第6話 首輪の代わりにお揃いの指輪を

 その日の仕事は、生きた心地がしなかった。

 河野さんをはじめとする同僚たちは、あの会議室への脱走劇以来、どこか遠巻きに健司を見ている。

 愛美の狙い通り、健司の周りから余計な人間関係が音を立てて崩れ去っていくのを感じた。

 定時を告げるチャイムと同時にスマホが震える。


『お疲れ様、旦那様。寄り道せずに帰ってきたら、今日は健司さんの好きなハンバーグですよ。……あと、プレゼントがあります』


 プレゼント。その響きに健司は期待よりも先に今度はどんな監視デバイスだという警戒心を抱いた。

 だが、アパートの扉を開けた瞬間、そんな警戒心は、暴力的なまでの家庭の温もりによって溶かされる。


「おかえりなさい、健司さん!」


 愛美が玄関まで駆け寄ってきて、健司の鞄を受け取る。今日、職場で浴びた冷ややかな視線とは対照的な、ひたむきで狂おしいほどの熱量。


「ただいま、愛美」


 その言葉を口にするのが、日に日に自然になっていく自分が健司は怖かった。

 食卓には、肉汁溢れる特大のハンバーグ。

 そしてその隣には、今日も小さな器に盛られた赤飯があった。


「……ハンバーグに赤飯?」

「お祝いですから。私たちの婚姻届が無事に受理されたのを確認しました」


 愛美は、うっとりと健司の手を取った。そして、ポケットから小さな気品のあるベルベットの箱を取り出す。


「はい。これ、私たちの『絆』です」


 箱の中には、シンプルなプラチナの指輪が二つ。


「……結婚指輪」

「ただの指輪じゃありませんよ。内側に私の皮膚の一部から培養した組織を特殊加工して埋め込んであります。冗談です。でも、最新のバイタルセンサーと、強固なロック機構が付いています」


 愛美は、健司の左手薬指に指輪を滑らせた。

 カチリ、と小さな金属が噛み合うような音がした。


「これ、一度はめたら、私専用の解除キーがないと外れないようになっているんです。無理に外そうとすると、私のスマホに『旦那様が私を拒絶しました』って悲しい通知が届いて、指輪が熱を持って警告してくれるんですよ」


 健司は指輪を動かそうとしたが、それはまるで最初からそこにあったかのように、皮膚に吸い付いて離れない。


「これじゃ、まるで首輪じゃないか」

「首輪なんて嫌な言い方しないでください。これは、私たちが繋がっているっていう『証明』です。ほら、私とお揃い」


 愛美も自分の指に同じデザインの指輪をはめていた。

 彼女は健司の手を自分の頬に寄せ、幸せそうに目を細める。


「これで、会社の人もみんな分かってくれます。健司さんには、帰る場所があるんだって。……さあ、冷めないうちに食べましょう? 今日はハンバーグの中に健司さんが子供の頃に好きだったチーズをたっぷり入れておきましたから」


 ハンバーグをナイフで切ると、中からとろりとチーズが溢れ出す。

 一口食べれば、脳が痺れるような多幸感が全身を駆け巡る。GPS、盗聴器、外れない指輪。

 外の世界との繋がりを断たれるたびに、愛美が提供する報酬は甘美さを増していく。


「……美味いよ、愛美」

「ふふ、嬉しい。明日はもっと、健司さんの好きなものだけで世界を埋め尽くしてあげますね」


 健司は、左手薬指の冷たい感触を確かめながら、赤飯を口に運んだ。

 自由を失うことと引き換えに手に入れた、この異常なほどに完璧な安らぎ。

 もはや、どちらが幸せなのか、健司には分からなくなっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

帰ったら赤飯を炊いてるストーカーが居た。そのまま結婚した。 空落ち下界 @mahuyuhuyu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画