第三章 自分の居場所 ――白銀目線――

 奥から戻ってきた慧真けいまさんが、紅茶と、個性あふれる創作菓子を何種類も並べ始めた。


「当店自慢の紅茶と、私が作った菓子——

 春の吐息を閉じ込めた私の思い出、と、青春の灯火を君と、あとそれから——」


「そこまで!」


 春杜はるとさんが遮った。


「創作菓子に妙な名前をつけるのはいいですけど、今はこの子が戸惑う。

 慧真けいまさん、いいですか?

 この子は今、何も分からなくて不安なんです。もう少し配慮を」


 わたくしは、もう堪えきれなくなっていた。


慧真けいまさん……すごいですわ。

 どれもきらきらしていて、宝石みたいですの。

 ……わたくしが頂いても、よろしいでしょうか?」


 慧真けいまさんは、わたくしにナプキンを差し出した。


「もちろんです。

 春杜はるとさんに出しても、可愛げのない反応が返ってくるだけですし、張り合いというものがない。

 君に食べてもらえるなんて、光栄ですよ」


 わたくしは、思わずお菓子に手を伸ばした。


「……とても美味しいですわ。

 慧真けいまさん、こんな素敵なお菓子を作られるなんて。

 それから……」


 少しだけ胸を張って、続ける。


「わたくし、もう“君”ではありませんの。

 春杜はるとさんにお名前を頂きましたのよ。

 白銀しろがねと申しますわ」


 慧真けいまさんは、大袈裟なくらい喜んだ。


白銀しろがね

 それはよかったですね。とてもいい名前です。

 よろしければ春杜はるとさんの分も、どうぞ。白銀しろがねさん」


 春杜はるとさんは、少し不服そうに言った。


「いいよ。俺が食べるより、白銀しろがねに食べてもらった方が、お菓子も喜ぶ」


 春杜はるとさんは紅茶を一口飲んでから、慧真けいまさんを見た。


慧真けいまさん。

 あなた、もう決めた顔をしてる。

 でも確認までに、この子をどうするおつもりで?」


 慧真けいまさんは、甲斐甲斐しくわたくしの口元をナプキンで拭いながら答えた。


「こんな、いたいけな少女を一人ぼっちにできるはずがありません。

 もちろん、家で保護させていただきます」


 わたくしは手を止め、しばし言葉を失った。


「……こんな、素性も分からないわたくしを。

 それでも……ここに置いてくださるのですか?」


 春杜はるとさんは、安心させるような微笑みを浮かべた。


慧真けいまさんがそう言うなら、覆ることはないよ。

 俺もここに住んでるから。分からないことがあったら、頼って」


 思わず立ち上がる。


春杜はるとさん、慧真けいまさん……ありがとうございます。

 至らぬところばかりだと思いますけれど、

 どうぞ、よろしくお願いいたしますわ」


 慧真けいまさんは、わたくしの手をエスコートするように取った。


「では、二階の部屋へ案内しますね」


 慧真けいまさんは二階へ上がり、部屋の扉を開けた。


「今は客間ですが、少しずつ白銀しろがねさんの気に入った物を増やしていきましょう」


 部屋には、静かな時間が流れていた。

 テーブルと椅子、柔らかなベッド、そして控えめに置かれた骨董品。

 小綺麗に整えられていた。


 それよりも、窓の外に、金木犀の花が咲いた木が目に入った。


 部屋に入り、窓の外に咲く金木犀に目を留める。


「……まあ。

 とても、素敵なお部屋ですわ」


 窓を開けると、香りがふわりと広がった。


「気に入りましたか?

 この部屋は、庭がよく見える日当たりのいい部屋なんですよ」


 庭を見渡すと、よく手入れされた可愛い花々が咲き誇っていた。

 特にバラの赤い大輪の花々は見事だった。


 言葉より先に、胸がいっぱいになって、深く頭を下げていた。


「このお部屋……

 わたくし、とても気に入りましたの。

 こんなにたくさんの素敵なものを与えてくださって……

 慧真けいまさんも、春杜はるとさんも」


 春杜はるとさんは照れくさそうに、

 慧真けいまさんは誇らしげに。


 二人がわたくしを歓迎してくれる、その姿勢が、嬉しくて仕方なかった。


「また夕食の時に呼びにきます。

 それまで、ゆっくりなさってくださいね」


 二人が立ち去ったあと。

 わたくしは金木犀の香りに包まれながら、

 これからのことに思いを馳せ、

 可愛い庭を、いつまでも眺めていた。


 コンコン。


白銀しろがねさん。

 お夕飯の準備が整いましたよ。

 今日はささやかな歓迎パーティーです。少し奮発しました。

 料理は逃げませんから、どうぞ焦らずいらしてくださいね」


 そう言って、慧真けいまさんは階下へ降りていった。


“パーティー”という言葉を聞いた途端、

 わたくしは落ち着いていられなくなった。


 気づけば慧真けいまさんのあとを追い、

 置いていかれまいと袖をつかんだまま、食堂へ辿り着いていた。


白銀しろがね、早いね。

 よかったら座って。今、温かい料理を持ってくるよ」


 春杜はるとさんはテーブルにグラスを並べながら、穏やかに手招きする。


「はい……ありがとうございます。

 とても楽しみですわ。

 慧真けいまさんが、お料理を作ってくださったのですの?」


 慧真けいまさんも席につき、軽く肩をすくめた。


春杜はるとさんと共同作業ですよ。

 実は彼のほうが、料理は得意なんです」


 そう言いながら、わたくしのグラスにジュースを注ぐ。


白銀しろがねさん。

 君はいま、何も分からず不安かもしれません。

 ですが……安心してください。

 今は深く語れませんが、君は悪い存在ではありません。

 時が来れば、自然と分かることもあるでしょう」


 思わず肩が跳ね、

 グラスの中身が少し零れた。


「……慧真けいまさん。

 わたくしのことを、何かご存じなのですか?

 もし差し支えなければ、教えていただきたいのですけれど……」


 そこへ、料理を運んできた春杜はるとさんが、静かに口を挟んだ。


白銀しろがね

 この人は秘密主義で、しかも胡散臭い。

 無理に聞き出そうとするだけ、損だよ」


 わたくしは、少しだけ肩を落とした。


 ——けれど。


 ガス灯の明かりに照らされた料理は、

 あまりにも美しく、あたたかくて。


 胸の奥にあった疑問や不安は、

 一時、すべて溶けてしまった。


 ……今は、これでいい。


 歓迎の宴はささやかだったけれど、

 確かにわたくしを、

 あたたかく迎え入れてくれていた。

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