第一章 学び舎の答え合わせ

 翌日、正式に休学の届けがなされているかを確認するため、春杜はるとはわざわざ美術学校に足を運んだ。

 事務の担当者からの返答は、あっけないほど簡単だった。


 ――休学は、すでに受理されていた。


 例の胡散臭い店主、榊原さかきばら

 その家を調べてみると、思っていた以上に発言力のある家柄だということが分かった。


 念のため実家にも連絡を入れたが、どうやら相当な好条件を提示されたらしい。

 この一年間の休学は「美術技能研修扱い」になる。

 期間を終えれば、経歴に箔がつく。

 学費は榊原さかきばら家が全額負担、しかも卒業まで。


 ――あまりにも話が出来すぎている。


 両親はというと、話を聞いた瞬間に喜んでしまい、

「良い話じゃないか」と、あっさり送り出されてしまった。


 手続きが終わりかけた頃、担任に呼び止められた。


朝霧あさぎり君、申し訳ないんだがね」


 嫌な予感がして、足を止める。


「君の絵を、新しく学校に提出してくれないかね」


 春杜はるとは思わず眉をひそめた。


「俺の絵、ですか?

 もう休学が決まったのに、今さら必要なんですか?」


 担任は困ったように頭をかきながら言った。


「君の絵を“貸してほしい”という生徒がいてね。とても優秀な生徒なんだ」


 そして、ぽんと手を打つ。


「ほら、この間の帝国美術展覧会で特選を取った生徒だよ。

 ぜひ協力してほしい」


 ――また、あの話題か。


 内心うんざりしながらも、俺は形だけ了承し、その場を辞した。

 気を取りなおし、本来の目的である学生寮に荷物を取りに向かう。


 本当に、榊原さかきばら堂での生活が始まってしまう。

 頭では理解しているのに、まだ実感が湧かない。


 寮の自室にたどり着き、鍵を開ける。

 部屋に入るなり目にした光景が信じられず、持っていた鞄が手からスルリと落ちてしまった。


 がらんどうだった。

 棚も、机も、ベッドの上も。

 荷物は、ひとつ残らず消えている。


 あの胡散臭い店主の、したり顔が脳裏に浮かんだ。

 春杜はるとは盛大にため息をつき、踵を返した。


 そのとき、校舎の母屋から声をかけられた。


朝霧あさぎり春杜はると!?

 君は朝霧あさぎり春杜はると君で間違いないかい!?」


 知らない顔だった。

 なぜ名前を知っているのか分からないが、厄介事の匂いしかしない。

 昨日の店主の顔が浮かび、憂鬱になって自然と態度が投げやりになる。


「そうだけど……何か用でもありますか?

 俺にしかできない仕事でも?」


「失礼、まずは自己紹介を。

 オレは一学年上の秋月あきづき修一しゅういちっていうんだ!」


 その学生は、いきなり俺の手を両手で掴んだ。


「オレは君の絵に一目惚れした!

 この学び舎で共に切磋琢磨し、画壇を席巻させる作品をともに作っていこうじゃないか!

 いや、それすらもおこがましい。ぜひこのオレを弟子にしてほしい!」


 最近の不運続きが頭をよぎり、思わず本音が漏れる。


「俺、弟子を取るような大層な器じゃありません。

 それに、もう休学が決まっていて……ここを離れて、絵を描く以外にやることがあるみたいなんです」


 秋月は大げさに首を傾げた。


「君みたいな才能の持ち主が、絵を描かないなんて世界の損失だ。

 いったい、何をするっていうんだい?」


 俺はもう一度、ため息をついた。


「“調律師”とかいうのをやるらしいですよ。

 止めようとしても無駄です。榊原さかきばら家が手を回して、もうどうにもなりません」


 その瞬間、秋月の顔色が変わった。


「……なんてことだ。

 ということは、あの榊原さかきばら堂に勤めるのかい。

 榊原さかきばら慧真けいまさんのところに?」


 俺は即座に返す。


「ご存じなんですか?

 あの、慧真けいまさんを」


 ようやく手を離し、秋月は苦笑した。


「知らないわけがない。

 あそこは寂れた古道具屋に見えるが、扱っている品は一級品だ。

 一部では、かなりの有名人さ」


 今度は俺の肩に手を置く。


春杜はると君が落ち着いた頃に、ぜひお邪魔させてもらおう。

 そうだな……その時は、君の“友人”として、改めてね」


 俺はその手を丁寧にどかした。


「もう、好きにしてください。

 それでは、失礼します」


 そう言って、寮を後にした。

 振り返ると、秋月は笑顔でこちらを見送っていた。


 ――先が、思いやられる。

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