第5話 タルトタタンもどきにアイスと謎を添えて・中
再びカミラが店を訪れた日は、レシピを確認した日とは打って変わって快晴になった。
雨やみぞれで濡れていた街路はからりと乾き、穏やかな日差しが町全体をぽかぽかと暖めている。
陽気につられてか年末の忙しさ故か町中を歩く人の姿も多く、いかにも商売日和ではあるものの、本日の魔法食堂マリエットは定休日だ。
レシピを見るかぎり結構な時間が必要そうなケーキを焼くためには、さすがに営業日の空いた時間で、というわけにはいかず、休みを使っての作業になったのである。
今日のカミラはエプロンと三角巾まで持参し、すっかり準備万端だ。
バルトのほうも、分量が明確に訳されていたものについては計量を終え、準備し終えている。
カミラが訳を書き込んだレシピを再度読み返しているあいだ、バルトの死ぬほど悪い目つきは余計に険しさを増すが、とくに不機嫌なわけではない。
「わからない部分は無いが……、やっぱり菓子ってのは工程が多いな。めんどくせえ」
「美味しいものって手間かかるんだねえ」
「とりあえず、分量がはっきりわかったのはお手柄だった。よくやったな」
「へへへ。初心者用レシピを探したら、大さじとか小さじと重さの対比表が見つかったからねえ。あとで渡すね」
「おう頼む」
少なくともこれで、目分量でおおよそのところを理解する、などという面倒極まりないうえに不安感溢れる工程はもうやらなくて済むことになった。これは大きな進歩だ。
それを元に幾つかの材料も計量し、すっかり準備を整えたところで、今日もオレンジの髪を三つ編みにしたカミラがわくわくとした顔でキッチンへ入ってくる。
「リンゴはもう皮むいてあるから、鍋に入れて煮始めてくれ。コンロの使い方わかるか? 弱めの中火にしておいて欲しいんだが」
「あー、仕組みはわかる!」
やや不安のある返事ではあったが、さすがに魔術のプロは魔石燃料のコンロの仕組みを正確に理解していたらしく、問題なく火加減を調節した。
水はいまから量ってもらうが、リンゴと一緒に煮る砂糖とバターのほうは、既に計量済みのものが小皿に用意してある。今回用意したレシピはケーキのサイズがやや大きく、そのぶん使う砂糖も大量だ。鍋に投入する糖分と油分の量からカミラは目を背けた。
「ちゃんと見とけ。甘いもん控えられるようになるぞ」
「罪悪感がないほうが美味しく食べれていいじゃないか!」
「まあそうか……」
少なくともカミラはまだ若い。甘いものの取り過ぎが明確に体調に表れ始めるのはまだ先のことだろう。ということでバルトは本人の自主性に任せることにした。
リンゴを横目に、バルトはキッチン裏のパントリーからパイ生地の材料を持ってくる。出されたバターの量に、カミラは戦いた。
「うおわ……」
「諦めろ。おまえが普段食べてるケーキはさらに大量にバターが使われている可能性もある。それより時々リンゴかき混ぜるの忘れるなよ」
「おおわ……」
木べらを片手に人語を失ってしまったカミラをよそに、バルトは早速材料を合わせ始めた。
最初に混ぜるのは粉とバターだ。バターをざくざくと刻むようにしながら粉としっかりなじませ、その次に卵や水を混ぜて纏めていく。そこから生地を丸くのばしてフォークでいくつも穴を開けていくまでをあっというまに済ませてしまうバルトを見て、カミラはほおと素直に感嘆した。
「わあ、慣れるとそんなに早くなるんだ」
「いや、俺は菓子はあんまり作らないほうだぞ。本職に見られたら雑だって怒られそうだ。
生地は冷蔵庫で冷ますと書いているが、この時期はうちのパントリーの勝手口付近のほうがクソ寒いのでそのへんに置いたほうが早い」
「生活感があふれているなあ」
「うるせえ」
なにはともあれ無事に出来上がればそれで良いのだ。しかし急速に冷やすことが問題ないのかについては、バルトの知識にはないのだが。
幼少期から過ごした隊商での料理係としての実践と、前店主から教わった料理の知識はあれども、バルトにはいわゆる調理学校だとか、権威のある店での修業経験のようなものはない。そのためこうして体当たりで何事もやってみるクセがついていた。
それで成功することもあれば、予想外の結果や失敗を体験することもある。バルトとしては、それはそれで楽しいのだ。
カミラの手から木べらをもらい、大きく切ったリンゴを崩さないよう時々かき混ぜていると、段々とリンゴの水分が出てくる。それが無くなり表面がカラメル色になるまで煮詰めればリンゴのカラメリゼの完成なのだが、漂う良い香りにカミラはだんだんつらくなってきた。
「お腹空いたな……」
「なんだ、飯食ってないのか?」
「いやそこそこ食べてきたんだけれど、こんな美味しい匂いしてるのにまだ食べれないのかと思うと、胃よりも精神が空腹を訴えてきて……」
それはそれはしょんぼりと肩を落とすカミラの様子に、バルトは少々哀れみを覚えた。元々、腹が減っている人間には何か食わせてやりたくなる性分の男なのだ。
鍋の中のリンゴ達は、レシピを参考にするならもう少々煮込んだほうが良いだろう。が、食べたいと思ったときに食べるもののうまさというのは、並々ならぬものだ。バルトは食器棚から二枚の小皿とフォークを取り出し、りんごを一つずつ取り分けた。
「ほら食え。まだまだ時間かかるから、これで精神を誤魔化しておけ」
「や、優しい……!」
