第5話 文化祭の憂鬱と、女帝の休日

「うーん、青春だなぁ!」


 雲ひとつない秋晴れ。 私は娘・結衣が通う私立高校の正門前に立っていた。


 今日は文化祭だ。 校内からは、焼きそばのソースが焦げる香ばしい匂いと、吹奏楽部のチューニングの音が聞こえてくる。


「結衣のクラスは……3年A組、メイド喫茶か。よし、奮発して一番高い『萌え萌えオムライス』を頼んでやろう」


 私はウキウキで校門をくぐった。 昨夜の結衣の態度は少し気になったが、きっと「パパが来るのが恥ずかしい」という思春期特有の照れ隠しに違いない。 行けばなんだかんだで喜んでくれるはずだ。


「お父さん、スリッパどうぞ」


「あ、どうもありがとう」


 受付の生徒に挨拶をし、私は校舎へ向かった。 最近、私の人生は絶好調だ。 会社はホワイトになり、給料は三倍になり、通勤電車ではモーゼの奇跡が起きる。 「運気」というやつが、今の私には向いている気がする。


 人混みをかき分けて、校舎の裏手にある喫煙所(といっても保護者用だが)を探していた時だった。


「……っ、ふぅ……」


 人気のない花壇の陰で、女性が一人、苦しそうにしゃがみ込んでいるのが見えた。


 大きな女優帽を目深にかぶり、顔の半分を覆うようなサングラスをした女性だ。 服装はシックなベージュのトレンチコートだが、その仕立ての良さと、漂う気品は隠しきれていない。 胸元には、金色の刺繍が入った『特別来賓』のリボンが輝いている。


(おや? 具合が悪いのかな)


 私は駆け寄った。 女性は膝に手をつき、忌々しそうに何かを呟いている。


「……はぁ、はぁ。しつこい男は嫌いよ……。PTA会長だからって、あんなに執拗につきまとうなんて……。理事長の私に対して、身の程知らずにも程があるわ」


 顔色は白磁のように白く、額には脂汗が滲んでいる。 どうやら、どこかの偉いおじさんに捕まりそうになって、逃げて隠れていたらしい。 この学校の理事長さんだろうか。綺麗な人は大変だ。


「大丈夫ですか? 貧血ですか?」


「……っ、来ないで。見つかるわ……」


 女性は拒絶したが、呼吸が荒い。 手足が震えているのが分かる。重度の貧血か、あるいは持病の発作か。


 最近、私は「人助け」に妙な自信を持っていた。 どうも私が背中をさすると、みんな劇的に元気になるのだ。 あの公園の老人も、強面の男もそうだった。


「いいから、じっとしてて。私、マッサージ得意なんです」


「さ、触らないで……無礼者……」


 女性は抵抗しようとしたが、力が入らないようだ。 私は失礼して、女性の背中に手を回した。 コート越しでも分かるほど、彼女の体は華奢で、そして氷のように冷たかった。


(うわ、冷え性だな。これは辛い)


 私は温めるように、掌を背中のツボに当てた。


 ドクン。


 まただ。 掌がカッと熱くなる。 自分の活力が吸い取られ、代わりに相手の中に奔流となって流れ込んでいく、あの感覚。 今日は特に吸い付きが強い。ダイソンの掃除機並みだ。


「痛いの痛いの、飛んでいけー」


「……っ!?」


 数秒後。 女性の震えがピタリと止まった。


「……え?」


 女性がサングラスをずらし、私を見上げた。 切れ長の瞳。吸い込まれるような美貌。 年齢は三十代半ばくらいだろうか。 彼女は自分の手を握りしめ、信じられないという顔をしている。


「体が……熱い? 鉛のように重かった体が、羽のように軽い……?」


 彼女は立ち上がった。 ふらつきもない。 肌の血色は薔薇色に輝き、荒れていた唇も潤いを取り戻している。


「よかった。顔色が戻りましたね」


 私はニカっと笑い、ポケットから飴玉(大阪のおばちゃんにもらったやつ)を一つ取り出した。


「これ、糖分補給にどうぞ。無理しないでくださいね」


 私は軽く手を振って、その場を去った。 娘のクラスに行かなくちゃいけない。急がないと売り切れてしまう。


 ***


 残された女性――日本最大の財閥、西園寺グループ総帥・西園寺玲華さいおんじ れいかは、呆然と佐藤の背中を見送っていた。


 今日はこの学園への出資者として視察に来ていたのだが、PTA会長であり理事長の権田原ごんだわらにつきまとわれ、ストレスで持病の貧血が悪化して倒れかけていたのだ。


 医者からは「完治不能」と言われていた、原因不明の虚弱体質。 それが今、嘘のように消え失せている。 体中にエネルギーが満ち溢れ、まるで十代の少女に戻ったかのような高揚感がある。


「……なんなの、あの男」


 玲華は困惑していた。 一介の庶民が、私に気安く触れて、飴玉一つ置いて去っていくなんて。 本来なら不敬罪でSPにつまみ出させるところだ。 だが、あの掌の温もりだけが、どうしても忘れられない。


 その時、懐のスマホが激しく振動した。 財閥の最高医療チームからの緊急連絡だ。


『そ、総帥! 異常事態です! リアルタイムモニターしていた貴女様の数値が……たった今、すべて正常化しました! いえ、細胞年齢が10代に戻っています! 一体、何をされたのですか!?』


