第3話 社畜の胃痛、国家を揺るがす

「おい佐藤ッ!! なんだこの見積もりは!!」


 フロア中に、大音量の怒号が響き渡った。 月末の締め日。 スマイルフーズ営業部のオフィスは、殺伐とした空気に包まれていた。


 私は部長のデスクの前で、直立不動で怒鳴られていた。 私のハゲ上がった頭頂部に、部長の唾が飛んでくる。


「申し訳ありません。ですが、その数字は先日の会議で部長が……」


「口答えするな! 俺がそんなこと言うわけないだろ! お前の聞き間違いだ! 責任取って今すぐ書き直せ! 取引先にも土下座してこい!!」


 理不尽だ。 完全に部長の指示ミスなのだが、この会社では上司の言葉は絶対だ。 「部下の手柄は上司のもの、上司のミスは部下の責任」という社訓が、壁の裏に透けて見えるようだ。


 唾を飛ばして喚き散らす部長を見ながら、私は心の中で深く溜息をついた。


(はぁ……。またこれか)


 胃が、キリキリと痛む。 ここ数年、ストレスが溜まるとすぐに胃に来るようになった。 まるで胃袋を雑巾絞りされているような、重苦しい不快感。 胃薬は常備しているが、焼け石に水だ。


「すみません、すぐに……うっ」


 ズキン。


 今日のは特に痛いな。 突き刺すような鋭い痛みが走り、額に脂汗が滲む。 私は腹部を押さえながら、必死に愛想笑いを作った。


「す、すぐに修正しますので……」


 ああ、胃が痛い。 誰か、この理不尽な状況をなんとかしてくれないかなぁ。 私は霞む視界の中で、ぼんやりと現実逃避をしていた。


 ***


 同時刻。 永田町、国会議事堂。 衆議院予算委員会。


 テレビ中継も入る重要局面。 答弁席に立つ五十嵐総理は、野党からの激しい追及に対し、涼しい顔で答弁していた。 あの公園での「奇跡の治療」以来、彼の体調は万全だった。頭脳も冴え渡り、支持率も急上昇中だ。


「総理! 答えてください! この予算の根拠は!」


「えー、その件につきましては、資料の3ページ目を……ぐっ!?」


 突如、五十嵐の言葉が止まった。 マイクが「ゴフッ」という異様なうめき声を拾い、議場に響き渡る。


「そ、総理?」


 五十嵐は演台を両手でバンッ! と叩き、目を見開いて絶叫した。


「ぐ、ぁあああああああああっ!!?」


 激痛。 ただの腹痛ではない。 まるで焼けた鉄串を腹部に突き刺され、内臓をミキサーで撹拌されているような、致死レベルの苦痛だ。 脂汗が一瞬で吹き出し、視界が真っ赤に染まる。


「い、胃が……胃が爆発する……ッ! た、助け……!」


 騒然とする議場。 SPたちが駆け寄る中、五十嵐の耳に装着されたインカムから、内閣情報調査室ないちょうの緊迫した報告が入った。


『総理! 報告します! バイタル異常を検知! 原因を特定しました!』


 五十嵐は激痛に耐えながら、歯を食いしばった。 あの日以来、内調に命じて、あの不思議な男・佐藤健二を24時間体制で極秘監視させていたのだ。 自分の命があの男と繋がっているという仮説を検証するために。


『現在、監視対象「サトウ」は勤務先にて上司から激しい叱責を受けています!』


「な、に……?」


『モニターで確認しました! サトウが腹部を押さえて苦悶の表情を浮かべた瞬間……秒単位の誤差もなく、総理が倒れました!』


「……っ!!」


 五十嵐の脳内で、全てのピースが繋がった。 公園での治療。その後の爽快感。 そして去り際に佐藤が小指をぶつけた時、自分も小指が砕けるほど痛かったこと。

 そして今、佐藤が胃を痛めている瞬間に、自分の胃が引き裂かれそうなこと。


(まさか……連動シンクロしているのか!? 私の命は、あの冴えないサラリーマンと……!?)


『さらに報告! 本日未明よりサトウと接触のあった広域暴力団・鬼島組長も、現在、全く同時刻に「腹が痛い」とのたうち回っているとの情報あり!』


「き、鬼島だと……?」


 確定だ。 あの男に治された人間は、あの男と一蓮托生運命共同体になるのだ。 科学も理屈もどうでもいい。

 今、この痛みを止めなければ、私はショック死する。 日本の総理大臣が、一企業のパワハラ部長のせいで殉職するなど、あってはならない!


