第1章 帰還者と、深夜の職務質問

「……チッ。空気が不味い」

 

 それが、再契約を結んだ直後の勇者様の第一声だった。

 

 セレスは不愉快そうに鼻に皺を寄せ、油断なく路地裏の暗がりを睨みつけている。


魔素マナが枯渇しているな。これでは広範囲殲滅魔法ストラテジック・ブレスは撃てんぞ。トウヤ、お前の隠蔽スキルはどうだ?」


「問題ない。俺の『影』は魔力依存じゃないからな。……それより、その物騒な単語を二度と口にするな」


「フン。陰気なスキルだけは達者なことだ」

 

 憎まれ口を叩きながら、セレスは当然のように俺の背後に回った。

 

 ピタリと背中を合わせるのではなく、正確に二メートル後方。

 

 俺を先頭(斥候)にして、自分は殿(しんがり)を務め、後方からの奇襲に対処する隊形だ。

 

 ……腹が立つが、動きに無駄がない。

 

 俺たちは三年間、嫌というほどこのフォーメーションでダンジョンの死線を潜り抜けてきたのだ。


「行くぞ。こんなゴミ捨て場で夜明かしする趣味はない」


「指図するな。雇い主は私だぞ」


「金を出してるのは俺だ」

 

 俺は溜息をつき、薄汚れた路地裏を歩き出した。

 

 時刻は深夜二時過ぎ。

 

 ここは新宿あたりの繁華街だろうか。遠くからパトカーのサイレンと、酔っ払いの喧騒が聞こえる。

 

 とりあえず、コンビニで水と食料を調達して、俺のアパートへ向かう。それが最適解だ。

 

 だが、現実はそう甘くなかった。

 

 路地裏を抜け、表通りに出ようとしたその瞬間。

 

 強烈な白い光が、俺たちの網膜を焼いた。


「――おい、そこの二人! 止まりなさい!」

 

 LEDライトの直射。

 

 目を細めると、制服を着た二人の男が立っていた。自転車に乗った警察官だ。

 

 深夜の路地裏から、ボロボロの鎧を着た銀髪美少女と、血で汚れた服の男が出てくれば、職務質問されるのは自然の摂理だ。


「うわっ、凄い格好だな……。君たち、何か事件か? その血は……」

 

 警官の一人が、心配そうに歩み寄ってくる。

 

 まずい。セレスの鎧にへばりついている赤黒い汚れは、バトルで浴びたドラゴンの返り血だ。ルミノール反応が出たら言い逃れできない。

 

 俺が適当な嘘(ハロウィンの練習で転んだ、とか)を考えようとした、その時。

 

 背後で、カヂリ……と金属音が響いた。

 俺の背筋が凍りつく。

 

 その音は、セレスが「敵」を認識した時に、剣の鯉口を切る音だ。


「――おい、トウヤ」


「……なんだ」


「前方の二人、妙な制服を着ているな。この街の衛兵か?」

 

 セレスの声は、鈴が鳴るように美しいが、感情が欠落していた。

 

 完全に「勇者モード」の声だ。


「装備が貧弱すぎるぞ。腰に下げているのは……短い棍棒(メイス)と、小口径の魔道具(つつ)か? 魔力反応もなし。……殺(や)るか?」


「殺るな馬鹿ッ!!」

 

 俺は叫ぶと同時に、スキルを発動した。

 

 ――固有スキル『影縛り(シャドウ・バインド)』。

 

 街灯によって伸びた俺の影が、生き物のように鎌首をもたげ、抜剣しようとしていたセレスの手足を瞬時に拘束した。


「ッ!? 貴様、裏切る気か!?」


「違う! あれは敵じゃない! 『警察』といって、治安を守る組織だ!」


「治安維持部隊だと? ならなぜ、善良な市民である我々に威嚇の光を向けた! 敵対行動だろう!」


「確認しただけだ! 頼むから常識をアップデートしてくれ!」

 

 セレスが俺の影を引きちぎろうと暴れる。

 

 ミシミシと影が悲鳴を上げる。なんて馬鹿力だ。竜の鱗すら素手で引き剥がす腕力だぞ、強化魔法なしで抑え込めるか怪しい。

 

 一方、警官たちは俺たちのやり取りを見て、完全にドン引きしていた。


「き、君たち……ちょっと署まで来なさい。薬物検査もしようか」


「あー、もう! これだから脳筋と組むのは嫌なんだ!」

 

 俺は決断した。

 

 帰還初日に逮捕、しかも元勇者が公務執行妨害(物理)で国家権力と戦争を始めるよりは、逃亡犯になった方がマシだ。

 

 俺たちの戦う相手は、日本の法律じゃない。


「逃げるぞセレス!」


「は? なぜ雑魚相手に逃げねばならん!」


「命令だ! 金が欲しけりゃ従え!」

 

 俺は拘束を解くと同時に、セレスの手首を掴んで走り出した。

 

 身体強化フィジカル・ブースト

 

 ダンッ! とアスファルトを蹴り抜き、一気にビルの配管へ飛びつく。


「おい、離せ! 汚い手で触るな!」


「文句を言うな! 舌を切るぞ!」


 俺たちは軽業師アクロバットのように外壁を駆け上がり、ビルの屋上へと躍り出た。

 

 眼下に広がる東京の夜景。

 

 無数の光の海を見て、セレスが一瞬だけ息を呑んだのが分かった。


「……眩しいな」


「ああ。電気代の無駄遣いだよ」

 

