第五章:静寂の領土と審判の配当(1)
三日後。私立霧峰高校、二年生の教室。
教卓の斜め後ろ、あの日まで教室の頂点に君臨していたユウカ、リナ、サキの三人の席は、ぽっかりと空席のままだった。
一人は再起不能の重体、一人は精神の崩壊、そして一人は一家離散。クラスの支配者が短期間に次々と破滅したこの異常な事態に、事件性を疑う警察の事情聴取が連日行われ、教師たちはかつてない混乱と狼狽の中にいた。生徒たちの間では、根拠のない、しかし血の匂いのする噂が渦巻いている。それらすべては、窓の外で渦巻く深い霧の中に吸い込まれ、霧散していく。
だが、白く濁った霧がすべてを覆い隠そうとするほどに、窓の向こう側にそびえる西側の竹林は、周囲の光を奪い去るかのような漆黒を湛えていった。瑞々しいまでに深く、重いその闇は、教室内の沈黙をじっと監視している。
誰かが廊下で友人の欠点を囁き、誰かがスマートフォンの画面越しに、見えない生贄に石を投げた。その瞬間。風もないのに、竹林が一際大きく、歓喜に震えるような声を上げた。
「シャリシャリ、シャリシャリ……」
それは、現世の不浄を糧にして微笑む、新しい女王の呼吸だった。
教室が三人の末路を巡る喧騒に包まれていたその三日間、美咲は自宅のベッドで過ごしていた。
それは休息ではなく、脱皮のための潜伏だった。彼女の身体は以前よりも確実に冷たく、そして少しずつ、現世の光を透過させるほどに透明に変質しているように感じられていた。
窓を閉め切っているはずなのに、竹林の湿った青臭い匂いが、皮膚の内側から汗のようにじわりと染み出している。
美咲はこの異変を拒絶せず、ただ深く、静かに沈黙を守り続けた。かつてのそれは、嵐が過ぎ去るのを待つための臆病な自己保身の術に過ぎなかったが、今は違う。外界との繋がりを断ったその沈黙は、新しい存在へと変貌するための、静かな蛹の
美咲は暗い部屋の中で、自分の右手首を見つめた。そこには、竹の蔓を模した漆黒の紋様が、血管を侵食するように肘まで伸びている。彼女がその痣に触れると、地中深くで眠る無数の竹の根が、自身の神経系と直結しているような不気味な脈動が伝わってきた。
その根の震えを通じて、美咲の意識は竹林の闇へと溶け出し、街の隅々へと伸びていく。かつて自分を縛り付けていた三人の個が、地脈の底で腐り、泥に還っていく悍ましい手応えを、彼女は指先で冷徹に受け止めていた。
四日目の朝。美咲は、竹林から届けられたその最終的な精算を確認するために、スマホのグループチャットを開いた。画面の中で、三人のアイコンは死んだように沈黙していた。
最後の会話は、サキの父親のスキャンダルを巡る、パニックと醜い非難の応酬で止まっている。かつてあれほど誇らしげに語られていた彼女たちの言葉は、今や電子の墓標に刻まれた空虚な碑文に過ぎない。
だが、発光する液晶画面の文字をなぞっても、指先に伝わる竹林の脈動が静まることはなかった。彼女の内に根を下ろした意思は、電子の羅列という安価な報告だけでは、その飢えを癒やせなかったのだ。
自らの眼で、その無残な果実を摘み取らねばならない。
美咲は、一抹の不安と、それを遥かに上回る暗い期待を抱え、三人の家を訪ねて回ることにした。それは親友としての見舞いではなく、執行官としての検分だった。
まず訪れたユウカの家では、かつての華やかさを失い、幽霊のように憔悴した母親が美咲を迎えた。
ユウカは、事故後に入院していた病院の個室で、夜中に錯乱状態となったという。「右腕が竹になっている」と叫びながら、自らギプスを力任せに外して逃走。病院から数十キロ離れた幹線道路で、深夜、大型トラックに轢かれた。一命は取り留めたものの、意識不明の重体。右腕だけでなく、全身の神経がズタズタに引き裂かれ、もはや二度と、あの女王の玉座に戻ることは叶わない。
「あの子、何かに怯えていたわ。呪い、呪いって……。誰も信じてくれなかったけど、あの子の恐怖は、あの子にしか見えない『何か』は、本物だったのよ」
