第3話 色
ベルは帰り道の案内をしながら、男性と一緒に山を下っていた。男性は、優雅な衣装にマントをまとい、馬を従えてベルの横を歩いている。
一方、ベルは男性を横目で見ながら、無言で歩いていた。ベルは素朴なブラウスにスカート、エプロンをしたままだった。
私はまだ十二歳で、背丈も小柄な方だし。こんな男性と一緒に歩いていると、まるで売られていく子供のようだわ。
「この山は岩が多いな」
男性は歩きにくそうに呟く。
道のところどころで岩がむき出しになっている。
「そうですね。でも、この山では岩が道標になっています。岩を目印に歩かないと迷ってしまいます」
ベルは岩を指しながら説明した。
「なるほど。知らない者がこの山中に入ると迷子になるはずだ」
と、男性はベルの話を聞いて頷いた。
この山はロックフィールド領にあり、やや標高が高い。
名前の由来通り、この地域は大きな石や岩が堆積しており、この山も岩だらけの道が続いていた。山頂に上ると岩肌がむき出しになっているような地形だ。
「この辺りは麓に近いのであまり岩が少ない方ですが、それでも足場が悪いので気を付けてください」
ベルは案内役らしく男性を気遣った。
「今日はありがとう」
男性は歩きながら礼を口にした。
「あ、いえ……」
ベルは下を向いたまま、少し警戒をした声で答える。
「私の名前はアルバートだ」
アルバートは名乗ったあと、一呼吸おいて話を続けた。
「君はベルベットか……。良い名前だね」
ベルが顔を上げると、アルバートは優しい笑顔でベルを見ている。
名前を褒められて、嫌な気はしない。
「母が付けてくれました」とベルもアルバートを見た。
「お母さんはいつ亡くなられたの?」
アルバートの質問に、ベルはまた俯いた。
「去年、流行り病で……」
去年、この国では原因不明の流行り病で多くの死者が出た。ベルの母もこの病にかかり、あっという間に息を引き取った。
ベルは黙ったまま立ち止まった。お母さん……。今も思い出すと、涙腺が緩む。それからずっと一人ぼっちだわ。
「まだ小さいのに……。よく一人で頑張ってきたね」
思いがけない言葉を掛けられ、ベルは驚き顔を上げた。
落ち着いた、温かく包み込むような声。社交辞令の言葉ではなく、本当に優しい口調だわ。そう、お母さんが亡くなってから、強盗や人買いを警戒して生きてきたわ。たった一人で懸命に働いてきたの。
「ありがとう……ございます……」
ベルはアルバートを見ながら、ようやく微笑みを浮かべた。一人ぼっちになってから張り詰めて暮らしてきたが、その緊張が緩み、胸の中に温かいものが広がる。少し視界が潤むような気がした。
ようやく見せたベルの子供らしいしぐさに、アルバートは微笑み返す。
「お母さんと二人でずっとここに?」
アルバートの質問にベルは再び視線を逸らし、山を下るために歩き始めた。
「……私、お父さんを知りません」
ベルは母から父親のことは何も聞いていない。ベルの母は一人でベルを育ててきた。
「私が生まれる前に、……亡くなったそうです」
アルバートは黙ったまま歩き、ベルの話を聞いている。
「私はここで生まれ育ったの……」
「なるほど」と言いながら、今度はアルバートの足が止まった。
「君はお母さんに似ているのかな?」
アルバートはベルの長い髪に目を向けた。
「?」
ベルも立ち止まり、首を傾げながらアルバートの方を向いた。
「……珍しい髪色と瞳だと思ってね。王都でも、この領でもあまり見かけない」
何故かそう話すアルバートの表情は優しい。
ベルはアルバートの顔を見つめる。
ああ、そういう意味なのね。出会ってからの視線はこれだったのだわ。
「……はい、そうです」とベルが答える。
ベルは父がどういう人なのか知らないので、母親似と言うしかない。
「とても綺麗な色だね。素敵な色をしている」
アルバートはより優しい眼差しを向ける。
