第6話 黄金の契約と、死神の誓い
1969年11月18日夜 小林宅・広間。
前日のプロテストで“雄大な「富士山」”が見せた衝撃の余韻が残る中、
小林の家の広間には、不釣り合いなほどの緊張感が漂っていた。
TOKIO燕スターズのスカウト、燕スターズの別府毅彦監督、
そしてオブザーバーとして金畑正二がドカ座りし、伸と真樹に向き合っている。
『……提示された条件は、契約金1000万円。
現代の新卒初任給の約200倍、この時代としては破格の条件だ』
真樹は、小林の用意した古いそろばんの横で、
昭和風に偽装した2007年のタブレットを叩きながら、淡々とした表情をしていた。
スカウトは自信満々に頷いたが、真樹は視線を上げ、冷徹に言い放った。
「お金は、その金額でいいわ。
その代わり、追加の条件がある……
公式戦を含め、ベンチに『特別補佐コーチ』として私が入ること。
そして、この小林健太を伸の専属雇用スタッフとして採用すること。
これが飲めないなら、交渉は決裂よ」
「なっ、何やと姉ちゃん! 1000万いうたら最高額やが、
女をベンチに入れるなんて前代未聞やぞ!」
金畑が目を剥くが、真樹は動じない。
タブレットの青白い光が、彼女の瞳を未来の予言者のように照らし出す。
「伸が投げ得るのは、ただの剛速球じゃない!1970年、G軍から優勝を奪い取る力よ!」
一瞬だけ、真樹の声が掠れた……しかし、また力強く続けた。
「私たちの未来の数式と想いがこれに加わるとき、
それは歴史をも動かすの。
その瞬間を一番近くでサポートするのが、私の役割よ」
「歴史を動かす……未来の数式……」
金畑はその言葉の真意は測りかねたが、
真樹の背負う「見たこともない覚悟」に圧倒され、ニヤリと笑った。
「……ええやないか、別府監督。
面白い。この姉ちゃんの『魔法』、ワシらも特等席で拝ませてもらおうやないか!」
伸は、差し出された書類に力強くサインした。
「金はどうでもいい……さっさとマウンドを用意しろ。
俺は、ここで、この体で、野球がまた思いっきり出来りゃーそれでいいんだ!
条件は真樹に任せる!つべこべ言うこたぁ何もねー!」
――その深夜。
庭に停めてあるリヤカーの前。
契約交渉が終わり、小林は一人、庭でリヤカーの偽装機器を改造していた。
これまではリヤカーで運んでいた巨大なハッタリの「箱」だが、
実際のペナントレースのベンチや球場内にリヤカーを持ち込むわけにはいかない。
「……よし、これならいける」
小林が作り上げたのは、球場で売り子が担ぐビールタンクのような、
巨大な「背負子(しょいこ)」型の解析ユニットだった。
見た目は当時の街頭テレビのように武骨だが、
その内部には未来の『Goldtooth』受信機が組み込まれている。
また、内部には超高性能小型カメラが仕込まれており、撮影した画像を瞬時に、
真樹のタブレットへと転送することが出来る。
二人が2007年へと戻り、消えていた7日間、
G軍がV5を達成し、「どうせG軍が勝つ」という無力感が漂っていたあの日々。
小林は一人、闇の中でリヤカーの配線を撫で、二人の帰還を祈っていた。
「……戻ってきてくれて、本当によかった」
雑用係だった自分に、伸は「主任工作員」という誇りをくれた。
小林は街頭テレビ風の背負子を愛おしそうに撫で、
明日のキャンプ合流に向けて静かに気合を入れた。
――翌日 G軍・秘密の会談。
東京、後楽園スタジアムの近くにある高級料亭の一室では、
G軍の河上監督と森田捕手が対峙していた。
河上は好物の湯豆腐には手を付けず、冷徹に尋ねた。
「森田、昨日のあの男……漆原をどう見た?」
「160キロ……あの富士山の演出はハッタリにしても、
威力は本物です。全盛期のカネさん以上でしょう。しかし……」
森田はミットを構えたときの違和感を口にする。
「2球目、打者に踏み込まれた瞬間、球が上ずりました。
あいつは160キロという力を持ちながら……
『ぶつけること』を極端に恐れている。心の淀み、とでも言うべきか……」
河上監督の口角が、わずかに上がった。
「淀み、か……王寺に伝えろ。『刀を用意しておけ』とな。
どんな剛速球も、振らねば斬れん」
――翌日 旅立ちの日。
小林の家。
伸は燕スターズの真新しいユニフォームを羽織った。
背番号は、真樹の強い希望で選ばれた「0」。
「背番号『0』……? そんな番号、今は誰も着けてないぞ……」
小林が不思議そうに尋ねる。
真樹は、カバンの中から大切そうに、
“100th Career Home Run Memorial Ball”と記された古いボールを取り出した。
――真樹はそのボールを見つめながら兄のことを思い出していた。
かつて、真樹の誇りだった兄。
怪我に泣き、周囲の喝采から見捨てられても、
泥だらけのボールを持って笑っていたあの背中……
「お前に一番に触らせたかったんだ」
あのとき、兄が真っ先に触れさせてくれた、
怪我をする直前に放った100号本塁打記念ボールの感触。
その後、病室で苦しそうにリハビリしていた兄に、真樹は思いを馳せていた。
――ふと、我にかえった真樹は、独り言のように呟く。
「『0』は、ここから歴史を書き換えるという、私たちの決意の数字よ。
……さあ、行きましょう。兄さんが戻れなかった場所へ」
伸は、その言葉を背中で聞きながら、胸の奥の微かな違和感……
この身体が、本当に一年もつのかという問いを振り払うように、
静かに、そして力強く右腕を振り下ろした。
「よし、行くぞ主任工作員! その背負子を担げ!
昭和の怪物を、一人残らず正面からぶち抜いてやる!」
燕スターズのキャンプ地へ向かう三人の影。
小林の背負う巨大な「箱」が、1969年の朝日に反射し、
まだ見ぬ未来の光と影を多摩川に放っていた。
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