第2話 初めて食べる肉じゃが風・中
翌日のことである。昼営業を終え、店主がまかないのスープパスタをすすっていると、再び店の扉が無遠慮にどかりと開け放たれた。
「酒はライスワインのことだったよ!」
開口一番の報告に、バルトはきょとんと目を丸くする。視線の先にいるのは紙束を手にしたカミラだ。ふわふわの赤毛をもふもふ靡かせ、彼女はカウンターにどちゃりと行儀悪く座り込んだ。
「計量についてもこれより量が見やすい本を見つけてきた! あとね、醤油は大豆と塩を発酵させて作った、発酵調味料だった! こんにゃくはこんにゃく芋っていうのからとったデンプンで作った加工品! みりんは甘いお酒だって!」
早口にそう言うカミラの目には、なんとしても頼み込むぞという熱意が溢れている。バルトは彼女を見て、近所に住む野良猫を思い出した。店が終わる時間になると裏口にたびたびふらっとやってきては、余った肉や魚を食わせてもらうまで、延々扉をトントンカリカリとやりつづけるのだ。余り物がなかった日には、それはそれは恨めしそうに目を細めるので、結局芋の蒸かしたのやパンのあまりを見つけてきては渡してしまう。
バルトはため息をつき、食べかけのパスタの皿を脇に置いた。
「ところでお前昼メシは食ったのか?」
「いやあ、調べ物に時間がかかっちゃって……」
「あ゛? 馬鹿野郎若いモンがメシ抜いてんじゃねえぞこら。ちょっと待ってろなんか作るから」
「わあい!」
バルトは外見と口調こそヤクザの如く険しかったが、こういうところがあるため案外好かれている。結果として年下の常連にすらだいぶ気安く接されているが、本人は自分の評判には無頓着だった。
手早く用意されたスープパスタを、カミラはみじんの遠慮もせず受け取ってはふはふと食べ始める。二人並んで麺をくるくる巻いたりスープを啜ったりしているうち、カミラははっと顔を上げた。
「おいしい!」
「良かったな」
「よかったけど違う! どうかな?! この前言ってた問題点はなんとかしたつもりなのだけれど!」
アサリとエビのうまみたっぷりのクリームスープパスタでは誤魔化されなかったカミラに、バルトはチッと舌打ちをする。
「いいじゃねえか他の料理でも」
「じゃあ店主さんはステーキの気分の時に煮魚で諦められる?」
そう言われてバルトは黙った。どう考えても諦められないに決まっていたので。
反論に窮した相手に気を良くしたカミラは、ふふんと胸を張って、小袋を一つ取り出す。中からじゃらりと音のするそれをカウンターに置き、彼女はきりりと表情を引き締めた。
「勿論報酬だって用意してるぞ! 銀貨十枚! あとエンテート産赤ワイン!
さあ一緒に美味しい料理を作ろうじゃないか!」
その言葉とともに差し出された手を、バルトはがっちりと握りしめた。
「引き受けよう」
世の大半の人間がそうであるように、店主もまた金が好きだ。それはもう当然そうだ。なにせこの男は店を繁盛させることより、そこそこの儲けでそこそこの蓄えをし、早めに楽隠居になるのが夢という無精な男なのだ。だからいくら貰ったって貰いすぎと言うことはない。
銀貨十枚というのは、少々お高い料理屋で前菜からデザートまで食べられるだけの金額だ。いくら珍しい料理だからとはいえ、一皿にこの金額は破格である。
それにエンテートの赤ワインと言えば、その芳醇な香りと柔らかな甘みで有名だが、大半が産地で消費されてしまい市場に出回ることは少ないというマニアうけする逸品だ。バルトはあまり酒に強いわけではなかったが、良い物を少量嗜むのは好きだった。
そうと決まってしまえば話は早いほうが良い。バルトはさっさとまかないをかき込むと、席を立った。
「じゃあひとまず作ってみるか。食ってけよ」
「え、良いの?!」
「良いよ。材料もだいたいあるしな」
一部不明なものはあるものの、肉じゃがの食材は牛肉、じゃがいも、にんじん、たまねぎ。いつでもキッチンにあるような、ありふれたものだ。いま作れないこともないだろうとバルトは考えた。それに後日またカミラに突撃されるのも正直面倒だ。
「こんにゃくはイモのデンプンで作った麺って話だったな。全く同じ物は売っていないだろうが、代用は可能だろう」
少し考えてから、バルトは報酬の袋の中から銀貨を一枚取り出し、カミラへ放ってよこす。
「いいか、ここ出て右に三件隣の店で、店番のおばちゃんにちょっと太めの春雨くださいって言ってこい。ちょっと太めだぞ。平打ちパスタみてえなの買ってくるなよ」
