感情を管理された世界で、僕らは「傷」を美しく継ぎ合わせる。~金継ぎ調律師と、痛みを忘れた人々の物語~

九条 湊

プロローグ 榊原堂との出会い

 春杜はるとは、「榊原さかきばら堂」と書かれた看板の前で立ち止まった。

 一見すると、ただの古道具屋にしか見えない。


 ――ここまで来たら、勢いだ。


 意を決して、扉を開ける。

 そこには、まるでどこの誰が来るか解っていたかのように、一人の男が立っていた。


「ようこそ、榊原さかきばら堂へ」


 とても胡散臭い笑顔だった。


「俺は客じゃないです。ここに、榊原さかきばら慧真けいまという方はいますか?」


 胡散臭い店員は、当然のように答えた。


「私がその人です。朝霧あさぎり春杜はるとさん。あなたをお待ちしていたんですよ。それはもう、たのしみに」


 ――もう帰りたい。


 なぜこの男は自分のことを知っているのか訝しみ、春杜はると慧真けいまを睨みつけた。


「やっぱり来ない方がよかった。あなた、怪しすぎるんですよ。あんなもの、俺なんかに送りつけてきて」


 慧真けいまは意に介さず言った。


「まあまあ。せっかく来たんだから、ゆっくりしていってください。お茶もお菓子もご用意してるんですよ」


 そう言うと、春杜はるとを応接用の席へ、半ば無理やり連れていく。


「私は遠回りなことをしない性分なので、いきなり本題を言いますね」


 慧真けいまは向かいの席にちゃっかり座り、


春杜はるとさん、ここで一緒に働きませんか?」


 と告げた。


 慧真けいまの灰琥珀の瞳は、冗談を言っているようには見えなかった。


 春杜はるとは真剣に言葉を探す。


「働くもなにも、俺はここから汽車で何時間もかかる距離に住んでますし、学校にも通っている」


 慧真けいまは、脇に置いてあった書類を手渡してきた。

 それは、春杜はるとの通う美術学校の休学許可証と、寮の転出届だった。


 驚きすぎて、声も出なかった。


「私がちゃんと全部、万事解決しておきました。安心して、今日からここで住み込みで働いてください」


 また胡散臭い笑顔だ。


「今日はあなたのせいで、俺の人生最悪の日、更新ですよ」


 春杜はるとは逃げ場を失ったあげく、暴君に捕らえられた。


「ではまず、ここでの仕事を紹介しますね。最近、心が自分のものじゃないように落ち込んだり、気分が上がったりする病、ご存じですか?」


 勢いについていけないながらも、春杜はるとは答えた。


「はい。この世界に心律塔しんりつとうが神から与えられ、顕現して以来、人々の感情が整えられ、争いが無くなって平和になった――建前では」


 当たり前のように注がれた紅茶を一瞬見つめ、言いよどんでから続ける。


「悪く言うと、抑制され、操作されているとも言いますよね。なのに、感情の爆発としか言いようのない症例が各地で出ている。それが、ここの仕事に関係しているとでも?」


 慧真けいまは、子どもを褒めるように小さく拍手をした。


「はい、そのとおり。心律塔しんりつとうもそうですが、それと一緒に人々に与えられた、神からの祝福の証――契約石けいやくせき。国民なら誰でも、生まれたときから与えられる特別な腕輪が関係しています」


 春杜はるとは、自分の腕に光る契約石けいやくせきを見つめる。


「これがなんだっていうんです? ただ心律塔しんりつとうの恩恵を受けるための器ですよね?」


 慧真けいまは真剣な表情になった。


「その契約石けいやくせきは、自分の歩んできた人生を、複雑な色と光とひびで映す鏡でもあります。

 そして感情の爆発が起きた人の契約石けいやくせきは濁ります。


 それを金継きんつ調律ちょうりつという儀式で、感情を整え、調律し、受け入れられる形にして本人にお返しする。

 それが、私たちのお仕事です」


 春杜はるとはため息をついた。


「それは立派な仕事ですね。で、俺になにをしろと?」


 慧真けいまは嬉しそうに言った。


「あなたには、依頼人の契約石けいやくせきから伝わる想いを通訳してもらいます。あなたにしかできません」


 脇から道具をせっせと取り出しながら続ける。


「これは遍路盆へんろぼん契約石けいやくせきを載せる台座です。痛みの帰り道を示します。こっちは――」


 春杜はるとは慌てて遮った。


「まだやるとも言ってないのに、それ全部説明する気ですか?」


 慧真けいまは頷いた。


「はい。大事なことなので。これはつぎ扇子せんす魂核こんかくドールの涙を受け止め、返還の路を――」


 春杜はるとは驚いて声を上げた。


「今、魂核こんかくドールって言いました? ここに来るんですか? 神の使いと言われているものですよ?」


 慧真けいまつぎ扇子せんすをぱっと開く。


「もちろんです。あれらは我々の一族が管理する、人を正しく導き、見届けるもの。いて当たり前です。特にこの場にはね」


 慧真けいまは香に火をつけた。


「これは息香そくこう。呼吸を整えます。どうです? 落ち着きました?」


 漂う芳香に、春杜はるとの思考は一瞬さまよう。

 そして、残った意匠の美しい箱に目を奪われる。


「これは何です?」


 慧真けいまは箱を手に取った。


「興味が湧いてきましたか? これはとても大事ですよ。つぎはこといって、二箱で対になっています。


 一箱はこちらで大切に保管して、もう一箱は儀式が終わった後、契約石けいやくせきを入れて本人にお渡しするんですが」


 さらに、ひときわ美しい色の箱を取り出す。


「こっちが完成した姿。人それぞれの色に染まった箱。

 まあ、感情を受け入れられた証――証書みたいなものです」


 春杜はるとは、つぎはこに引き付けられるように見入った。


 その瞬間、目の前に銀の細い棒を突きつけられる。


「最後に、これがあなたの仕事に関わる道具、音信おんしんです。契約石けいやくせきひびの意図を聞き、それをあなたが通訳して差し上げるんです。異論は受け付けません」


 春杜はるとは、うんざりしながら人生の岐路に立たされた。

 深く息を吐く。


「……どうせ、最初から選択肢なんてなかったんでしょう」


 視線を逸らし、投げやりに言う。


「仰せのままに」


 こうして――

 逃げ場を失った青年と、胡散臭すぎる男の、

 奇妙な二人三脚が始まった。

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