ベルの髪と瞳はバイオレット色だった。
髪は少し青みがかったバイオレット色で、瞳は少し薄いバイオレット色をしている。
ベルの母も同じ髪色と瞳の色をしていた。
この国では珍しい色でどこに行っても目立ってしまう。村の子供からベルは陰口を言われ、からかわれたこともあった。紫色の変わった子が来たと避けられ、幼い時に泣いて帰ったこともある。
ベルは母との生活を思い出していた。
お母さんは……たった一人で私をこの山で育ててくれた。
村の人と違う髪色と瞳の色に、すっとコンプレックスがあったわ。お母さん以外の人から褒められたのは初めて。なんだか嬉しい。この人そんなに悪い人じゃないかも。
「ありがとうございます」
ベルは自然と笑みがこぼれた。
そのまま二人は少し歩き続けた。枯れ枝を踏みしめる音の中、ベルは少し遠慮がちにアルバートに話しかける。
「あの……アルバート様は貴族の方ですよね?」
「まぁ、そうだが……?」
「少し聞きたいことが。……石とかにはお詳しいでしょうか?」
「石?」
アルバートはベルの質問に少し首を傾げた。
「母の形見の石があって」
ベルは首にかけているものをブラウスの中から取り出した。
それは小ぶりな石がついたネックレスだった。
「母の形見のネックレスを、いつも身に着けているの……」
ベルは十歳の時、誕生日プレゼントとして母からそのネックレスを貰った。今のベルにとっては、このネックレスが母の代わりだった。
お母さんはずっとこの石を大事にしていたわ。それを私に贈ってくれた。
「この石は、何なのでしょう?」
母が残したこの石のことを、ベルはずっと調べていた。
この人は上流貴族だから、もしかしたらこの綺麗な石に詳しいかもしれないわ。
「図鑑で見たら紫水晶とか。……色が似ている気がして」
ベルは石を手にとって見せた。
アルバートは立ち止まり、ベルの首にかけているネックレスをじっと見ている。
「少し近づいて見てもいいかな?」
とアルバートが尋ねる。
「あ……はい、どうぞ」
とベルは石を少し高く持ち上げた。
アルバートは顔を近づけ石を見つめている。細かく観察しているようだ。
「このネックレスを他の人に見せたことがあるかな?」
アルバートは少し怪訝な顔をして尋ねた。
「えっと、ないです」
ベルは少し戸惑った。
あら? 石について聞いたのに、違うことが返ってきたわ。
ベルは、このネックレスを今まで他人に見せたことがなかった。
宝石類とは縁のない、周りの人達に聞いても分からないわ。それに紫水晶だったら欲しがる人もいるかもしれないもの。
でも、アルバートは貴族だから……宝石もたくさん持っていて知っているかもしれないわ。ただの石ではなくて、紫水晶だったらいいな。
たしか、紫水晶の石言葉は心の平和だったはず。それならひっそりと平和な日々が送れますように、ってこの石に毎日祈ろう。
ネックレスの石を覗き込んでいたアルバートは、小さなため息を付いた。
そして顔を上げてゆっくりと話し始めた。
「今後、そのネックレスは……あまり人に見せないほうがいい」
「どうしてですか?」
ベルは不思議そうな顔をする。
「人さらいに遭うかもしれないよ」
「え……」
ベルは予想外の言葉に固まってしまった。
ちょっと怪しそうに思っていた中年貴族のおじさまに、人さらいの心配をされてしまったわ。どうして、ひ……人さらい?
アルバートは、ゆっくり諭すようにベルに言葉をかけた。
「そのネックレスの石は小さいからまだ身に着けてもいいが、もっと大きければ、金庫に入れて保管しなければならないような石だ」
アルバートは真顔だった。
「ベルベット。その石は紫水晶ではない。その石は、バイオレットダイヤモンドだ」
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