第八章 測定なくして管理なし

クロードの工房で、最初の「温度計」が完成したのは、セイが十三歳の秋のことだった。


「——これが、そうか」


セイは、目の前に置かれた器具を、感慨深く見つめた。


ガラスの管に、青みがかった液体が入っている。管には細かな目盛りが刻まれていた。一見すると単純な構造だが、その中には、クロードの魔道具技術の粋が詰まっていた。


「魔力を帯びた液体を使っている」


クロードが説明した。


「通常の液体だと、膨張係数が不安定で、正確な測定ができない。だが、魔力を付与することで、膨張の挙動を安定させた」


「目盛りは?」


「氷が溶ける温度を『零』、水が沸騰する温度を『百』として、その間を百等分した」


セイは、思わず笑みを漏らした。


摂氏と同じだ。前世の知識を伝えたわけではないが、クロードは独力で同じ結論に達していた。優れた技術者は、合理的な解を見つける能力に長けている。


「これで、炉の温度が測れる?」


「ああ。ただし、高温域には限界がある。この液体は、三百度を超えると分解してしまう。鍛冶の焼き入れ温度——七百度から千度——を測るには、別の方式が必要だ」


「別の方式——」


「色で判断する方法を、数値化できないかと考えている」


クロードは、別の器具を取り出した。複数の金属片が並べられた板だった。


「熱した金属の色は、温度によって変わる。黒赤、赤、橙、黄、白——この変化を、『色見本』として標準化できれば、ある程度の精度で温度を推定できる」


「なるほど——完璧な数値化じゃなくても、『この色なら大体この温度範囲』ということが分かればいい」


「そうだ。完璧を求めすぎると、何も進まん」


クロードの言葉に、セイは頷いた。


前世の品質管理でも、同じ教訓があった。「完璧な測定」を待っていては、何も始まらない。「使える測定」から始めて、徐々に精度を上げていくのが現実的なアプローチだ。


温度計の完成に続いて、セイとクロードは「長さ」と「重さ」の測定具の開発にも着手した。


「ノギス——というものを、作りたい」


セイは、紙に図を描きながら説明した。


「二本のアゴで対象物を挟んで、その間の距離を目盛りで読み取る。普通の物差しより、ずっと精密に測れる」


「アゴ——こういう形か」


クロードが、図を指差した。


「ああ。そして、ここに『副尺』というものをつける。主尺の目盛りと副尺の目盛りがずれることで、もっと細かい単位まで読み取れるようになる」


「面白い仕組みだな。誰が考えた?」


「えっと——昔の学者の本で読んだ」


いつもの言い訳だった。クロードは怪訝な顔をしたが、それ以上追及はしなかった。


「とにかく、作ってみよう。金属加工は俺の専門じゃないが——」


「父さんの工房で作れると思う。精度の高い金属加工なら、うちが得意だから」


「なら、設計だけ俺がやろう。魔力による目盛りの刻印技術を使えば、かなり細かい線が引ける」


数か月の試行錯誤の末、異世界初の「ノギス」と「精密天秤」が完成した。


ガルドの工房に、それらの測定具が導入されたのは、セイが十四歳になった春のことだった。


「——すごいな、これ」


トーマが、ノギスを手に取りながら呟いた。


「今まで、目測で『大体これくらい』としか言えなかったことが、数字で言えるようになった」


「しかも、誰が測っても同じ数字が出る」


ラルフが付け加えた。


「俺とトーマで、同じ棒の太さを測ったら、どっちも『12.5ミリ』だった。前は、俺が『指一本分』、トーマが『親指の半分』とか、バラバラだったのに」


「それが『測定の標準化』だよ」


セイは、説明した。


「測定具を共通にして、測り方を統一する。そうすれば、誰が測っても同じ結果になる。これがないと、品質の管理はできない」


「品質の管理——」


ガルドが、腕を組みながら言った。


「確かに、今までは『この剣はいい出来だ』『これはイマイチだ』という判断が、俺の感覚頼みだった。それが、数字で比較できるようになると——」


「どこが良くて、どこが悪いか、客観的に分かるようになります。そうすれば、『なぜ悪くなったか』を分析して、改善できる」


セイは、工房の壁に新しい紙を貼った。


「これが、『品質記録表』です。今日から、製造した製品の寸法を全部記録していきます」


記録表には、製品名、製造日、担当者、そして複数の測定項目が並んでいた。刃の長さ、刃の幅、重さ、重心位置——それぞれに「規格値」と「測定値」を記入する欄がある。


「規格値——というのは?」


「『こうあるべき』という基準値です。例えば、この短刀なら、刃の長さは200ミリ±2ミリ。つまり、198ミリから202ミリの範囲に収まっていれば合格」


「範囲——全部ぴったり200ミリじゃなきゃダメじゃないのか?」


「現実的には、ぴったり同じにはできない。必ず多少のばらつきが出る。大事なのは、そのばらつきが許容範囲内かどうか。許容範囲を決めるのが『規格』で、それを確認するのが『測定』なんだ」