「……つ、繋げ」


『は?』


「その鬼島とやらに……回線を繋げ! 今すぐだ! 奴も被害者だ……協力を要請する……!」


 ***


 さらに同時刻。 都内某所の高級料亭。


 鬼島組長は、敵対する組織との「手打ち式」の真っ最中だった。 張り詰めた空気の中、盃を交わそうとしたその時、謎の激痛で畳の上を転げ回った。


「ぐぎゃあああっ! 腹がぁぁぁッ!!」


 敵の組長が「毒を盛ったな!」と騒ぎ、チャカを抜く修羅場となっている。

 だが、鬼島にとってチャカなどどうでもよかった。腹の痛みが世界の終わりレベルなのだ。


 その時、鬼島の懐のスマホが鳴った。 表示は「非通知」。 だが、鬼島は本能的に、それが「助かる道」だと感じて受話ボタンを押した。


「……あ、あぁ!? 誰だ! 今死にそうなんだよォ!!」


『……聞け。内閣総理大臣の五十嵐だ』


「はぁ!? 総理だぁ? 詐欺なら後にしろ!」


『私も今、死にそうだ!!』


 スピーカーから聞こえる、悲痛な叫び。 鬼島はその声に、自分と同じ「地獄の苦しみ」を感じ取った。 嘘ではない。この声は、同じ痛みを共有する「同志」の声だ。


『お前の痛みは毒じゃない。……佐藤健二だ』


「あ、あのお方か……!?」


『やはりお前も会っていたか。……推測だが、あの男が痛みを感じると、我々にもそれが伝播するらしい。今、佐藤は会社でパワハラを受けて胃を痛めている』


「な、なんだとぉ……!?」


 鬼島の目に、殺気が宿った。 あのような聖人にストレスを与え、あまつさえ俺様まで巻き添えにするふざけた野郎がいるのか。

 その部長とやらは、万死に値する。


『私が警察を動かせば手続きで時間がかかる。だが、君なら「早い」だろう?』


「……へへっ、なるほどな」


 鬼島は激痛に顔を歪めながらも、ニヤリと笑った。 国のトップからの、超法規的な「SOS」であり「依頼」だ。 断る理由などない。


『私の権力で君たちの罪は不問にする。だから……』


『今すぐ行って、あの男の「胃痛の原因」を排除しろぉぉぉっ!!』


 二人の声が重なった。 原因が「呪い」でも「超能力」でも構わない。 ただ「痛みを止めたい」という一点において、国家と暴力団は、史上最強かつ最悪の同盟を結んだのである。


 ***


「お前なぁ、やる気あんのか!!」


 部長の説教は、まだ続いていた。 もう三十分も立たされている。 胃の痛みはピークに達し、視界が少し霞んできた。


(もうだめだ……。早退させてもらおうかな……)


 私が限界を迎えそうになった、その時。


 ドォォォォン!!


 会社の自動ドアが、蹴破られるような轟音と共に開いた。


「な、なんだ!?」


 社員たちが一斉に入り口を見る。 そこになだれ込んできたのは、黒いスーツを着た数十人の男たちだった。

 一見して只者ではない。 鋭い眼光、無駄のない動き。先頭に立つ男たちは警察手帳のようなものを掲げているが、その後ろに控える男たちは、どう見てもカタギの目をしていない。


 まるで猛獣の群れだ。


労働基準監督署こうあんけいさつだ!! 強制捜査を行う!!」


 先頭の男が叫んだ。 労基署? こんなに大勢で? しかも全員サングラス着用で?


「な、何事だ!」 部長が慌てて駆け寄る。 「うちは適正な労働環境を……」


「黙れ!!」


 ドスッ!


 説明しようとした部長が、強面の男に無言でボディブローを食らった。


「ぶべっ!?」 部長がカエルのような声を出してうずくまる。


「貴様が……! 貴様が『原因』か……!!」


 男は部長の胸ぐらを掴み上げると、涙目で叫んだ。 その顔は必死そのものだ。演技ではない、魂の叫びだ。


「貴様のせいで……! 日本のトップが二人も死にかけているんだぞ!! 直ちに謝罪しろ! そして二度と口を開くな!!」


「ひぃぃっ!?」


 部長はそのままズルズルと連行されていった。 残された社員たちが呆然としていると、今度は別のスーツ集団が私の前に整列した。


「さ、佐藤健二様ですね!?」


「は、はい……?」


「我々は、本日付けでこの会社の筆頭株主となった『KJMホールディングスきじまぐみ』の者です!」


 男たちは軍隊のように直角にお辞儀をした。 その迫力に、私は思わず後ずさる。


「佐藤様! これまでの不適切な労働環境、誠に申し訳ございませんでした! 直ちに以下の改革を実行します!」


 男が巻物のような長い紙を広げ、高らかに読み上げた。


 一、部長の即時解雇、および永久追放。

 一、佐藤様の給与の300%アップ。

 一、佐藤様の残業の完全禁止。定時退社を義務化。

 一、社長以下、全社員による佐藤様への『忖度サポート』の徹底。


「……えっ?」


 私は耳を疑った。 なんだその夢のような条件は。 ここ数年、政府が「働き方改革」を推進しているとは聞いていたが、ここまでドラスティックなのか?


