第2章 委ねられた世界

1話

グランドール王国は、高い城壁に囲まれた巨大な都市国家だった。


台形に近い形をした領土の外周を、厚く積み上げられた白灰色の壁が覆っている。

石は長年の風雨でくすみ、ところどころに補修の跡が残っているが、

その厚みと高さは今なお圧倒的だった。


壁の上には常に兵が立つ。

昼夜を問わず、交代を繰り返しながら槍を持ち、遠方を見張っている。

それは警戒であると同時に、この国が置かれた立場を象徴していた。


魔族領と隣り合う国。

それだけで、ここは「最前線」になる。


城壁の内側。

都市は、明確な階層によって区切られている。


最奥、最も高い位置にそびえるのが王城だ。

白石で築かれた城は、街のどこからでも見上げることができる。

高く、明るく、揺るぎない姿で、常に人々の視界に入る。


それは権威の象徴であり、

同時にこの国が「勇者の国」であることの証でもあった。


王城の周囲には貴族街が広がる。

整えられた石畳。

均整の取れた屋敷。

庭園には手入れの行き届いた草木が並び、

外壁には家紋が刻まれている。


魔族との戦争で名を上げた家系。

代々この国を支えてきた貴族たち。

彼らは、勝者の歴史を住居として纏っていた。


その下に、平民街が続く。


商人、職人、冒険者。

人の流れは絶えず、通りには露店の呼び声と酒場の笑い声が溢れる。

日々の営みが、重なり合い、街を動かしている。


冒険者ギルドの建物も、この区域に構えられていた。


魔族や魔物の討伐。

街中の揉め事の仲裁。

時には傭兵として、戦場へ赴くこともある。


魔物とは、かつての大戦で魔族が生み出した生物兵器が野良化した存在だ。

制御を失い、世界に放たれた爪痕。

戦争が終わった今も、その影は消えていない。


そして、街の外れ。

城壁に最も近い位置には、スラム街があった。


日当たりは悪く、建物は粗末だ。

屋根は歪み、壁は継ぎ足しだらけ。

それでも、人は生きている。


物乞いも、孤児も、流れ者も、

ここでは街の一部だ。


この国の繁栄と影が、

最も濃く現れる場所でもあった。


そのすべてを見下ろす位置に、王城はある。


そして今――

その王城の中で、会議が開かれていた。



王城の会議室は、静かだった。


重厚な扉が閉じられ、外界の音は遮断されている。

高い天井に吊るされた照明が、円卓を柔らかく照らしていた。


円卓を囲む席はすでに埋まっている。

重厚な椅子に腰掛けるのは、グランドール王国の有力貴族たち。

いずれも王国の中枢に名を連ねる者ばかりだ。


彼らの装いは派手ではない。

だが、仕立ての良さと素材の質が、立場を雄弁に物語っていた。


ただし――

国境領地の領主の姿は、そこにはなかった。


「では、始めよう」


玉座の前に立つ男が、短く告げる。


グランドール・ルーデンス。

この国の国王である。


年齢を重ねた金髪は丁寧に整えられ、

背筋は伸び、声にも揺らぎはない。

だが、その表情には、僅かな硬さが残っていた。


「すでに承知の通り、魔族領との国境付近において――

 魔王が、直接姿を現した」


その言葉が落ちた瞬間、

会議室の空気が、わずかにざわめいた。


誰も声を荒げない。

だが、視線が交錯し、息が詰まる。


「……事実、なのですか」


誰かが、確認するように口を開く。


「複数の報告が一致している。誤りはない」


国王の声は淡々としていた。

感情を抑えた、統治者の声だ。


魔王。

それは、この国にとって“敵”である以前に、

長く神話の中に閉じ込められていた存在だった。


「穏健派の魔王ではなかったのですか?」


別の貴族が言う。


「交渉を重んじると……そう聞いていたが」


「だからこそ、驚いているのだ」


国王は言った。


「穏健派であることと、弱いことは同義ではない」


言葉は正しい。

だが、それを真正面から受け止める者はいない。


誰もが理解していた。

理解していながら、認めたくなかった。


魔王が直接出てきた。

その事実が意味するものを。


「……国境領主の独断では?」


誰かが、そう言った。


責任の所在を探す声。

この場では、珍しいものではない。


「現在、調査中だ」


国王はそう返した。


「だが、王国としてはすでに対応を決定している」


一瞬、沈黙が落ちる。


「今回の件については――

 該当する領主を処罰した」


ざわめきが広がる。


「処罰、ですか」


「すでに、魔族領へは通達している。

 事を起こした者は罰した、と」


言葉は整っている。

手順も、外交文書としては完璧だ。


だが、その中身は、

この場にいる誰もが理解していた。


処罰した“ことにする”。

それが、この場での結論だった。


「……それで、魔族は納得するのでしょうか」


控えめな声で、男が口を開いた。


オウル・ドラン。

かつて国境領主として名を馳せ、

今は王国に仕える立場にある男だ。


「魔王を、舐めるべきではありません」


静かな声だった。

だが、重みがある。


「今回、魔王は“警告”として姿を現した。

 それは、力を誇示するためではない」


「だが、直接出てきた以上、

 次は――」


「次は、ありません」


国王が遮った。


「勇者がいる」


その一言で、会議室の空気が変わる。


誰もが、その言葉に縋るようだった。


「勇者はすでに選ばれている」


国王は続ける。


「女神からの天啓は、すでに下った」


その事実は、

この場にいる誰にとっても“救い”であり、

同時に“逃げ道”でもあった。


「ならば……」


誰かが、安堵の息を吐く。


「最悪の事態は、避けられる」


「そうだ」


国王は頷いた。


「王国は、秩序を保つ」


それ以上の議論は、なかった。


ドランは、円卓の端でその光景を見つめていた。


誰もが理解している。

魔王が、これまでの魔王とは違うことを。


それでも――

勇者がいる限り、大丈夫だと。


英雄譚の向こう側に、

どれほどの現実が削り落とされてきたのか。


そのことを、

この場で口にする者はいなかった。


会議は、静かに終わった。


そして、王国は――

勇者に、すべてを預けた。

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