早速リンゴをシャクシャクと食べながら、まるで救世主を崇めるようなきらきらとした視線を自分へ向けてくるカミラに、バルトはなんだか居心地が悪くなった。調理途中のリンゴ一切れでそんなにも感動しないでほしい。
「お前、食い物くれるからって変な奴についていったりするなよ……」
「あれっ? 私もしかしてめちゃくちゃ頭悪いと思われてるのか??」
その通りだがバルトは礼儀正しく肯定を避けた。
そんなことをしているうちに、リンゴはキャラメルの香ばしさを纏ってすっかりやわらかく煮上がった。
底の深いフライパンを用意し、そこへどんどんリンゴを敷き詰めていく。が、くし形のリンゴたちはいくら柔らかいとはいえ、自分からフライパンの型どおりにきっちり詰まったりはしてくれない。
「……ちょっと崩れるだろうが、マッシャーでぐっと押し込んでいいか?」
「マッシャーってなんだ?」
「あれ。芋とか潰すやつ」
「うーん。大丈夫じゃないかなあ。写真で見る限り、確かにリンゴの形が綺麗なほうが見栄えは良いだろうけれど、ひっくり返したときの安定性を考えると、ぎっちりしてるほうが良いだろうし」
「だよなあ。よし」
バルトは頷き、さっそく熱々のリンゴをマッシャーで押し、上辺を平らにしていく。そこに冷やしておいたパイ生地を綺麗にかぶせれば、あとは焼くだけだ。
「オーブン開けるからちょっと離れてろ」
「はあい。……うわあっつ!」
しっかりと熱されたオーブンを開けた途端、熱気がぶわりと周囲へ広がる。バルトは顔をしかめてそこへフライパンを突っ込み、急いで扉を閉めた。
魔術都市の工房謹製のこのオーブンは、熱が周囲に伝わりにくく置き場に困らない便利な代物だが、だからといって中から溢れてくる熱気まではどうにもならない。なので夏場などはついオーブンを使う料理を避けたくなるものだが、冬場の料理には良いものなのだ。
タルトタタンは取り出した後の飾り付けの工程はない。つまり焼き上がりを待つ間、やることがなかった。
そうなれば自然と世間話の一つや二つ出てくるというもので、カミラは出してもらったミルクティー片手に、カウンターに座ってこんなことを話し始めた。
「実は知り合いの教授が、昨日から家の金庫の鍵が見つからなくて困ってるんだよねえ」
「へえ。良い鍵屋紹介してやろうか」
「いや、犯人はわかってるんだ。その家のお子さんが悪戯で隠しちゃったんだって。教授としては父親の威信にかけて子供からヒントをもらわず見つけたいらしいんだけど、もう一日見つからないままなんだよお」
「へえ」
気のない返事をした後で、ふとバルトは思いつきを尋ねてみることにした。
「必ず家の中にあるんだな?」
「そういうルールみたい」
「その子供はその日何してたのかとかは、わかってるのか?」
「いやー、お利口に一人で読書したりお絵かきしたり、お母さんの料理の手伝いしたりってかんじみたいで。あ、ちなみに自分の部屋には隠してないらしいよ」
「そうか。その料理ってのはなんだったんだ?」
「えー、メニューはあんまり詳しく聞いてないんだけれど、お昼と夕飯と、あとケーキ焼いたらしいよ。ほら、新年に食べるやつ。あれの練習だって」
そこまで聞いて、バルトはなるほどと頷いた。しかしカミラとしては一人で納得されてもつまらない。
「ええ、なんか思いついたなら教えてよ!」
「ああ? いや、当たってるかはわからねえだろ」
「まあまあ。言うだけタダだよ」
「……新年のケーキってのはアレだろ。ガレット・デ・ロワだよな?」
「あー、そうそう。それ」
ガレット・デ・ロワというのは、一部地域で年明けの最初の休日に食べられるケーキの名称だ。アーモンドのクリームをパイで包み、表面に縁起の良いモチーフの文様を描いた見目の良いケーキであることの他に、もう一つ特徴がある。
ケーキの中には空豆や陶器の小さな人形が入っており、切り分けたケーキの中からそれを引いた人は幸運を得ると言われているのだ。
「家中探しても見つからないってんなら、中に入ってるかもと思ってな」
「なるほどお!」
「まあ日持ちする菓子じゃねえし、もし正解なら今日にでも食って出てくるだろ」
「はは。ちゃんと洗って入れてくれてるといいね」
「全くだな」
そうして話している合間に、バルトはオーブンの中を時折覗き込む。レシピの焼き時間はなるべく守る予定だが、そもそもこのレシピが載っているのは異世界の本だ。オーブンの性能がこの世界のこのオーブンと同じとは限らない。そのため焼き色をこまめにチェックしているのだが、そのたびカミラはそわそわとするのだ。
その様子には当然バルトも気付いている。オーブンの狭い窓から見る限り、焼き上がりはまだ少々先だ。しかしそれに追加して、バルトはカミラに告げておくべき残酷な真実がひとつあった。
「言っとくが、焼けてもすぐには食えないぞ」
「えっ⁉」
ぎょっとして目を丸くするカミラに、店主は無慈悲にレシピの一文を指し示した。
「見ろ。ここに冷ましてからひっくり返すって書いてあるだろ。どっか行って用事でも済ませてからまた来いよ」
「あ、ああ……」
がくりと崩れ落ちるカミラ。髪もほどいてすっかり実食する気満々だった彼女にとって、お預けほどつらいものはない。
しかしここで文句を言っても、タルトタタンは冷めてはくれない。カミラはすごすごと店を出ていくのであった。
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