「あ、あの、それは私だけですか? 他の社員は?」


「も、もちろん全社員適用です! 佐藤様が心を痛めるような環境は、すべて排除します!」


 男たちが一斉に叫ぶ。 その瞬間、社内から「うおおおおお!」という歓声が上がった。 ブラック労働に苦しめられていた同僚たちが、涙を流して喜んでいる。


「よかったですね、佐藤さん! ありがとうございます!」 「佐藤さんがいてくれてよかった!」


 みんなが私に駆け寄り、握手を求めてくる。 ふと気づくと、胃の痛みが、すぅっと引いていくのが分かった。


(すごい……。これが、国が本気を出した『働き方改革』ってやつなのか……?)


 私は感動に打ち震えた。 多少手荒だった気もするが(部長が白目を剥いていたし)、結果的にみんな幸せになったのだから文句はない。 やはり、真面目に働いていれば誰かが見ていてくれるのだ。


「いやぁ、いい時代になったなぁ」


 私は完全に痛みが消えたお腹をさすりながら、振る舞われた高級ハーブティーを啜った。


 ***


 その日の夕方。 私は数年ぶりの定時ダッシュで帰宅し、テレビのニュースを見ていた。


『――速報です。本日未明に体調不良を訴えていた五十嵐総理ですが、先ほど公務に復帰されました。記者団に対し、「胃のつかえが取れた。国民一人一人のストレスを減らすことが、我が国の急務だ」と述べ――』


 画面の中で、五十嵐総理が晴れやかな笑顔で手を振っている。 完璧にセットされた髪、高そうなスーツ、自信に満ちた表情。まさに国のリーダーだ。


 私はふと、先日の公園で会った老人のことを思い出した。


「……いや、まさかな」


 あの時の老人は、髪はボサボサで服はヨレヨレ、顔色は死人のように土気色だった。 テレビの中の、オーラ満載の総理とは似ても似つかない。 きっと空似だな。私は「別人」だと結論づけ、リモコンでチャンネルを変えた。


 その時、スマホが鳴った。非通知だ。


「はい、もしもし?」


『……あー、佐藤様でしょうか』


 低く、威厳のある声。だが、どこかへりくだった響きがある。


『私、こういう者です。……本日は、お騒がせしました。体調はいかがですか?』


「ええ、おかげさまでスッキリしましたよ。労基署の方ですか?」


『……ええ、まあ、似たようなものです』


 電話の相手――五十嵐総理は、官邸の執務室で冷や汗を拭いながら答えた。 隣には、なぜか鬼島組長も正座して控えている。 二人の前には、直通のホットラインが開かれたままだ。


『佐藤様。今後、何か不満やストレスがあれば、この番号に24時間いつでもお電話ください。あなたの健康は……日本の、いや、私の命そのものですから』


「ははは、大げさですねぇ。役所の方って親切なんだな」


 私は苦笑した。 なんて手厚いアフターサービスだろう。 公務員も捨てたもんじゃない。


「ありがとうございます。じゃあ、お言葉に甘えて。……そういえば、来週は娘の文化祭なんですけど、仕事が休めるか心配で」


『文化祭ですね!? 直ちに『国民の祝日』を検討します!!』


「えっ」


『……失礼、取り乱しました。有給休暇が確実に取れるよう、手配いたします』


 プツン、と電話が切れた。


「不思議な人だなぁ」


 私は首をかしげながら、夕食の準備をしている妻と娘に声をかけた。


「結衣、来週の文化祭、パパ絶対行けるからな!」


「えー、来んの? まぁ、別にいいけど」


 娘の結衣は素っ気ないが、まんざらでもなさそうだ。 平和だ。 会社はホワイトになったし、体調も万全。 私の人生、もしかして上向き調子なんじゃないか?


 ――だが私は知らなかった。 来週の文化祭が、日本の経済界を牛耳る「女帝」を巻き込んだ、新たな大事件の舞台になることを。 私の平穏な日常は、まだ始まったばかりなのだ。


 ***


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