第4話 普通のふり

今日の空は、やけに澄んでいた。


——入学式には出なかった。


出席していないことは、久世の耳にも入るだろう。文句は言われるだろうが、殴られるほどではない。


レイは体育館とは反対の階段を上り、屋上に出た。


鉄の扉が軋む。風が髪を煽り、春の匂いが混じる。冷たくもないのに、どこか刺さるような空気だった。


昨夜も任務があった。


通り魔。——正確には"人に取り憑いては通り魔をさせる怪異"の討伐だ。


人の弱みにつけ込み、内側から研いでいく。怒りを尖らせ、衝動に火をつけ、刃物を握らせる。

宿主の意思を薄く残したまま、「そうせざるを得ない」形に追い込む。


レイはフェンスにもたれ、制服の上から胸元の傷を押さえた。

痛みは鈍い。血は止まっている。動けばまた開く。夜の名残が体の奥に残っていた。


昨日の光景が脳裏をかすめる。


灯郷椿。


夜の街で、誰かと笑いながら歩く背中。通り魔の怪異が向かっていた。


九尾が狩るのが遅れていたら、襲われていただろう。

でも守ったわけじゃない。ただ、昨夜の任務が通り魔の討伐だっただけだ。


カナメは椿に気づかなかったようだ。気づいていたらすぐに久世に報告しただろう。


呑気だな、とレイは思う。


苛立ちはない。感情を動かすほど、他人に興味がない。


屋上の下から、式の終わりを告げる拍手が遅れて届いた。雑音のように薄い。


レイは息をひとつ吸って、吐いた。


そろそろ行くか。


教室の前の廊下は、落ち着かない匂いがした。

レイは扉を開け、何食わぬ顔で入った。


数人の視線が一瞬集まる。

不愉快だ。


——そして、面倒の種である椿が目に留まる。


椿の周りに、今にも消えそうな怪異が二、三匹、群がっていた。


小さい。形も曖昧だ。ぬるい霧みたいに肩のあたりに引っかかって、時々、髪の影に潜る。


浄化を望んで寄ってくるだけのやつ。灯にはそういった怪異が集まりやすい。


反対に、灯を脅威に思い消そうとするやつもいる。昨日の通り魔がそれだ。


椿は嫌そうな顔をしているが、すぐには祓わない。髪を手でなびかせる仕草でさり気なく振り払う。


——育ちが出るなと思った。


レイは自分の席に座り、頬杖をついて観察した。


椿が、ふっとこちらを向いて目が合う。


レイはすぐに視線を外し、窓の外へ目を向けた。


桜が舞っていた。


花びらが風に乗って散っていく。誰かが喜ぶための景色だ。


レイの人生には似つかわしくない。うんざりするほど、明るい。


——くだらない。


レイはただ、時間が過ぎるのを待った。



放課後。


校門を出たところで、壁にもたれている男がいた。銀髪の前髪で片目を隠し、赤い瞳だけが薄く笑っている。


カナメ。こんな所にまで着いてきたのは、監視のためだろう。


制服の生徒が行き交う中、あいつだけ浮いていた。人の形をしているのに、人の輪に馴染まない。そういう違和感。


レイは無視して、その横を通り過ぎた。


「うわ、冷たぁ。迎えに来たったのに」


背後から、関西弁が追ってくる。


「学校どうやった?青春しとった?友だちできた?」


レイは答えない。


歩幅を変えず、ただ前へ進む。


「ほんまに一言も返さんのなぁ。レイちゃん、そんなんやから陰キャ言われんねんで」


煙草の匂いがふわりと流れてくる。わざと距離を詰めている。


「……黙れ」


吐き捨てても、カナメは楽しそうに笑うだけだった。


「はいはい。ほな、今夜もやなぁ」


その言葉だけは、レイの耳に引っかかった。


そうだ。今夜も任務がある。


制服のまま夜へ戻る。普通の生徒の顔のまま、人を壊す怪異を狩る。


レイは桜の花びらがまだ肩に乗っているのに気づいて、指で払った。


落ちた花びらは、風に持っていかれた。


その軽さが、腹立たしいほどだった。

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