「わかった!」
急いで駆けていくカミラを見送り、バルトはさっさと調理の準備を始めた。
レシピを作業台の端へ広げたあと、手をしっかり洗って食材を用意する。カミラに言ったとおり、野菜類も牛肉も十分にある。
まずは鍋に湯を沸かしはじめ、その間に先にじゃがいもの皮をむいて一口大に切り、水にさらす。にんじんとたまねぎも指定通り切ったところで、大慌てでカミラが返ってきた。
キッチンの入り口まで彼女が来る前に、バルトは食材の下処理をしながら声をかける。
「まず髪の毛纏めてこい。それから手を隅から隅まできっちり洗え。爪の間もだぞ。あとハンカチかなんかで耳を隠せ」
「まかせとけ!」
カミラはまあまあ雑で大雑把な性格ではあるものの、魔術の学習の中には薬品作りも含まれるため、手指衛生についての知識はきちんとある。ふわふわの赤毛もきっちり三つ編みにし、上着はカウンターに置いてきていた。ふわふわの猫の耳も苺柄のハンカチでしっかり覆ってある。
バルトはそれをちらりと横目に見て問題ないと確認したあと、コンロの端で湧かされている小鍋を指差した。
「ここに春雨をひと束入れて三分茹でろ。だいたい三から四倍になるからな、欲張るなよ」
「了解ー。ちょっとだけだね」
「そこそこ柔らかくなったらすぐにざるにあけていい。やりかたわかるか?」
「パスタのゆで汁捨てるときみたいな?」
「まあそれで大丈夫だ」
紙袋の中から出した春雨は、熱湯の中へ入れられるとすぐに柔らかくなる。軽く煮たらすぐにザルへあけ、それをバルトが受け取り水気を切ってから三等分にし、薄切りにしておいた牛肉と炒めていく。バルトは横からフライパンの中を覗き込んでいるカミラの前にちょいと片手を出し、戸棚を指差した。
「適当に皿取ってくれ。でかくなくていい」
「おー、じゃあこれにしようかなあ」
飾り気のない白い皿へ軽く火の通った牛肉と春雨をあけ、今度は切っておいた野菜を炒め始めたところで、バルトはやっぱり横からずいずいと覗き込んでくるカミラを腕で軽く押し返した。
「あとは煮るだけだから、別に手伝うことねえぞ。カウンター回ってお菓子とか食ってろ。クッキーあるぞ」
「いやー、見てるの結構楽しいから居させてよ! お菓子はあとで食べるよ!」
「ならいいか……」
バルトとしては、初めてのレシピとはいえ行程自体はやりなれた事の連続だ。楽しくないと言うほどでなくとも、心躍るわけでもない。見ているだけなら余計に面白みはないだろうと一応気を遣ってみたのだが、横に居るカミラは言葉通り目をキラキラさせていた。
邪魔なわけでもないし、まあ悪い気はしない。ひとまず火の気のあるところへ不用心にぐいぐい近づいてくることにだけは苦言を呈しつつ、肉じゃがを煮込み始める。
その間に調味料を用意するのだが、この時点で再び再現の問題点があった。幾つかの瓶を用意しながら、バルトはレシピを睨み付ける。
「ライスワインは一応ある。絵……、写真だったか。もしかしたら料理用があるのかもしれねえが、多分飲用のやつでも良いだろう。みりんは甘い酒だったか? ひとまず酒と砂糖の分量を増やすぞ」
「うーん、なんか風味とか違ってきそうだなあ」
「そりゃそうだろうが、そもそも正解の味すらこっちは知らねえんだから我慢しろ。
問題は醤油だ。行商でも見かけたことがねえ。こっちも無いモンは仕方ねえから魚醤で代用する」
「材料はわかってるし、作れないかなあ、これ」
「馬鹿言うな。発酵食品なんてのは素人が手ェ出すと最悪死ぬぞ。それにお前完成まで何年待つ気だ?」
「ううーん、この場で食べたい!」
こうして再現度は食欲の犠牲になった。
バルトとて金まで貰ったのだからある程度クオリティを高めたいと思ってはいる。しかしカミラに言ったとおり、ない物はない。この状態で他の文献をあたり、何度も試行錯誤を繰り返すとなれば、今度は貰った金程度では割に合わないと言わざるを得ない。それは彼女もわかっているのだろう。
バルトはカミラが持ってきた資料の中から、調味料が分かりやすく小皿やカップに分けられている写真の載っている物を抜き出す。彼が見ているのは割合だ。小さじ一と大さじ一がどの程度量が違うのか、また一口大と書かれた具材と、そこへ調味料が入れられる写真では容器がどの程度の大きさに写っているのか。