品質記録表の導入は、予想以上の効果をもたらした。


一か月間のデータを集計したセイは、ある傾向に気づいた。


「父さん、これを見て」


セイは、記録表をまとめたグラフを見せた。


「刃の長さのばらつきを、日ごとにプロットしたものだ」


グラフには、縦軸に測定値、横軸に日付が示されている。そして、点が上下にばらつきながら、ある傾向を示していた。


「——毎週、週の半ばになると、ばらつきが大きくなってるな」


ガルドが、眉をひそめた。


「そうなんだ。週の始めと終わりは安定してるのに、水曜日あたりでばらつきが増える」


「なぜだ?」


「分からない。だから、調べてみた」


セイは、別の紙を取り出した。


「水曜日に何が違うか、記録を見返したんだ。そしたら、水曜日だけ、炭の種類が違ってた」


「炭——ああ、水曜日は、いつもの炭屋が休みだから、別の業者から買ってるな」


「その炭の品質が、違うんだと思う。燃焼温度が微妙に違って、焼き入れの結果に影響してる」


ガルドは、唖然とした顔をしていた。


「そんなこと——今まで考えたこともなかった」


「データを取らないと、気づけないことなんだ。でも、データがあれば、こうやって原因を追跡できる」


「——大したもんだな」


ガルドは、息子の顔を見つめた。


「お前のおかげで、俺の目には見えなかったものが、見えるようになった」


「僕の手柄じゃないよ。データの力だ」


セイは、謙遜して言った。だが、内心では、大きな手応えを感じていた。


測定なくして管理なし。その原則が、この世界でも通用することが証明された。


測定技術の普及は、他の工房にも広がり始めた。


「あの測定具——うちにも欲しいんだが」


近隣の工房から、問い合わせが来るようになった。


「売っていいですか?」


セイは、クロードに相談した。


「構わん。だが、測定具を売るだけでは不十分だ」


「不十分?」


「測り方を教えなければ、意味がない。測定具があっても、正しく使えなければ、正確な値は出ない」


「確かに——」


「それに、測定具自体の精度も定期的に確認する必要がある。『校正』という作業だ。基準となる寸法と比較して、ずれていないか確認する」


「校正——」


セイは、頷いた。前世でも、測定器の校正は品質管理の基本だった。校正されていない測定器で測っても、その値に信頼性はない。


「じゃあ、測定具を売るときは、使い方の教育と、定期的な校正サービスもセットで提供しよう」


「教育と校正——それは、良い商売になりそうだな」


クロードの目が、少し楽しそうに光った。


「商売になれば、続けられる。続けられれば、広がる」


「そういうことだ」


十四歳の冬、セイは「測定技術研修」を初めて開催した。


参加者は、王都内の鍛冶工房から派遣された職人たち、十名。半日の研修で、測定具の使い方、記録の取り方、データの分析方法を教えた。


「——質問があります」


研修の終わりに、一人の職人が手を上げた。


「何でしょう」


「こうして測定して記録して——何の意味があるんですか?」


「意味——ですか」


「俺たちは、職人です。良いものを作ればいい。なぜ、こんな面倒な記録を取らなきゃいけないんです?」


その質問には、皮肉や敵意ではなく、純粋な疑問が込められていた。セイは、真剣に答えた。


「——記録を取る意味は、二つあります」


「二つ?」


「一つは、『今を知る』ため。自分の製品が、どれくらいのばらつきを持っているか。どこに問題があるか。測定しないと、感覚でしか分からない」


「もう一つは?」


「『過去と比べる』ため。去年と今年で、品質がどう変わったか。改善の効果があったかどうか。記録がないと、比較できない」


セイは、参加者全員を見渡した。


「職人の勘は、とても大事です。でも、勘だけでは、次の世代に伝えられない。記録があれば、自分の経験を言葉にして、後輩に教えられる。それが、技術の継承です」


部屋が、しんと静まった。


「——なるほどな」


最初に質問した職人が、ゆっくりと頷いた。


「俺の親方も、『見て覚えろ』しか言わなかった。俺は苦労した。でも、こうして記録があれば——」


「後輩は、もっと楽に覚えられるかもしれません」


「——いい話を聞いた」


職人は、セイに向かって頭を下げた。


「ありがとうございます。帰ったら、うちの工房でも試してみます」


研修を終えた夜、セイは一人で夜空を見上げていた。


測定技術が広がれば、品質管理の基盤ができる。基盤ができれば、その上に「標準作業」や「工程管理」を積み上げられる。一つ一つは小さな進歩だが、積み重なれば、大きな変化になる。


「あと一年——」


セイは、呟いた。


「十五歳になったら、騎士団に品質保証された武器を納入する。それを実績にして、次のステップに進む」


計画は、着々と進んでいた。だが、同時に、敵の影も忍び寄っていた。


ヴァルザーク公爵家が、セイの活動に気づき始めていたのだ。

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