「……なんですって?」


 玲華の瞳が鋭く細められた。 偶然ではない。あの男が触れた瞬間に、奇跡が起きたのだ。


 彼女の脳裏に、政財界で密かに囁かれている「噂」がよぎった。 五十嵐総理や鬼島組長の持病が完治し、彼らがある「一般人」を神のように崇めているという噂。


「まさか……」


 玲華は震える手で、佐藤から渡された安っぽい飴玉を見た。 ただの飴玉ではない。これは「神からの授かりもの」かもしれない。


「彼が、噂の……?」


 まだ確信はない。 だが、もしそうなら、この国で最も価値のある人間を、私は見過ごしてしまったことになる。


「情報部。今すぐ校内カメラを解析しなさい。先ほど私と接触した男性……」


 玲華が指示を出そうとした、その時だった。


 ***


 校舎の三階。 私は廊下の角で足を止めた。


 3年A組の前。 結衣がいた。 フリルのついた可愛いメイド服を着て、廊下で客引きをしている――はずだったが、様子がおかしい。


 男子生徒が数人、結衣を取り囲んでニヤニヤしている。 中心にいるのは、金持ちそうな、いけ好かない顔の男子だ。 髪を茶色く染め、制服を着崩している。


「おい佐藤。聞いたぞ? お前の親父、安月給の食品メーカー勤務なんだって?」 「……関係ないでしょ」


 結衣が俯いて答える。


「関係あんだよ。この学校はなぁ、選ばれた人間が来る場所なんだよ。お前みたいな貧乏人の娘が、俺たちと同じ空気を吸ってんじゃねーよ」


 男子生徒が、結衣のメイド服のリボンを乱暴に引っ張った。 ブチッ、という音がして、リボンが解ける。


「あっ……」


「その服も似合わねーんだよ。安っぽい女だなぁ」


 周囲の取り巻きが下卑た笑い声を上げる。 結衣は唇を噛み締め、じっと耐えている。拳が震えているのが見えた。


  昨日の夜、あんなに元気がなかった理由はこれか。 「パパに来てほしくない」と言ったのは、この惨めな姿を見られたくなかったからか。


(……あの子は)


 私は見覚えがあった。 この学校のPTA会長・権田原の息子だ。 親の権力を笠に着て、以前から問題を起こしているとは聞いていたが……まさか、こんな公衆の面前で。


「……やめてよ」


「あぁん? 生意気なんだよ、親父に似て無能のくせによぉ!」


 ドンッ!


 男子が結衣の肩を突き飛ばした。 結衣がよろめき、壁に背中を強く打ち付けた。


「うっ……」


 結衣が苦痛に顔を歪めた、その瞬間。


 ズキィッ!!


「うっ……!?」


 私の胸に、鋭い痛みが走った。 物理的な痛みではない。 娘が傷つけられたことによる、親としての「心の痛み」だ。


 情けなさと、悔しさと、申し訳なさ。 自分の娘がこんな目に遭っているのに、今まで気づいてやれなかった。 笑顔で学校に行っていると思っていたのに、あんな顔をさせていたなんて。


 胸が締め付けられるようで、呼吸ができない。 心臓を、冷たい手で握りつぶされるような感覚。


「ゆ、結衣……。ごめんな……パパが不甲斐ないばかりに……」


 私は胸を押さえ、廊下の陰にうずくまった。 代わってやりたい。 娘が味わっている屈辱や悲しみを、私が全部引き受けてやりたい。 張り裂けそうな胸の痛みで、視界が滲む。


「うぅ……心が……痛い……」


 ***


 同時刻。校舎の裏手。 歩き出そうとしていた西園寺玲華は、突然その場に崩れ落ちた。


「がはっ……!?」


 心臓を、見えない万力でギリギリと締め上げられるような激痛。 そして、どうしようもないほどの「悲しみ」が、津波のように押し寄せてくる。


「な、なに……これ……!? 心が……悲しい……!?」


 涙が勝手に溢れてくる。 自分のものではない感情。誰か大切な人が傷つけられたような、身を切られるような悲哀。 それは、先ほどあの男に触れられた場所から流れ込んでくるようだった。


 玲華の中で、点と線が繋がった。 治療による奇跡の回復。 そして、この不可解な「感情の共有」。


「間違いない……。あの方だわ……」


 玲華は確信した。 今、自分はあの男と繋がっている。 そして、あの方が今、この学校のどこかで、誰かにひどく心を傷つけられている。


「許せない……」


 悲しみは、瞬く間にどす黒い怒りへと変わった。 私がようやく見つけた光。私の命そのもの。 それを土足で踏みにじる愚か者が、この近くにいる。


 玲華はよろめきながら立ち上がった。 その瞳から、先ほどまでの「病弱な令嬢」の影は消え失せていた。 そこにいるのは、日本経済を牛耳る冷酷な「女帝」だった。


「情報部!! 今すぐ、校内にいる『ベージュのスーツの男性』を探しなさい!!」


 玲華はスマホに向かって、氷点下の声で命じた。


「彼が何を見て、何を悲しんでいるのか……0.1秒で特定して。 彼を泣かせた愚か者を……この私が、社会的にも生物学的にも、完全に抹殺して差し上げるわ」


 ***


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