第13話 お客様、サイズが規格外すぎます

終わったかもしれない。


俺は箱の中で、震える仮想の膝を抱えていた。

ダンジョンの奥底から響いた咆哮。

それが近づいてくる。


ズシン。ズシン。


足音の一つ一つが、腹の底に響く重低音だ。

ただ歩いているだけで、周囲の空気がビリビリと振動している。

俺の本能が、警報を鳴らし続けている。

『逃げろ』と。

だが、俺はミミックだ。

逃げ足どころか、足そのものがない。


来る。

角を曲がってくる。


俺は覚悟を決めた。

せめて、相手の正体だけでも確認してやる。

俺には新スキル【鑑定】があるのだから。


暗闇から、二つの光が現れた。

金色に輝く、鋭い双眸。

それは俺を見下ろす位置にあった。

高い。

見上げるほど高い。


ヌッ、と巨大なシルエットが姿を現した。


「……嘘だろ」


銀色の毛並み。

丸太のように太い四肢。

そして、俺の店(箱)など一口で噛み砕けそうな、巨大な顎。


狼だ。

だが、俺が知っている動物園の狼ではない。

体長は優に5メートルを超えている。

天井に背中が擦れそうだ。

纏っているオーラが、冷気のように周囲の温度を下げている。


俺は震える意識で【鑑定】を発動した。


【個体名:ヴォルフ】

【種族:フェンリル(亜種)】

【レベル:80】

【状態:空腹、興味】

【スキル:氷結魔法(極)、咆哮、神速、怪力、人化(封印中)……他多数】


レベル80。

俺はレベル5だ。

勝負にすらならない。

ゴブリンがレベル1〜2だとしたら、こいつは魔王クラスじゃないか。


フェンリル。

神話に出てくる怪物が、なぜこんな中層にいるんだ。

徘徊老人か?

いや、徘徊猛獣か。

どちらにせよ、遭遇=死だ。


フェンリルは俺の前で足を止めた。

金色の瞳が、じっと俺を見下ろしている。

鼻をひくつかせ、スンスンと匂いを嗅ぐ動作。


『……ここか』


脳内に直接、重厚な声が響いた。

【念話】だ。

俺が使っているのと同じスキル。

だが、その圧力は桁違いだ。

頭蓋骨を内側からノックされているような衝撃。


『いい匂いがする。我の寝床まで届くほどの、極上の香りだ』


フェンリルが、俺(箱)に鼻先を近づける。

濡れた鼻先だけで、俺の蓋くらいの大きさがある。

白い息が吐き出され、俺の表面が一瞬で凍りついた。


寒い。

いや、痛い。


『貴様か? この香りの源は』


問われている。

無視すれば、間違いなく踏み潰される。

あるいは、氷漬けにされて粉砕される。


俺はどうする?

誤魔化すか?

「ただの箱です」とシラを切るか?


無理だ。

俺の中からは、まだおでんの出汁の香りが漂っている。

それに、こいつの状態は【空腹】だ。

腹を空かせた猛獣に、言い訳は通用しない。


俺は元居酒屋店長だ。

酔っ払って包丁を振り回す客を相手にしたこともある(一度だけだが)。

その時の教訓は一つ。

「相手の要求を呑んで、さっさと帰ってもらう」。


こいつの要求は明確だ。

「飯」だ。


俺は腹を括った。

食わせてやる。

文句のつけようがないほど美味いものを食わせて、満足して帰ってもらう。

それしか生き残る道はない。


俺は【念話】を返した。

声が震えないように、精一杯の虚勢を張って。


『……いらっしゃいませ。お食事をご希望でしょうか?』


フェンリルの目が、怪訝そうに細められた。


『ほう。箱が喋るか。……面白い』


彼は大きな口を開け、牙を見せつけた。

笑ったのか?

それとも、捕食の合図か?


『そうだ。我は空腹だ。貴様の中からする、その甘く、濃厚な香りのものを出せ』


やはり、出汁の匂いが原因か。

換気扇(蓋の開閉)には気をつけるべきだった。


『承知いたしました。当店は完全予約制の隠れ家レストランですが、特別にお席をご用意いたします』


嘘八百を並べる。

とにかく、下手に出て機嫌を取る。


『どうぞ、中へ……』


俺は言いかけて、致命的な事実に気づいた。


中へ?

どこへ?


俺の店は、内装拡張スキルで作った亜空間だ。

広さは六畳ほどの小料理屋。

入り口は、この宝箱の開口部。


目の前の客を見上げる。

体長5メートル。

肩幅だけでも2メートルはある。


……入らない。

物理的に、無理だ。

猫が無理やり小さな箱に入ろうとする動画は可愛いが、こいつが無理やり入ろうとしたら、俺の入り口(物理)が裂ける。

店が崩壊する。


『……どうした? 早く開けろ』


フェンリルが苛立ち始めた。

前足で俺の蓋をカリカリと引っ掻く。

その爪一つで、鋼鉄さえ切り裂けそうだ。

やめてくれ。

塗装が剥げるどころか、本体に穴が開く。


『あー……お客様。大変申し訳ございませんが』


俺は冷や汗(概念)を流しながら伝えた。


『お客様の体格が、あまりに立派すぎまして……当店の入り口を通れない可能性がございます』


『なんだと?』


空気が凍る。

フェンリルの機嫌が、急降下したのが分かった。


『我を拒絶するか。たかが箱風情が』


殺気。

純粋な殺意が、俺の全身を貫く。

マズい。

「入店拒否」と受け取られた。


『違います! 滅相もございません!』


俺は早口で叫んだ。

命乞いのスピード勝負だ。


『テラス席! そう、テラス席をご用意いたします! 外の風を感じながら、広々とした空間でお食事を楽しんでいただくための、VIP専用席です!』


ただの地面だ。

ダンジョンの冷たい石畳だ。

だが、言い方次第で価値は変わる。

そう信じたい。


『テラス……?』


フェンリルが首を傾げた。

聞き慣れない単語に、殺気が少しだけ緩む。


『王侯貴族も愛する、野外での優雅な食事スタイルでございます。お客様のような高貴な方には、狭い店内よりも、こちらのほうがよくお似合いかと』


俺はおべっかを並べ立てた。

フェンリルは「高貴」という言葉に反応したのか、満更でもなさそうに鼻を鳴らした。


『ふん。……よいだろう。そのテラスとやらで待つ』


彼はドサリと、その場に腰を下ろした。

店の目の前だ。

巨大な銀色の壁が、俺の視界を埋め尽くす。

入口を完全に塞がれた形だ。

これでは他の客など絶対に入れない。


だが、今はそんなことを気にしている場合ではない。

オーダーは通った。

これから、この最強にして最大のクレーマーを満足させなければならない。


俺は【収納】の中身を高速で確認した。

相手は狼だ。

肉だ。

ちまちました小料理では足りない。

ガツンとくる、肉の塊が必要だ。


それと、酒だ。

このピリピリした空気を和ませるには、アルコールの力が不可欠だ。

幸い、さっき設置したばかりの「あれ」がある。


俺は覚悟を決めた。

レベル5のミミックが、レベル80のフェンリルを餌付けする。

史上最大の接待が始まる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る