泣き崩れる母親を、美咲は氷のように冷めた瞳で見つめていた。病室に残されたのは、ユウカの不在を証明する、虚ろに白いギプスの残骸だけだ。ユウカの傲慢な仮面は、その存在証明であった美しき支配と共に、現実の世界から永久に切り離されたのだ。
次に訪れたリナの家。そこで美咲を待っていたのは、むせ返るような高級ブランドの革の匂いではなく、ヒステリックな拒絶だった。
「あんたたちのせいよ! 呪いだなんて言って、あの子をこんなにしたのは、あんたたちでしょ!」
母親は美咲の顔を見るなり、汚物を見るような目で怒鳴り、扉を叩きつけるように閉めた。
叩きつけられた扉の振動が、美咲の手首の紋様を震わせる。その不気味な脈動を通じて、閉ざされた壁の向こうにいるリナの凄惨な現状が、鮮明なイメージとなって脳内に流れ込んできた。
リナは精神の拠り所だった限定バッグの崩壊に耐えられず、自分の部屋の壁を爪が剥がれるまで掻き毟り、発狂した。彼女は今、白い壁に囲まれた精神科の保護室で、存在しない限定品の幻を追い求め、毎日泣き続けている。
物質という名の強固な檻が壊れたとき、彼女の魂はいかに空っぽであったか。彼女の価値は、差押さえられた財産と共に、灰となって消え去っていた。
最後に辿り着いたサキの家は、もはや家ですらなかった。
門扉には売却済みの無機質な貼り紙。西側の権威を象徴していた邸宅の灯は絶え、庭の竹林だけが、主を失ったことを喜ぶように騒がしくざわめいている。
父親の汚職スキャンダルは一族の経済基盤を粉砕し、サキ一家は夜逃げ同然で街を去ったという。未来の保証。家柄という名の鎧。サキが執着し、同時に嫌悪していたそれらは、一晩にして存在しなかったことにされた。彼女は、自分が最も蔑んでいた名もなき流浪者として、霧峰市の地脈から永遠に放逐されたのだ。
すべてが、あの呪詛アカウントの投稿通り――いや、それ以上に徹底的な清算として結実していた。
美咲は、自分がこの凄惨な間引きの終焉に立ち会った唯一の証人であり、共犯者であることを、細胞の一つ一つで自覚した。
この街から、彼女たちの居場所は完全に削り取られた。彼女の心に、かつての罪悪感はもう微塵もなかった。あるのは、計算通りに収支が合ったことへの、静かな、そして深い満足感だけだった。
だが、この満足感は終わりを告げるものではない。手に入れたこの絶対的な力を、一時的な復讐の道具として腐らせるつもりはなかった。沙羅から引き継いだこの乾いた熱を、絶やすことなく自身の
美咲は、沙羅が祠に残したあのメモ帳を、自分の教科書カバーの中にそっと挟み込んだ。
それはもはや単なる復讐の記録ではない。新しき女王である美咲が、この街の理を操るための力のマニュアルだ。
彼女は夜ごと、暗い自室でその冷徹な記述を読み解き、自身の血肉へと変えていった。
ページを捲るたび、三人の凄惨な末路は、単なる偶然ではなく、この街の深淵に刻まれた因果の設計図に沿った必然であったことが浮き彫りになっていく。
美咲の細い指先が、沙羅の鋭く、しかし静謐な筆致をなぞる。そこに刻まれていたのは、現世を断罪し、平穏を蹂躙するための禁忌の法典だった。
『境界の
【其の一:存在の鑑定】
悪意を、憎んではならない。憎しみは視界を濁らせる。対象を、ただ冷徹な欠陥として観測せよ。彼らが己を形作るために
【其の二:沈黙の執行】
言葉を捨て、ただ静寂を捧げよ。悪意が牙を剥くとき、鏡のように冷たい沈黙を以て対峙しなければならない。何もしないという意志が、この街の深淵に眠る蛇を呼び覚ます。沈黙こそが、因果の歯車を回転させる唯一の鍵となる。
【其の三:喪失の礼讃】
裁きは、相手が最も愛したものの形をして現れる。 誇りは汚濁に、権力は砕け散る骨の音に、執着は足元を
【其の四:冷たき玉座】
女王よ、あなたは決して震えてはならない。人間的な情愛や
美咲の心には、恐怖よりも純粋な高揚感があった。彼女の過去のトラウマから生まれた傍観という防衛本能は、今や絶対的な権威へと昇華されたのだ。彼女は、自分は沙羅の轍を踏まない、感情を完全に排除した機械としてこの力を制御できると信じていた。
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