第2話 強面の猫好き

 あの「公園の老人事件」から数日が経った。


 最近、私の体調は不思議なことになっている。 疲れやすくなったのだ。 以前なら一晩寝れば回復していた疲れが、泥のように体にこびりついている。 朝、目覚まし時計を止める指さえも鉛のように重い。


「……はぁ。歳かなぁ」


 その代わりと言っては何だが、手足がポカポカと温かい。

 以前は酷い末端冷え性で、冬場は指先が氷のようになっていたのだが、今はまるで暖房器具でも埋め込まれたかのように熱を帯びている。 妻の恵子にも「あら、あなた手が温かいわね」と驚かれたくらいだ。


 金曜日の夜。 私はまたしても残業で終電を逃し、トボトボと夜道を歩いていた。


「最近、やけに身の回りでドラマチックなことが起きる気がするなぁ」


 倒れている老人を助けたり、その翌日に部長が階段で転びそうになったのを間一髪で支えたり。 平凡な私の人生にしては、イベントが多すぎる。


「……ま、まさかな」


 ふと、先月酔っ払った勢いで応募したスマホの画面を思い出した。 居酒屋で同僚と飲んでいた時、話題になっていた番組だ。


『視聴者参加型・超大規模ドッキリスター誕生! ~あなたの日常が映画になる~』


 今、SNSで話題沸騰中の番組だ。 一般人をターゲットに、映画並みのセットとエキストラを使って壮大なドッキリを仕掛けるという、コンプライアンスギリギリの過激なバラエティ。


 優勝賞金は一千万円。


「まさか、当選したなんてことはないだろう」


 あれは倍率数千倍の人気番組だ。 私のような、特徴のない中年サラリーマンが選ばれるはずがない。 私は頭を振って、そのバカげた考えを夜風と一緒に追い払った。


 いつもの公園に差し掛かる。 街灯がチカチカと点滅している。


「……んごぉっ、ぐ、ぅぅ……!」


 デジャヴだ。 また誰かいる。


 今度はベンチではない。 公園の奥にある、御神木のような大きなけやきの木の下で、巨大な何かがうごめいていた。


「な、なんだ?」


 恐る恐る近づいてみる。 街灯の明かりに照らし出されたのは、人間とは思えないほど屈強な大男だった。

 身長は一九〇センチくらいあるだろうか。


 首の太さは私の太ももくらいあり、着ている派手なストライプのダブルスーツは、盛り上がった筋肉ではち切れそうだ。

 頭は剃り上げたスキンヘッド。そして左頬には、古傷のような大きな切り傷が走っている。


(ヒッ……! ほ、本職の方……!?)


 私は本能的に後ずさりした。 関わってはいけない。これは見て見ぬふりをするのが正解だ。 絶対に、抗争の傷を癒やしている最中か、あるいは埋める穴を探している途中だ。 引き返そうとした、その時。


「ニャ~」


 男の懐から、愛らしい鳴き声が聞こえた。


「……おぅ、大丈夫か……怖かったなぁ……」


 男は、その凶悪な顔面をくしゃくしゃに歪めて、何かを愛おしそうに抱いている。 泥だらけの、小さな白猫だった。


 そして、男が動こうとするたびに「ぐっ……!」と顔をしかめている。


 足がおかしい。 右足の足首が、ありえない方向に曲がっている。 木の上を見上げると、太い枝が一本、バッキリと折れていた。


(なるほど……)


 状況証拠から、名探偵・佐藤健二は推理した。


 1.子猫が木から降りられなくなった。

 2.この強面の人は、見かけによらず猫好きで、助けようとした。

 3.木から落ちて、足を骨折した。


「……ぷっ」


 緊張が解け、思わず吹き出しそうになった。 なんだ、いい人じゃないか。 「猫好きに悪い人はいない」というのは、亡くなった祖母の遺言だ。


 見た目は怖いが、きっと近所の警備会社セキュリティ・サービスの社長さんとかだろう。


「あの、大丈夫ですか?」


 私は勇気を出して声をかけた。 男がギロリと私を睨む。 その眼光だけで、飛んでいる蚊が心臓麻痺を起こしそうなほどの殺気だ。


「あぁん? ……なんだテメェ、見世物じゃねぇぞ」


「いえ、その足。折れてますよね? 木から落ちたんですか?」


「……ッ、うるせぇ! 猫が鳴いてたから……ただ、それだけだ……!」


 顔を真っ赤にして言い訳する姿は、なんだか可愛いげがある。 私は苦笑しながら、男の足元にしゃがみ込んだ。


「動かないでくださいね。救急車が来るまで、応急処置しておきますから」


「おい、触るな! 俺の体に気安く……ギャッ!?」


 私が患部に手を置いた瞬間、男が短く叫んだ。


 まただ。 あの夜と同じ、奇妙な熱が掌から溢れ出した。


(やっぱり、最近の手の温かさは異常だな。カイロいらずで便利だけど)


 私はその熱を、男の折れた足に押し込むようにさすった。 ぐにゃりと曲がっていた骨が、私の手の中で生き物のように動き、ボキボキと音を立てて元の位置に戻っていく感触がある。


