情が、数倍に増幅されて彼らを直撃したのだ。
玲華は花壇に座り込み、恍惚の表情で空を見上げた。
「佐藤様……。貴方の笑顔を守るためなら、私は全財産を投げ打っても構わないわ……」
こうして、娘の危機は去った。 私には何が起きたのかさっぱり分からないが、結果オーライだ。 やはり、最近の私はツイている。
***
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