いくら見ようがまず資料が少ない上に結局目分量でしかないのだが、全く目安がわからないよりはだいぶマシだ。
ひとまずこの程度だろう、という量を用意しながら、バルトは首を傾げた。
「大体合ってると思うんだが……、この、砂糖の量は本当にこれでいいのか……? いや、甘みを加える料理は他にもあるが、本当にこんなに……?」
「お菓子作るみたいな量だね」
「馬鹿言うな菓子はもっとえげつない量入れるぞ」
「やめて。食べにくくなっちゃうだろ」
「現実を受け止めろ。……まあ、二回くらい試してみるか」
さすがに少々怖じ気づき、バルドはフライパンの中身を二等分にした。一回試しに味付けをし、駄目なら二回目で調整しようという作戦だ。
しかし変わったレシピだ、とバルトは内心首を傾げる。この町は物流や生産力の特殊性から砂糖も比較的安価で容易に手に入れることが出来るが、普通甘味というのは贅沢品だ。あまり気取ったところのない、家庭料理らしきものの味付けに砂糖を使うのは珍しい。
このレシピの書かれた場所は砂糖の生産地だったのだろうか。なんて考えてみるものの、そんなことは関係ないかとすぐに頭から追い出した。そんなことまで興味を持つのは、研究者に任せれば良い。それこそ目の前のカミラにでも。
先に砂糖と酒を入れてくつくつと具材を煮ながら、バルトはもっと身近な謎に興味を持つことにした。
レシピに大きく載る完成写真では、黄色と茶色とオレンジの暖色づくしの料理の上に、彩りとしてか豆らしき野菜が添えられている。ただの彩りの可能性もあるが、必要な物なのだと考えるべきだとバルトは思った。既にかなり元のレシピから離れているとはいえ、できることはしておくべきだ。
「この絹さやって名前の、さやごと食うらしい豆はここらで見たことがねえ。だから冷凍枝豆で済ます。インゲンでもありゃ良かったんだが、いまは切らしてるからな」
「私枝豆好きだよお」
バルトが魔術都市に住むのを決めたいくつかの理由の一つが、この冷凍保存技術だ。これは氷の魔法を使える魔術師が山ほど住んでいるここならではの技術のひとつで、このおかげで冬でも塩漬けや乾物ではない多種多様な野菜を食べることができる。
ちなみにバルトは枝豆というものをこの町に来て初めて食べた。大抵の町では鞘がカラカラになるまで熟した大豆を食べているからだ。
枝豆を流水で解凍しつつ、肉じゃがになる予定の素材達をレシピ通りの時間煮込んでから、いよいよ一番不安な工程へと入り、バルドは思わず眉を顰める。
手には魚のマークの付いた瓶が握られ、目の前には甘い香りを漂わせる野菜と牛肉。自分が行っていることに、全く自信が持てなかった。
「あとは魚醤だが……。さすがにこれは全然味が違う可能性がある。塩分濃度もどの程度醤油と近いかわからん。なのでこれは具合を見つつ加えていこう」
「料理って色々大変なんだねえ」
「別に大変ってわけでもない。なんにでもある程度のルールがあるだけだ」
とにかくやってみないことには結果はわからない。
レシピでは醤油はみりんと同量入れられていたが、まずはその半量を入れてみる。全体をぐるりと掻き回して味をなじませ、バルドは芋の欠片をおそるおそる味見した。
「……お」
思っていたより、味はずっと良い。もう少し魚醤を足すバルドの横を、カミラは不満も露わにうろうろと歩き回ってはフライパンの中を覗き、店主の仏頂面へしかめ面を向けた。
「ずるい。私にも味見をさせるべきだ!」
「文句言うな。完成してないモンを客に食わせられるかよ」
「今回は特殊事例だ!」
「ところでお前、たまねぎって食えたか?」
「ネギもイカも大丈夫だし、今日の朝ご飯はホットチョコレートだったよ」
「固形物食え」
「ええー、じゃあ明日はトーストも付けようかな」
「目玉焼きも付けろ。あと料理盛る皿、好きなの選んで良いぞ」
「わあい」
あまりにも簡単に誤魔化されたカミラが食器棚の前で悩む姿を、バルトは内心ちょっと心配しつつ眺めた。
彼女はこの町の最高学府で専門知識を学ぶ魔術師、という非常に知的な人物のはずなのだが、こういうチョロいところがある。
まあ、きっと自分の知らないところでは、非常に賢いことをしているんだろう。ことことと美味しく煮える肉じゃがもどきの前で、バルトは礼儀正しくそう考えた。
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