第7話 壁の落書きと、とろけるプリン
懐が温かいというのは、素晴らしいことだ。
俺は今、成金気分を味わっていた。
前回、彼女が置いていった銀貨3枚。
あれが3000ポイントに化けたおかげで、俺の【収納】内は劇的に充実していた。
『新鮮卵(10個入り)』
『北海道産牛乳(1リットル)』
『上白糖(1kg)』
『バニラエッセンス』
これだけではない。
小麦粉、バター、生クリーム、さらには調理器具セットまで揃えた。
ポイント残高はまだ余裕がある。
もはや、俺の中は小さな洋菓子店と言っても過言ではない。
「……来たな」
聞き慣れた足音がする。
数日ぶりの来店だ。
俺は蓋を少しだけ開け、通路の様子を伺った。
茶髪のポニーテールが見える。
彼女だ。
相変わらず軽装で、警戒心と好奇心が入り混じったような歩き方をしている。
だが、今日の彼女は少し様子が違った。
俺の目の前まで来ると、懐から白い棒状のものを取り出したのだ。
チョークだ。
彼女は俺のすぐ横の壁に向き直り、サラサラと何かを書き始めた。
『○』の中に『+』を描き、その下に波線を二本。
なんだそれは。
俺は戦慄した。
地図記号か?
いや、ここはダンジョンだ。
冒険者が壁に印を残す理由は一つしかない。
「警告」だ。
『注意! ここに凶悪なミミックあり』
『食われるぞ! 近寄るな』
そういう意味に違いない。
なんてことだ。
前回あんなに美味そうにハンバーグを食べておいて、裏ではしっかり「危険物」扱いか。
冒険者としての職務に忠実すぎる。
これで他の冒険者が警戒して近寄らなくなったら、俺の商売はあがったりだ。
彼女は書き終えると、満足そうに頷いてチョークをしまった。
そして、くるりと俺の方へ向き直る。
その顔は、期待に満ちた笑顔だった。
「……今日は何?」
警告文を書いておいて、その笑顔はずるい。
だが、俺に拒否権はない。
ここで機嫌を損ねて「やっぱり討伐しておこう」となっても困る。
俺は媚びることにした。
徹底的に甘やかして、あのマークを「安全」に書き換えてもらうしかない。
今日は肉料理ではない。
デザートだ。
女子は甘いものに弱いはずだ(偏見だが、統計的真実でもある)。
俺は【収納】から、冷やしておいた器を取り出した。
あらかじめ作っておいた、俺の自信作だ。
『とろける濃厚カスタードプリン』。
卵黄を贅沢に使い、牛乳と生クリームを黄金比でブレンド。
低温でじっくりと蒸し上げ、滑らかさを極限まで追求した一品だ。
底には、焦がし砂糖のほろ苦いカラメルソースが潜んでいる。
プルルン。
空中に浮かせたプリンが、可愛らしく揺れる。
黄色く輝くその表面は、宝石よりも美しい。
彼女の目が、限界まで見開かれた。
「プ、プリン……?」
知っているのか。
いや、この世界にも似たような菓子があるのかもしれない。
だが、俺のプリンはレベルが違うぞ。
日本のコンビニスイーツのクオリティを舐めるなよ。
俺は木のスプーンを添えて、彼女に差し出した。
彼女は震える手でそれを受け取った。
まるで壊れ物を扱うように、そっとスプーンを差し込む。
スゥッ、と抵抗なくスプーンが入っていく。
その感触だけで、滑らかさが伝わったはずだ。
彼女は一口分をすくい、口へ運んだ。
パクッ。
時が止まった。
彼女の動きが停止する。
咀嚼すらしていない。
舌の上で、プリンが自重で崩れ、溶けていくのを味わっているのだ。
「……んんぅ……ッ!」
彼女が身悶えした。
頬が赤く染まり、目尻が下がっていく。
完全に落ちた。
チョロい、と言っては失礼だが、甘味の力は偉大だ。
「卵の味が、濃い……。甘いけど、くどくない……」
彼女は夢中でスプーンを動かした。
二口、三口。
やがてスプーンが底に到達し、黒いカラメルソースが溢れ出す。
甘いカスタードに、ほろ苦いカラメルが絡み合う瞬間。
「ああっ……!」
彼女から、色っぽいとすら感じる溜息が漏れた。
甘さと苦さのハーモニー。
大人の階段を登る味だ。
あっという間に完食だった。
彼女は器に残ったソースまで綺麗に舐め取り、名残惜しそうにスプーンを置いた。
「……幸せ」
彼女はぽつりと呟いた。
その言葉が聞ければ、作り手として本望だ。
どうだ、これでも俺は「危険物」か?
「最高のお菓子屋さん」だろう?
彼女は立ち上がると、俺(箱)の蓋をそっと撫でた。
ペットを愛でるような手つきだ。
木の感触を確かめるように、優しく、何度か往復させる。
「ありがとう。……また、お腹空かせて来るから」
彼女はそう言い残し、壁のマークを一度だけ振り返ってから、通路の奥へと消えていった。
俺は残された。
壁には『○に+』のマーク。
彼女の態度を見る限り、悪い意味ではなさそうだが……いや、分からん。
「こいつは良い餌を出すから生かしておけ」というマーキングかもしれない。
家畜扱いだとしたら複雑だが、殺されるよりはマシだ。
俺は一息つき、空になった器を回収しようとした。
その時だ。
ドス、ドス、ドス。
重い足音が聞こえた。
一人ではない。
三人、いや四人か。
さっきの彼女のような、軽やかな足音ではない。
もっと乱暴で、遠慮のない、鉄靴の響きだ。
「おい、ここだろ? 『当たり』があるってのは」
「ああ、シーフのマークがある。間違いないぜ」
野太い男の声。
『当たり』?
『シーフのマーク』?
俺は壁の落書きを見た。
あいつら、これを読んで来たのか。
つまり、彼女は宣伝してくれたということか?
それとも「カモがいる」とバラしたのか?
通路の角から、男たちが現れた。
鉄の鎧を着込んだ戦士。
杖を持った魔術師。
見るからに柄が悪い。
そして彼らの目は、明らかに「食事」ではなく「金目のもの」を求めてギラついている。
「へへっ、ミミックか。こいつをぶっ壊せば、レアアイテムが出るって噂だ」
違う。
話が違う。
飯を食いに来たんじゃないのか。
俺は蓋を固く閉じた。
どうやら、今度の客は「入店拒否」にするしかなさそうだ。
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