第十章 敵の影

十四歳の冬、セイに最初の警告が届いた。


「——気をつけろ」


それは、リーナからの言葉だった。


「騎士団内部で、お前の噂が流れている。あまり良い噂ではない」


「噂——どんな?」


「『鍛冶師の息子が、ギルドの秩序を乱そうとしている』『伝統を無視した危険な思想を広めている』——そんなところだ」


セイは、眉をひそめた。


「誰が流しているか、分かりますか?」


「断定はできない。だが、騎士団の中にも、ヴァルザーク公爵に近い者がいる。そこから流れてきた可能性が高い」


「やっぱり——」


セイは、予想していた展開だった。敵は、まだ直接的な攻撃には出ていない。だが、地ならしは始まっている。評判を落とし、味方を減らし、孤立させてから——本格的に潰しにくる。


「対策は?」


「当面は、目立つ行動を控えた方がいい。特に、騎士団への直接的な働きかけは——」


「それは、できません」


セイは、はっきりと言った。


「来年、十五歳になったら、騎士団に品質保証された武器を納入するつもりです。それが、次のステップの鍵だから」


「分かっている。だが、敵も同じことを考えているはずだ。お前が騎士団に近づく前に、排除しようとするだろう」


「なら——」


セイは、考えを巡らせた。


「先手を打つしかない。敵が準備を整える前に、こちらが動く」


その夜、セイは父ガルドと、リーナ、そしてクロードを集めて、対策会議を開いた。


「状況を整理しよう」


セイは、紙に図を描きながら説明した。


「敵——ヴァルザーク公爵家——の強みは、三つ。政治力、資金力、そして鉄の供給権」


「逆に、弱みは?」


リーナが尋ねた。


「弱み——直接的には、思いつかない。強大すぎて、正面からぶつかっても勝ち目がない」


「では、どうする」


「正面からぶつからない」


セイは、図に矢印を描き足した。


「敵を倒すんじゃなくて、敵の影響力が及ばない場所に、味方を増やす」


「具体的には?」


「王室」


その言葉に、部屋が静まった。


「王室——」


ガルドが、驚いた声を上げた。


「お前、本気か?」


「本気です。ヴァルザーク公爵は、確かに強大だ。でも、王室よりは強くない。王室を味方につければ、公爵も無視できなくなる」


「だが、どうやって——」


「そのために、リーナさんに頼みがあります」


セイは、リーナを見た。


「騎士団の中で、王室に近い人物——できれば、国王陛下に直接話ができるような立場の人——を紹介してもらえませんか」


リーナは、しばらく考え込んでいた。


「——一人、心当たりがある」


「誰ですか?」


「第三王女殿下」


「王女——!?」


ガルドが、素っ頓狂な声を上げた。


「お前、王女様を巻き込む気か!?」


「落ち着いてください、父さん」


セイは、リーナに視線を戻した。


「第三王女——どういう方ですか?」


「アリシア殿下。齢は十六。三人の王女の中で、最も——何と言うか——『変わり者』だ」


「変わり者?」


「貴族の令嬢らしい振る舞いを嫌い、馬に乗り、剣を振り、学問を好む。私が騎士団に入った頃、一時期、剣の稽古をつけたことがある」


「王女様が、剣を?」


「あくまで趣味として、だが。それでも、王室の女性としては異例だ。周囲からは眉をひそめられているが、国王陛下は彼女を可愛がっておられる」


セイの脳裏に、計算が走った。


「その王女様は——新しい考え方に、興味を持つタイプですか?」


「ああ。むしろ、古い慣習を嫌っている。『伝統だから』という理由だけで物事を決めるのが、大嫌いだそうだ」


「それは——」


セイの目が、光った。


「僕たちの話を、聞いてくれるかもしれない」


紹介を取り付けるまでに、二か月を要した。


第三王女アリシアは、セイの存在を知っていた。「鍛冶師の息子が、王都の品質を変えようとしている」という噂は、王宮にも届いていたのだ。


「——面白い話だな」


王宮の庭園で、アリシアはセイの説明を聞いていた。


十六歳の王女は、噂通りの「変わり者」だった。豪奢なドレスではなく、動きやすい騎士風の衣装。金髪を短く切り揃え、日に焼けた肌には、少女というより少年のような溌剌さがあった。


「品質保証——つまり、武器の信頼性を、仕組みで担保するということか」


「はい。今は、職人の腕に頼っています。良い職人が作れば良い武器ができ、そうでなければ——」


「そうでなければ、戦場で折れる。リーナから聞いた。彼女の部下が、剣が折れて死んだと」


「はい」


「それを、防げると言うのか? お前の『品質保証』とやらで」


「完全にゼロにはできません。でも、大幅に減らすことはできます。今、僕たちの工房で作っている武器の不良率は、王都の平均の五分の一以下です」


「五分の一——」


アリシアの目が、鋭くなった。


「証明できるか?」


「データがあります」


セイは、持参した書類を差し出した。過去一年間の品質記録、工程能力の推移、不良率の比較——全てが数字で示されていた。


アリシアは、書類に目を通した。彼女は、学問を好むと聞いていた。データを読み解く力は、十分にあるようだった。


「——なるほど」


しばらくして、アリシアは顔を上げた。


「お前の言っていることは、理解できた。そして、これが本当なら——」


「本当です」


「ならば、大変なことだな」


アリシアの声には、皮肉と感嘆が混じっていた。


「お前は、王国の軍需産業の根幹を、変えようとしている。それは、既存の利権を持つ者たち——特に、ヴァルザーク公爵家——にとっては、死活問題だ」


「分かっています」


「分かっていて、やるのか」


「やります」


セイの目は、真っ直ぐだった。


「騎士が——この国の兵士が——信頼できない武器で戦い、死んでいく。それは、防げることです。防げるのに防がないのは、見殺しにするのと同じです」


アリシアは、長い沈黙の後、ふう、と息をついた。


「——お前は、十四歳だったな」


「はい」


「十四歳にしては、随分と重いことを言う」


「そうでしょうか」


「そうだ。普通の十四歳は、もっと無邪気で、もっと能天気で——お前のように、国の産業を変えようなどとは考えない」


アリシアの目が、セイを見据えた。


「お前は——何者だ?」


その問いに、セイは一瞬、言葉を失った。


「——僕は、ただの鍛冶師の息子です」


「嘘だな」


「嘘では——」


「嘘だ。お前の目は、子どもの目ではない。何かを経験した者の目だ。何かを——失った者の目だ」


セイは、黙ってしまった。この王女は、鋭い。十六歳とは思えないほど、人を見る目を持っている。


「——言いたくないなら、無理には聞かない」


アリシアは、視線を逸らした。


「だが、一つだけ約束しろ」


「何を——」


「お前の『品質保証』が、本当に人の命を守るなら——最後まで、やり遂げろ。途中で投げ出すな。敵に潰されるな」


「——はい」


「私は、見ている。お前が本物かどうか。本物なら——力を貸してやる」


アリシアは、立ち上がった。


「一年後、もう一度会おう。そのとき、お前が何を成し遂げたか——見せてもらう」


こうして、セイは王室との細い糸を手に入れた。


それは、まだ「味方」と呼べるほどのものではなかった。アリシア王女は、セイを「観察対象」として見ているだけだ。本当の協力を得るには、実績を示すしかない。


「一年——」


王宮を後にしながら、セイは呟いた。


「一年で、騎士団への納入を実現する。そうすれば、王女様も——」


計画は動き始めた。


敵も動き始めていた。


次の一年が、勝負の年になる。セイは、それを確信していた。

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