第7話 キャンプで起きた革命

1970年2月 鹿児島県・南国指宿キャンプ

燕スターズのキャンプは、

今年も例外なく「根性と砂埃」に支配されていた。


「走れ! 走らんかボケッ!」

別府監督の怒声が響き、選手たちは朝から泥まみれで走り込んでいる。

これが当時の常識であり、美徳だった。


その中で、伸だけが異質な調整を続けていた。


真樹がタブレットを片手に、

ストップウォッチを複雑に操作しながら、伸の投球フォームをミリ単位で指示する。

「伸、今の15球目。左膝が2センチ開いた。

パッチの安定化を優先して、次は脱力して投げて」


その様子を、投手陣の数人が遠巻きに眺めている。

「……何やってんだ、あれ」


別の一人がこたえる。

「あの女……燕の『特別補佐コーチ』らしいぜ?」


「え、ま、まさか俺たちにも指導する気かよ、じょ、冗談じゃねーぞ

漆原専用の別枠だろ?なあ?」

真樹が指導するとは誰も本気にしていない……

そう言って笑いながら、選手たちは視線を外す。



伸は肩で息をしながら、小林に尋ねる。

「……小林、データはどうだ?」


例の「背負子(しょいこ)」を必死に担ぎながら、小林は汗だくでこたえる。

「ば、抜群です!

筋肉の弛緩状態、心拍数、すべて理想値です!」


その言葉を聞いて、通りすがりの野手が鼻で笑った。

「心拍数だってよ……そんなの測るなら医者でも行った方がいいんじゃねーのか?」



実は小林はこの数週間、寝る間も惜しんで「仕事」をしていた。

「……よし、次だ!」

背負子のレンズを、遠くで調整しているエース石田や主力打者たちに向ける。


真樹の指示で、彼らの関節の可動域、バットを構える際のわずかな重心の偏りを、

超高性能小型カメラで密かに記録し続けていたのだ。


「……みんな、僕のことをただの変な荷物持ちだと思って油断してる。

今に見てろよ」

小林の地道な下準備が、着々と真樹の持つタブレット内のデータベースを構築していた。



燕スターズの既存1軍選手たちは、小林の行動は気にも止めていなかった。

しかし、伸と真樹の練習光景には、特に投手陣たちが黙っていられなかった。


「おい。遊びなら東京にもどってやってくれないか!」

声をかけてきたのは、燕スターズのエース・石田五八だった。

「キャンプは根性を叩き直す場所だ。女の指図でチョコチョコ動いて、

それで勝てるほどプロは甘くないぞ」


彼は自分のグラブを勝手に使った不心得者が、

女をコーチに据えて、特別扱いを受けていることが我慢ならなかった。


また、石田の怒りの中には「理解できないもの」への苛立ちが含まれていた。

彼らのやっていることの理屈が見えない……だから、否定するしかない。


伸は石田を鼻で笑った。

「根性で160キロが出るなら、日本中ゴリラだらけだぜ。

……真樹、こいつらに『勝つ準備』ってやつを教えてやれよ」


伸と石田はにらみ合ったまま、一触即発の様相だった。



――この日のキャンプ、練習終了後。


真樹は別府監督と金畑の元へ歩み寄った。

「監督……このままの練習を続けても、

G軍のV6をバックネット裏で見守るだけになります」


真樹の挑発に、別府監督の額に青筋が浮かぶ。

「何だと、小娘……!」


真樹は顔色一つ変えずに続ける。

「提案があります。明日、紅白戦をやりましょう。

……主力組と、私が率いる控え組で。

もし私が勝ったら、このキャンプの練習メニュー、

すべて私の指示に従ってもらいます」


「面白すぎるやないかい!」

横で聞いていた金畑が膝を打つ。

「別府監督、やらせてみようや。

負けたらこの姉ちゃんを即刻クビにする、それでええやろ?」


「……いいだろう。ただし、負けたら二度と燕スターズの敷居は跨がせんぞ」

別府監督も「負ければ即刻クビ」という条件でこれを受け入れた。



――翌日の紅白戦。


発表されたメンバー表を見た瞬間、選手たちの間に失笑が走った。

「は? これで勝つつもりか?紅組のやつら……控え組だらけじゃねえか」


「漆原が投げれば勝てるとでも思っていやがるんだろうよ!

