観劇の後は、喫茶マチソワで

@yoshinari-writer

episode1.琥珀色のマチソワ

ある劇場の裏路地にひっそりと佇む「喫茶マチソワ」。

古びた真鍮のドアノブを回すと、焙煎された豆の香りと、

舞台メイクの白粉の匂いが微かに混じった、

劇場関係者だけが知る特別な空気が流れている。


そこは、観劇前のお客様や、観劇後のお客様はもちろん、

公演中の劇場関係者も訪れる、劇場使用者にとって特別な場所だった。


「……ねえ、マリコ。もし、もしもよ?

荒彦さまが明日結婚発表とかしたとしたら、マリコならどうする?」


マリコと観劇に来ていたサツキは、

琥珀色のコーヒーにミルクを丸く注ぎスプーンでかき混ぜながら、切り出した。

マリコは、観劇後の高揚感で赤らんだ顔を上げ、困ったように笑った。


「また極端な話ね。荒彦さま……吉巻荒彦(よしまき あらひこ)さまって、今が一番じゃない?人気もビジュも演技も、何もかもすべて完ペキ。

ドラマも次の舞台も発表されたし…

それにこのBL作品の舞台は原作者さんのご希望で荒彦さま以外絶対NGだったらしいじゃない。そんな荒彦さまが、今この人気絶頂の中で、そんなこと考えるかな…?」


「もちろんあり得ないと思うよ。マリコから聞くに、どうやったってスケジュールぱつぱつだし、追っかけるこっちも大変なスケジュールで、デートとか無理だとは思うけど…。まぁ、私の推しはこれからな若手俳優だから、キャスト枠でチケット取れないってことはまだないけど。

そこは荒彦さまも人の子、マリコも推しのそういうことも考えたりするのかなって。」


「荒彦さまは今、飛ぶ鳥を落とす勢いなのよ。今回のBL舞台だって、チケットは全通しようとしたって取れないくらいの倍率だったんだから。

ファンクラブに入ってもチケット取れないんだよ。仕事が恋人、でしょ?

もちろんそういう話になった時は、『おめでとう』とは言ってあげたいけど…。」


「甘いわね。最近の荒彦さま、お芝居が変わったような気がするの。

前、マリコと一緒に言った舞台で見た荒彦さまの演技なんだけどさ、

昔はもっと、飢えた狼みたいに孤独というか闇が見えるような目というか背中を感じていたの。

でも今は、その孤独の根底に『守るべき誰か』の体温、みたいなのを感じるの」


「そうかな…。あの舞台は、孤高の騎士兵団の兵長だったから、誰が自分自身を殺しに来てもおかしくないっていうキャラ設定とかだったと思うよ。」


「うーん、そうだけど…そうなんだけどさ。

 なんか、あの目の奥に、何かを感じるの!!」


「また、サツキの『感じるの』が始まったよ。とにかく、荒彦さまに限って、今今の結婚ってないと思うわ!」


マリコは、自身の給料のほとんどを遠征費と「投げ銭」に近い物販に注ぎ込んでいる。


「じゃ、マリコ自身は、結婚ってどういう風に思うの?」


「また、センシティブな話を…。私の結婚観? そんなの、荒彦さまが独身でいてくれる世界線でしか成立しないわよ。彼が誰かと添い遂げるなら、私は一生、独身のまま彼への供養を続けて死ぬ。それが私の『推し心中』の作法だから」


その極端な言葉を、カウンターの奥で、この店の店主・緒川が珈琲豆をひきながら、静かに聞いていた。


ここは劇場の路地裏にある喫茶店。


昼公演(マチネ)と夜公演(ソワレ)の間、通称「マチソワ間」に、観客たちはここで感想を語り合い、推しへの愛を再確認する。


マリコは自身の給料のほとんどをチケット代と遠征費に捧げている、いわゆる「ガチ恋」に近いファンだ。


「荒彦さまはずっと舞台上の遅咲きだった。地下みたいな小劇場で泥をすすってた頃から支えてきたのは私たち。でもね、最近の彼は綺麗になりすぎた。まるで、誰か特定の人に愛されているみたいに」


マリコの視線は、テーブルに置かれたアクリルスタンドに注がれている。


「ぶっちゃけるわよ、推しの結婚は、『死』と同じよ。でも、彼の幸せを願えないファンは二流だって言われる。私は、超一流のファンでいたい。でも、心が追いつかないの。やっぱり推しの結婚は嫌。私はだれを推して生きていけばいいの? 推しの嫁を食わせるためにお布施してるわけじゃないのよ。」


「あー、本音が出ました。そうよね。こんだけつぎ込んでて結婚します、ファンクラブの閉鎖しますってのはやってられないわよね。挙句、子供なんかできた日には、推しの子とはいえ、あなたの子のおむつ代を出したいわけじゃないのってなるわよね」


時刻はちょうど公演15分前を迎えていた。


「ね、こんな話している場合じゃないわ。サツキ、もうそろそろ行かないと」


「「ごちそうさまでした」」


2人は会計を済ませ、表通りに向かっていった。

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