第2話 沈黙の「黄金クラス」

入学式が終わり、直人が案内された1年A組の教室。

そこは、他の教室とは明らかに空気が違っていた。


「さあ、直人くん。ここが貴方のクラスよ。……安心して、ここには貴方を脅かすような不作法な生徒は一人もいないわ」


美人で巨乳で担任の桜木先生が、落ち着いた、しかしどこか悦びに満ちた声で告げる。

扉が開かれた瞬間、直人が身構えた「黄色い悲鳴」は聞こえなかった。

そこにいたのは、背筋をピンと伸ばし、一点の曇りもない制服の着こなしを見せる39名の女子生徒。

全員がモデル級の美貌を持ちながら、その表情は能面の如く静謐だ。


(……え? なにこの空気。めちゃくちゃお堅い進学校か何かか?)


直人は知る由もなかった。

このクラスの生徒は、県内外から数千人規模の応募があった中から、「知力」「容姿」「家柄」そして何より「男性に対する自制心」の適性検査をクリアした、エリート中のエリートなのだということを。


万が一、彼女たちのせいで直人が不登校になったり、精神的ショックでED(勃起不全)にでもなれば、それは国家規模の損失であり、彼女たちの一族の破滅を意味する。

それゆえに、彼女たちは「飢えた本能」を鉄の意志で抑え込み、直人に「平穏な学園生活」を提供することを義務付けられていた。

もちろんワンチャンあれば、ラッキーと女生徒全員が思っている事ではあるが。


「では、まずはクラス委員長から挨拶を。……西園寺さん、お願いね」


桜木先生に促され、最前列に座る凛とした黒髪ロングの美少女が立ち上がった。


西園寺(さいおんじ)かぐや。

名家の子女であり、知色兼備の彼女はこのクラスのまとめ役だ。光の加減で深い群青(ネイビーブルー)にも見える、濡れたような黒髪ロングが腰まで届いている。知的な印象を与える涼しげな切れ長(ツリ目)の瞳は、まるで宝石のように澄んでおり、その透き通るような白い肌を際立たせていた。


「……初めまして、直人様。クラス委員長を仰せつかりました、西園寺かぐやです。貴方の学園生活が平穏で、何不自由ないものとなるよう、私が責任を持って管理……いえ、サポートさせていただきます」


完璧な礼、完璧な声調。

だが、その指先はわずかに震え、瞳の奥には煮え繰り返るような熱が宿っていた。


この委員長の座を射止めるために、彼女がどれほどの裏工作と、他の候補者たちとの「血で血を洗う(比喩ではない)政治闘争」を勝ち抜いてきたか、直人は一生知ることはないだろう。彼女にとって、この椅子は「合法的に直人に一番近づける権利」そのものなのだ。


「あ、よろしくお願いします。……えっと、今日からお世話になる直人です。俺、この学園の事はまだよく分からないことばかりで……。でも、皆さんと仲良くなれたら嬉しいと思ってるので、色々教えてください」


直人が照れくさそうに笑い、深々と頭を下げる。

その瞬間、教室内の「表面上の平穏」が、ピキリと音を立ててひび割れた。


(((((な、仲良くなりたい……!?)))))


39名の脳内に、同時に激震が走る。

この世界の男性なら「お前ら、俺を敬えよ」と踏ん反り返るか、「チッ、女なんて」と舌打ちするのが当然。それなのに、この至宝のような男子は、自分たちに「歩み寄り」を提案してきたのだ。

直人の礼儀正しい挨拶は、彼女たちの心に核爆弾級の衝撃を与えた。


「……ひ、光栄です、直人様。皆、今の言葉を肝に銘じるように」


西園寺が、震える声を押し殺してクラスメイトに告げる。

だがクラスメイトたちの反応は薄い。拍手もまばらだ。


(……あれ? もしかして、俺、歓迎されてない? 電車の中の熱狂は夢だったのか?)