野球は点取れなきゃ勝てねーんだってーの、打線がこれじゃ無理だろ」

誰一人、本気で負けるとは思っていない。


また、別の理由で、メンバー表を見た1軍正捕手の加納俊雄は顔をしかめた。

「……おいおい、冗談だろ?」


加納は、伸以外の一軍メンバーの中で、ただ一人だけ、紅組入りしていたからだ。


「俺、レギュラーなんだけどな……

なんでこんな負け戦の泥舟に乗せられなきゃならんのだ」


防具を着けながらボヤく加納に、真樹が歩み寄る。

「加納さん……あなたは今日、生涯で最も『楽なリード』をすることになるわよ」


加納はげっそりとした顔をして、言い返そうとするが、

真樹の背中越しに、別府監督と金畑が腕を組み、加納をにらむのを見て、

渋々返事を返した。

「わ、わかったよ、どうせ今日だけの話だからな……」


試合開始直前、真樹は加納を呼び寄せ、ベンチの隅で耳打ちした。

「初回の石田さんの立ち上がり、データが出てるわ。

……彼はまだ肩が温まり切っていないから、

追い込むまではシュート回転した直球が真ん中に集まる。

そこを、控えの連中に初球から狙わせて」


「はぁ? 石田の直球を初球から? 無茶苦茶言うな……」

半信半疑の加納だったが、試合が始まると戦慄した。


加納がベンチからのサイン(真樹の指示)通りに控え打者に耳打ちすると、

面白いようにヒットが重なる。


「なっ、なぜだ……! なぜ、こんな2軍の連中に連打されるんだ!」

マウンドで絶叫する石田。


小林が撮り、取集し続けた「癖」の解析が、エースの攻略本を完成させていた。


ベンチの主力野手たちは、「たまたまだ、まぐれまぐれ」と何度も声を張り上げた……

しかし、一球ごとに、その言葉の声量だけが、少しずつ下がっていく。



2回裏。

加納自身がバッターボックスに立つ。


真樹からの指示はこうだ。

『初球、外角のシュートは見送って、

2球目は絶対にインコースに来るから、腰を引かずに踏み込んで』

(……本当に来やがった!)

予言通り、内角を抉るはずの石田の渾身の一球を、加納は踏み込んで捉えた。


打球は左中間を真っ二つに割る。


「なっ、なぜだ……!?」

マウンドで膝をつき、天を仰ぐ石田。

(……だが、俺の球は嘘じゃないはずだ)

石田は土を掴み、肩で息をしながら立ち上がった……

それは、『何千回もの反復練習を経て、それを“勝ち”に変えて来た』

石田のプロとしての誇りと意地だった。


真樹は冷徹にタブレットを叩く。

「データは残酷に語ってる……昭和の投手は、

勝ち方を身体に刻み込むことで、自分を強くする……だから——」


真樹は、ほんの一瞬だけ視線を上げた。

「——同じ場面では、同じ球を選ぶ」



――試合は進み7回の表。


この紅白試合は7回終了の特別ルール。


派手なホームランはないものの、赤組は小林が必死に集め、

真樹が解析したデータに基づく「異常な守備位置(シフト)」で、

主力組の当たりを次々と正面で捌き、試合の主導権を手放さなかった。


3対2、1点差で迎えた7回表、5回から登板し、0を並べていた伸がマウンドに上がる。

「……さて、仕上げだ」


パチッ、と延髄のパッチが光り、ミットを突き破らんばかりの剛速球が、

唸りを上げて加納の構えたミットに吸い込まれる。


「ストライク! バッターアウト! ゲームセット!」

審判の声がグラウンドに鳴り響いた。


スコアボードを見つめる別府監督の背中は、怒りや理屈を通り越し……

まるで夢でも見ていたかのような、そんな感覚に支配されていた。

「……ありえん。こんな負け方は、初めてだ……」


選手たちも同じだった。


……誤魔化すことも、冗談にすることも出来ない――それが、共通する全員の感情だった。


石田はグラブを外し、額の汗を拭った。

「……もう一回、やったら勝てる……」

誰に言うでもなく、そう呟いた。


だが、その言葉は、試合が始まるまでには確かにあった……

ゆるぎない自信から来るものではなかった。



勝った真樹は、負けた彼らを見て……何も言わず、勝ち誇らず……

ただ、マウンドから戻った伸の延髄のパッチをそっと確認した。

(……今はここまでで十分……まだ、理解される必要はない。

彼らは、否定出来なくなった――それだけでいい。)


小林が、重い背負子を担ぎ直しながら、誇らしげに伸と真樹を見た。

「真樹さん……やりましたね。これが俺たちの未来の野球、

そして、これは……俺の……主任工作員の成果でもあるんだ!」


数週間の「選手データ収集」と「分析」が、

昭和の野球の常識を叩き潰した瞬間だった。


この日、燕スターズの選手たちは、真樹を「信じた」わけではない。

ただ、「間違っている、拒否する」と言えなくなった……


未来から来た革命は、まだ名前すら与えられていない。

だが確かに、そして静かに、昭和のグラウンドを侵食し始めた。



監督が重い口を開いた。

「……明日から、お前のやり方を試す。

だが……成績が悪ければ終わりだ。わかってるな……」


真樹は頷き、踵を返しかけて――ふと、足を止めた。

(……理屈の上では、完璧)

データは揃っている。

再現性もある。

1970年の野球に、このやり方は確実に“効く”。


それでも、ほんの一瞬だけ思う。


——昭和の身体は、未来の理屈を拒むかもしれない。


真樹はその考えを、すぐに振り払った。

考えるのは、勝ってからでいい。


そう……今はまだ――この昭和という巨大な身体を、

未来の指先が引き寄せ、掌で確かに掴んだという感触さえあれば……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る