 これは……自分でも驚きだ。もしかして私には「整復師」の才能があったのかもしれない。定年後は整体院でも開こうか。


「よしよし、痛いの痛いの、飛んでいけー」


「……あ?」


 男がポカンと口を開けた。 先ほどまで脂汗を流していた顔色が、みるみる赤みを取り戻していく。 それどころか、頬にあった古傷までもが薄くなり、肌がツヤツヤになっている気がする。 まるで高級エステ帰りのようだ。


「お、おい……痛くねぇぞ? なんだこれ……足が動く……?」


 男は猫を片手で抱いたまま、恐る恐る立ち上がった。 そして、その場で軽くジャンプしてみせる。 ドスン、という着地の衝撃にもビクともしない。


「馬鹿な……。複雑骨折してたはずだぞ……? 貴様、何を使った!? 新種の覚醒剤クスリか!?」


「ただのマッサージですよ。あと、骨を正しい位置に戻すコツがあるんです」


 私は立ち上がり、スーツの埃を払った。 男は化け物を見るような目で私を見つめ、後ずさりしている。 そんなに驚かなくてもいいのに。


「あ、そうだ。これ、猫ちゃんにあげてください」


 私はコンビニ袋から、夜食用に買っていた魚肉ソーセージを取り出し、男に渡した。


「え……?」


「猫助けの名誉の負傷、お見事でした。見た目は怖いですけど、優しいんですね」


 私はニッコリと笑いかけた。 男はソーセージを握りしめたまま、彫像のように固まっている。 頬が少し紅潮しているのは、照れているからだろうか。


「じゃあ、気をつけて」


 私は軽く会釈をして、その場を後にした。 背後で男が「あ、あにき……!?」と呟いた気がしたが、きっと猫の名前だろう。


 ***


 翌日。月曜日。 広域指定暴力団「鬼島組」の事務所は、異様な緊張感に包まれていた。


 組長の鬼島源次郎きじま げんじろうが、昨晩から様子がおかしいのだ。 「公園で『仏』に会った」とブツブツ呟きながら、肌身離さず魚肉ソーセージを持ち歩いている。


 しかも、長年患っていた糖尿病の数値が正常化し、肌年齢が二十代に戻ったという。 組員たちは「親父がヤバい薬に手を出したんじゃないか」と戦々恐々としていた。


「親父、本当に大丈夫ですか? 何か盛られたんじゃ……」


 若頭が心配そうに声をかける。 鬼島は上機嫌で、愛用のドス(短刀)の手入れをしていた。 その刃は妖しく光り、どんなものでも両断する切れ味を誇る。


「馬鹿野郎。あれはただの人間じゃねぇ。俺の折れた足を一瞬で治しやがった。あのお方は、俺たちのような汚れた人間にも光を当ててくださる『聖人』だ……」


 鬼島はうっとりとした目で、窓の外を見つめた。 あの日、痛みと恐怖の中で見た、あの男の笑顔。 それは、地獄に垂らされた蜘蛛の糸のように見えた。


「もう一度お会いして、この命を預けたい……」


 その時だった。


「あっ」


 都内のオフィスビル。 佐藤健二は、コピー機の用紙を補充しようとして、うっかり指の腹を紙の端で切ってしまった。 ペーパーカット。 地味だが、鋭い痛みが走るやつだ。


「いたっ。……血が出ちゃったな」


 佐藤は指先を口に含み、引き出しから絆創膏を探した。 ほんの数ミリの、浅い切り傷だ。


 ――しかし。


「――ぎゃあああああああああああああっ!!?」


 鬼島組の事務所に、魔獣の咆哮が轟いた。


「お、親父ぃっ!?」


 組員たちが振り返ると、そこには信じられない光景があった。 歴戦の武闘派として知られ、かつて敵対組織に銃で撃たれても眉一つ動かさなかった鬼島が、畳の上でのたうち回っているのだ。


「指がッ! 指が斬り落とされたぁぁぁっ!!」


「なっ……!? 親父、指はついてますぜ!?」


「馬鹿野郎! 見ろ! 全身の神経が焼き切れるほど痛いんだよォ!!」


 鬼島は白目を剥き、泡を吹いて倒れ込んだ。 実際には指一本触れられていない。 だが、佐藤が感じた「チクリとした痛み」は、リンクを通じて数倍に増幅され、「日本刀で指を削ぎ落とされた」レベルの激痛となって鬼島を襲っていたのだ。


「敵襲だぁっ!! 見えない敵の斬撃だ!!」


「親父を守れェェッ!! 窓を閉めろ!!」


 怒号が飛び交い、チャカ(拳銃)を取り出す組員たち。 平和な月曜の昼下がり、裏社会は謎の「透明な暗殺者」の恐怖に突き落とされた。


 一方、佐藤は。


「ん、これくらいの傷ならすぐ治るか」


 絆創膏をペタリと貼り、満足げに頷いていた。 その瞬間、鬼島の激痛も嘘のように消え去る。


「……はぁ、はぁ、治った……? まさか、あのお方が『治療』してくださったのか……?」


 鬼島は汗だくで天井を見上げた。 恐怖と、それ以上の畏敬の念がこみ上げてくる。 自分の体は、もはや自分のものではない。あの方と繋がっているのだ。


「俺の命は、あの方の手の中にある……。 野郎ども! 直ちにあの方を探し出せ! 指一本、ササクレ一つ作らせるな!!」


 こうして、日本の裏社会もまた、佐藤健二の「過保護な下僕」となったのである。


 ***


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