直人は少し肩透かしを食らった気分だったが、実は違った。

彼女たちの机の下では、凄まじい光景が繰り広げられていた。


ある生徒は、感動のあまり拳を握りしめすぎて、高級なシャープペンシルを粉砕していた。


ある生徒は、直人の声を録音するために、隠し持った超高性能集音マイクのレベル調整に必死だった。


またある生徒は、瞬きすら惜しんで直人の姿を脳内メモリに焼き付け、失神しそうな自分を太ももに針を刺して繋ぎ止めていた。


表面上は「澄ました優等生」。しかしその皮一枚下では、今すぐ抱きつきたい、匂いを嗅ぎたい、種付けして欲しい、という絶叫が渦巻いていた。


……

休み時間。

他の生徒が「直人くんにストレスを与えてはいけない」と遠巻きに観察する中、金髪のウェーブヘアを揺らすギャル、麗香だけが直人席に歩み寄った。

彼女は、ぱっちりと開いた大きな瞳に、少しやんちゃそうな跳ね上げラインを引いており、制服を着崩した襟元からは、若々しくも形の良い胸元が大胆に覗いている。


「よお、直人。私、麗香。アンタ、なんか元気なくね? もしかして、このクラスの奴ら、気取っててムカついてんの?」


麗香は唯一「直人への親しみやすさ」を評価されて選ばれた特殊枠だ。彼女のガサツな物言いに、教室内から(直人様に不敬な!)と殺気が飛ぶが、麗華は意に介さない。


「あ、いや、そんなことないよ。みんな大人っぽくて、綺麗で、俺の方が浮いてるかなって」


「綺麗」と直人に言われ、麗香の長いまつ毛がパチパチと震える。


「は? 何言ってんの、アンタがここにいるだけで、あたしらの存在意義は100億%達成されてんだから。……ほら、これ。朝、あたしが作ったおにぎり。……毒とか入ってないから、食えよ」


差し出されたのは、少し形が不格好だが、温かみのあるおにぎりだった。

直人は驚きつつも、笑ってそれを受け取った。


「いいの? ありがとう。お腹空いてたんだ。麗香さんって、実は優しいんだね」


「なっ……! や、優しくねーし! 別に、あたしはアンタに媚び売ってるわけじゃないし!」


麗香の顔が、一瞬で茹でタコのように真っ赤になる。

直人はおにぎりを一口食べると、「美味しいよ」とさらに微笑みかけた。

その瞬間、教室内の自制心という名のダムが、わずかに決壊の音を立てた。


(麗香さん、抜け駆け……! 私たちだって、一級シェフから教わったお弁当を用意しているのに……!)



その頃、教職員室では別の戦争が始まっていた。


「桜木先生、ずいぶんと直人くんに密着していたようじゃない? あれは担任としての『指導』の範疇を超えているわ」


眼鏡を光らせて指摘するのは、保健教諭の氷室(ひむろ)先生だ。

氷のような銀青色(アイスブルー)のロングヘアを頭の上でお団子にまとめ、鋭い目つきの知的で冷徹なツリ目。一見クールビューティーだが、白衣の下の身体は、モデルのような長い脚と、桜木先生にも負けない大きな胸、タイトなスカートがはち切れそうな安産型のヒップを隠し持っている。

「あら、嫉妬かしら? 直人くんが安心して心を開ける相手が必要なのよ。……もちろん、私の胸(なか)でね」


桜木先生も、慈愛に満ちた笑顔を貼り付けながら一歩も引かない。


「あらそう。なら、精密検査が必要ね。直人くん、今日の放課後は保健室へ来てもらうわ。……逃がさないわよ」


桜木先生の挑発を鼻で笑いながら、氷室は手にしたカルテを指でなぞる。

彼女は「直人くんの健康管理」を名目に、彼を保健室に連れ込むチャンスを虎視眈々と狙っていたのだった。


体育教師、美術教師、さらには学園長に至るまで、学校の全職員が「どうやって合法的に直人と一夜を共にするか」という軍事作戦並みの計画を練っていた。

表面上は、穏やかで秩序ある学園生活。

しかし、その実態は、直人というたった一人の「太陽」を巡る、美しき狂信者たちの静かなる冷戦。


直人は、自分が「世界一危ない動物園の檻の中で、命(子種)を狙われている男」であることをまだ知らないまま、快適なソファのような椅子に深く身を沈めた。


(……なんだ、この学校。みんな親切だし、女の子は全員美人だし。……最高かよ)


直人の中の「猿」が、満足げに尻尾を振った。

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