2話
冒険者ギルドの奥は、昼でも薄暗い。
酒場の喧騒から隔てられた石壁の内側。
昼の時間帯であっても、ここには外光がほとんど届かない。
壁に埋め込まれた魔力灯が淡く照らすだけの空間だ。
掲示板もない。
依頼書も貼られていない。
ここは、仕事を始める場所ではなく、
終わった仕事――あるいは、終わらせたことにする仕事を扱う場所だった。
長机を挟んで、数人が席に着いている。
受付担当。
現場確認を担当した冒険者。
記録係。
そして、冒険者ギルドの管理責任者。
誰一人として立っていない。
全員が座っている。
それだけで、この件が「通常業務ではない」ことは十分に伝わっていた。
沈黙は短く、だが重い。
「……まず、整理します」
最初に口を開いたのは記録係だった。
淡々とした声音で、紙束を一枚ずつ机の上に並べていく。
「依頼内容は、国境付近の村における家畜被害。被害対象は牛および山羊。数は不明」
「初期報告では、夜間に家畜が消失。血痕あり。住民に直接的被害はなし」
そこまでは、よくある。
魔族が過去に生み出した生物兵器――魔物。
それらが野に残り、動物と交配することで生じる魔獣。
凶暴性の増加、身体構造の変化、異常な繁殖力。
一般人にとっては脅威だが、
冒険者にとっては「少し厄介な野生動物」でしかない。
「討伐対象は魔獣、推定一体。危険度は中級相当」
机の周囲にいる者たちの誰も、そこで異議を挟まない。
常識的な判断だった。
「派遣冒険者は中級三名。構成は剣士・斥候・魔術師」
紙をめくる音が、やけに大きく響いた。
「――派遣後、連絡なし」
「帰還予定日を過ぎても報告がなく、捜索要請に切り替え」
「現場確認担当が村へ向かい……」
言葉が、そこで一度、止まる。
「冒険者三名は、現在も行方不明です」
室内の空気が、目に見えて沈んだ。
「……現場確認の結果を」
管理責任者の低い声に促され、
確認担当の冒険者が、ゆっくりと口を開く。
「村は……空でした」
誰もすぐには反応しない。
それをどう受け取るべきか、全員が一瞬、測っている。
「焼失はなし。建物の損壊も限定的」
「家屋は残存。生活の痕跡も、そのままです」
「逃げた形跡は?」
「ありません。荷物も、食料も、放置されたままです」
淡々とした報告が、逆に異常さを際立たせる。
「血痕は確認されました」
「屋内、屋外、複数箇所。争った痕跡もあります」
一拍。
「ですが――」
確認担当は、言葉を選ぶように息を吐いた。
「魔獣の痕跡とは、言い切れません」
管理責任者が、視線を上げる。
「具体的には?」
「捕食痕が不自然です。噛み跡の形状が一致しない」
「引き裂かれ方も、魔獣としては効率が悪すぎる」
魔獣であれば、獲物を倒すための“型”がある。
だが、今回の痕跡は、それを外れていた。
「魔族の関与は?」
「否定はできません。ただし……」
「断言もできない、か」
「はい」
「越境は?」
「確認されていません」
その言葉に、誰も安堵しない。
越境がない。
それは、責任の所在が曖昧になるという意味でもある。
「……討伐対象の再分類が必要だな」
受付担当が、低く言った。
「魔獣のままでは、次の依頼を出せない」
「同条件で派遣すれば、同じ結果になります」
管理責任者は即座に頷く。
「冒険者を送れない、という意味だ」
紙の上で、ペンが止まる。
「……では、対象は」
誰かが言い淀む。
その沈黙を、記録係が引き取った。
「――キメラ。推定ですが」
キメラは、大戦期の記録にのみ残る異種融合個体だ。
現存例は確認されておらず、発生条件も失われたとされている。
言葉を続ける。
「複数系統の痕跡が混在しています。単一の魔獣とは考えにくい」
「現時点で該当する分類は、それしかありません」
誰も否定しなかった。
「確定ではない」
「だが、魔獣ではない」
「兵を出す案件か?」
管理責任者は、首を振る。
「越境はなく、戦争行為でもない」
「現時点では、あくまでギルド案件だ」
それは、明確な線引きだった。
正しい。
正しすぎるほどに。
「……中級三名は」
確認担当が、声を落とす。
「死亡扱い、ですか」
「はい」
即答だった。
「遺体は未回収。だが、生存条件を満たさない」
記録上の判断。
それが、この場の仕事だ。
誰も反論しない。
「村の扱いは?」
「空村として記録します。住民全滅、原因不明」
誰かが、無意識に唇を噛んだ。
「依頼は?」
「凍結です」
管理責任者が、はっきりと言い切る。
「討伐対象が確定しない以上、新規派遣は行いません」
「……危険じゃないですか」
若い受付担当が、思わず漏らした。
管理責任者は、その視線を真正面から受け止める。
「だからこそだ」
一瞬、間が落ちる。
「不確定な敵に、冒険者を投げる方が危険だ」
正論だった。
「判断としては――正しい」
誰もが理解している。
だからこそ、
机の上に並べられた紙の重さが、
やけに指先に残った。
◇
会議が終わり、人が散る。
酒場の方からは、
いつも通りの笑い声が聞こえてくる。
依頼を選ぶ声。
報酬の話。
明日の予定。
何も変わらない。
掲示板には、新しい依頼が貼られる。
家畜の護衛。
街道の警備。
境界から一歩離れた、安全な仕事。
誰も、間違っていない。
村の件は凍結された。
冒険者三名は、死亡扱いになった。
討伐対象は「再確認中」として保留された。
それが、今できる最善だった。
だが――
最善とは、進むことではない。
立ち止まり、
距離を取り、
様子を見るという選択だ。
誰も無謀を望まなかった。
誰も犠牲を出したくなかった。
だから、
誰も踏み込まなかった。
冒険者ギルドは、
今日も判断を積み重ねる。
正しく。
慎重に。
誠実に。
その判断の外側で、
何かが育っていることを――
この時点では、
まだ誰も「問題」とは呼んでいなかった。
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