第二章 ここはどこ? ――???目線――
わたくしは、気がついたら大きな塔のある広場に立っていた。
塔があること以外は至って普通で、のどかな午後の一幕だ。
けれど――
前も後も、ない。
時間のつながりが、そこでぷつりと切れている。
ここはどこ?
どうして、ここにいる?
――それはそうですわね。
記憶が、ないのですもの。
わたくしの心とはまるで無関係のように、この公園は平和そのものだ。
人々が皆、安心した顔をしている。
前から歩いてきた親子の、子供の方と目が合った。
「白いお姉さん、どうしたの? 一人ぼっちの顔してるよ?」
取り繕うものは何もない。
けれど――一応、取り繕った。
「白い……?
わたくしが、ですの?」
女の子は、こくりとうなずく。
「うん、白い」
手提げから手鏡を出して、差し出してくれた。
覗き込む。
そこには、白い髪をした少女が、
動揺を隠しながら、手鏡を返す。
「……本当ですのね。
わたくし、白いのですのね。
ありがとうございます。助かりましたわ」
何も思い出せないのは、仕方がない。
そう思うことにして、諦め、あてどもなく歩き出した。
すると――
塔らしきものを、無心に描いている青年が目に入った。
誠実そうな人柄がにじみ出る、茶色の柔らかい癖毛の青年。
わたくしは、絵が大好き、それは覚えている。
絵は、作者の心を映す鏡のようなもの。
そこから伝わる音色は、多彩で、わたくしの心を豊かにしてくれる。
彼の描いている絵を、見てみたい。
そう思って隣に並び、スケッチブックを覗き込み、声をかけた。
「まあ……。
貴方、とてもおもしろい絵を描かれますのね。
ほとんど完成されているのに、要の部分だけが空洞で……
まるで、“可能性そのもの”みたいですわ」
絵を描いていた彼は、飴色の瞳をこちらに向けた。
「これは……昔から染みついてる俺の癖なんだ。
この表現しかできなくてさ。
君は、ここで何を?」
少し考えるふりをして、答える。
「何もしておりませんの。
ここに、いるだけですわ。
何をしたらよいのかも……分からないのですの」
青年は鉛筆を置いた。
「もしかして君、何か困ってる?」
わたくしは、ぱっと目を輝かせた。
「ええ、そうですの!
わたくし、気がついたらこの広場に立っておりましたの」
敢えて、明るく振る舞う。
「自分の名前も、思い出せませんのよ。
冗談みたいなお話ですわよね?
――ねえ、それよりも」
彼に、もう一度鉛筆を握らせる。
「素敵な絵を描かれる貴方。
お名前は、なんとおっしゃいますの?
書いて、教えていただけませんか?」
彼は慣れた様子で、スケッチブックに文字を書いて見せてくれた。
「“あさぎり はると”って読む」
少し困ったように、続ける。
「……君、それは“それよりも”って話じゃないと思うよ。
もう、かなりの一大事だ」
そう言われてしまうと、わたくしも、現実から逃げてばかりはいられなくなる。
言葉を探していると、
「差し出がましかったら申し訳ないけど……
よかったら、俺の働いてる店に来る?」
意味を咀嚼できずにいると、彼は続けた。
「店には、変わった店主がいてさ。
たぶん、君みたいな子を……引き受けたがる。
盛大に面倒を見てくれるよ」
その瞬間、歓喜の花が咲いた。
気がついたら、
「……よろしいんですの?
わたくし、行くところがなくて……
本当に、とても困っておりましたの。
ぜひ、連れていってくださいませ」
「“
立ち上がり、わたくしを促して歩き出した。
「ここだよ。入っておいで……
ちょっと紹介したい子がいるんだけど」
店内に入り、
所々に骨董品が並ぶ、古くめかしいけれど、どこかワクワクする空間。
きょろきょろと見回していると――
ミルク入りの紅茶みたいな髪色の人物が目に入った。
その人物は、わたくしを見るなり目を丸くし、箒を取り落とす。
「どうして……
言いかけて、慌てて口を手で塞いだ。
「
取り乱すなんて、あなたらしくもない。もしかして知り合いとかですか?」
「……いや、違う……」
小さく呟いてから、笑顔を作った。
「気のせいですよ。何でもないです。
それより、紹介したいって……その方ですか?」
「?……まあ、はい。そう。この子です。
自分の名前も思い出せないみたいで、行くところもないみたいなので、連れてきたんですけど」
ミルク紅茶の人は、違和感があるほど綺麗な所作で一礼する。
「これはこれは。初めまして。
私は
挨拶のあと、片目をぱちっと閉じてみせた。
「……初めまして、ですわよね?
どうぞ、よろしくお願いいたしますわ」
「ええ、よろしくお願いします。楽しくなってきましたね。
さっそく歓迎のお茶会を開かなきゃ」
そう言い残し、いそいそと店の奥へ消えていった。
「悪い人ではないんだけど……何かごめんね。俺も君を歓迎するよ。
君……名前、決めておいた方がいいよね。
「君、綺麗な瞳をしている。白銅みたいだ。
“
心の中で、その名前を転がしてみる。
「……とても、素敵ですわ。
わたくし、それがよろしいですの。
こんなに綺麗なお名前を、ありがとうございます」
「気に入ってくれてよかった。
どうぞ、あちらの席で寛いで。
わたくしは――
胸の奥で、何かが静かに動き出すのを感じていた。
それは期待というより、
もう戻れない場所に足を踏み入れた、という予感だった。
けれど、不思議と怖くはない。
そんな始まりの気配に、
わたくしはただ、身を委ねていた。
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