 感傷に浸る間もなく、俺たちは屋上を疾走する。

 

 ビルからビルへ。

 

 かつて魔王城への潜入ルートで見せた連携。

 

 俺が着地点を指差し、セレスがそれに合わせて跳ぶ。互いに口汚く罵り合っているのに、呼吸だけが恐ろしいほど合致しているのが、どうしようもなく腹立たしい。

 

 俺たちはもう、一人じゃ戦えない体にされちまったのか。

 

 十分ほど走り続け、追っ手を撒いた俺たちは、人気のない公園の植え込みに滑り込んだ。


 深夜の公園は静寂に包まれている。


「……はぁ、はぁ。最悪だ」

 

 俺はベンチに倒れ込んだ。

 

 帰還早々、指名手配犯のような扱いだ。これじゃあ異世界で賞金首になっていた頃と変わらない。

 

 隣では、セレスが涼しい顔で呼吸ひとつ乱していない。


脆弱ぜいじゃくだな、トウヤ。あの程度の運動で息を上げるとは。やはり前衛は私で正解だったな」


「うるせえ。誰のせいで走ったと思ってるんだ」


「お前の指示ミスだ。初動で『あの敵は殺してはいけない』と情報共有しておけば、無力化(ミネウチ)で済ませたものを」


「警官相手に峰打ちをするな!」

 

 だめだ、会話が通じない。

 

 俺は頭を抱えた。

 

 こいつを野放しにするのは、核弾頭のスイッチを猿に持たせるようなものだ。

 

 やはり、俺が首輪(契約)をつけて管理するしかないのか。

 

 平和な日常? 無理だろ、これ。


「……おい。それよりトウヤ、契約の履行を頼む」


「あ?」


「兵糧だ。腹が減って動けん」

 

 見ると、公園の入り口にあるコンビニの明かりを、セレスがじっと凝視していた。

 

 さっきまでの殺気はどこへやら、今の彼女はただの腹ペコな駄犬だ。

 

 腹の虫が盛大に鳴っている。……勇者の威厳はどうした。


「……はぁ。待ってろ」

 

 俺はコンビニに入り、温かい肉まんと水を二つずつ買った。

 

 店員が俺の汚れた服を見てギョッとしていたが、「劇団員です」という顔で押し通した。日本の「空気を読む」文化に感謝だ。

 

 公園に戻り、セレスに肉まんを投げる。


「食え。日本の携行食だ」


「ほう……温かいな。毒見は済んでいるのか?」


「入ってねえよ」

 

 セレスは疑り深そうに匂いを嗅ぎ、それから恐る恐る一口かじった。

 

 サクッ、という音と共に湯気が立ち上る。

 

 瞬間。


 彼女の蒼い瞳が、カッと見開かれた。


「……ッ!?」

 

 お、感動したか?

 

「美味しい!」と笑顔を見せるか?


「……フン。悪くない」

 

 セレスは口元の肉汁を拭い、すました顔で言った。


「外皮の柔らかさと、内部の肉餡のバランス……計算されているな。アステリアの王宮料理には劣るが、野戦食にしては及第点を与えてやろう」

 

 そう言いながら、彼女は猛烈な勢いで肉まんをハフハフと頬張っている。

 

 口の端にタレがついているぞ。

 尻尾があったら千切れんばかりに振っているのが見えるようだ。

 

 言葉は可愛くないが、行動は正直すぎる。こいつのこういう所が、昔から調子狂うんだよな。


「素直に美味いって言えよ」


「勘違いするな。空腹は最高のスパイスというだけだ。……おかわりはあるか?」


「ねえよ。行くぞ」


 俺は立ち上がった。

 

 東の空が白み始めている。


「どこへ行く? 野営地の確保か?」


「俺の家だ。とりあえずシャワーを浴びて、その血生臭い鎧をどうにかする」


「私の拠点はどうする」


「俺の部屋だ。……金がないんだろ」


「チッ。仕方ないな」

 

 セレスは不満そうに舌打ちをしたが、その足取りは軽かった。

 

 俺の後ろ、正確に二メートル後方。

 

 彼女は周囲を警戒しながらついてくる。


「おいトウヤ。右前方の電柱、カラスがいるぞ。撃ち落とすか?」


「やめろ」


「左後方、新聞配達のバイク。殺気はないが、速度が出ている。迎撃準備を……」


「無視しろ」


「なんだ、平和ボケしたか? その隙だらけの背中、刺されても知らんぞ」

 

 セレスが嘲笑うように言う。

 

 俺は振り返らず、肩越しに答えた。


「刺されないよ」


「なぜ断言できる」


「お前が後ろにいるからな」

 

 一瞬、背後の気配が固まったのが分かった。

 だが、すぐに「……フン」という鼻息と、小さく剣の柄を握り直す音が聞こえた。

 

 信頼なんかじゃない。

 

 ただの事実確認だ。

 

 こいつは性格は最悪だが、仕事だけは完璧にこなす。俺の背中を守ると契約した以上、神だろうが悪魔だろうが通しはしないだろう。

 

 だから俺は、ポケットに手を突っ込んで、無防備に前だけを見て歩くことができる。

 

 ……先が思いやられる。

 

 俺の望んだ「平穏な日常」は、どうやら世界最強の相棒によって、粉々に粉砕されたようだった。

 

 こうして、俺と元勇者の同居生活は、最悪のサイレン音と共に幕を開けたのだった。



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