第3話 161キロの破力

多摩川グラウンドは、一瞬にして異様な空気に包まれた。


金畑正二は自らキャッチャーの後ろに陣取ると、野太い声で吠えた。

「おい、小林! 何をグズグズしとるか! その鉄の箱をさっさと動かせ。

どーせはったりやろうが、なんやおもろい。

ワシがこのオールドルーキーの球を直々に見てやろうやないか!

みんな見とれよ!

クソ生意気な姉ちゃんの鼻、へし折れるとこ!」


小林は泣きそうな顔でリヤカーのガラクタを叩く。

「い、いきます! 稼働します、電子頭脳!」


伸はベンチにあったグローブとスパイクを指さした。

「このグラブとスパイクちょっと借りるぜ」


そのグラブは燕スターズのエース、石田五八のものだった。


石田は拳を振り上げて

「お前なんかに、誰が――」

と言い終わる前に金畑が遮った。

「貸したれや、あの姉ちゃんへの香典や」


それを聞いた伸と真樹は、鋭い視線で金畑をにらみつける。


金畑はあざ笑うような、しかし嬉しそうな声で返した。

「面構えだけは認めたるわい、いい目しとるやないか」


マウンドに上がった伸は、延髄のパッチが青白く発光するのと同時に、

大きく振りかぶり、雄叫びをあげる。


「う、おおおおおりゃー!!!!」


2007年までのプロ野球38年間の技術と歴史が蓄積され、

伸の魂と想いを乗せた独特の力強いフォームから、

すさまじい勢いで白球が唸りをあげて繰り出された!


――ドォォォォン!!


ミットが弾ける衝撃音は、もはや爆発音だった。


「……な、なんや今の音は。球が、消えたか……?」

金畑は絶句し、捕手は衝撃で手がしびれ、グラブからぼとりと落球してしまった。


「時速161キロ! 出ました、161キロです!」

小林が、未来の数字を映し出したスクリーンを指さして狂ったように叫ぶ。


だが、周囲の反応は困惑に満ちていた。


それもそのはず、1969年という時代には、

投手の球速をキロメートルという数字で測る文化そのものが存在しなかった。

もちろん、スピードガンも普及していない。

誰もが、速さを「感覚」で語るしかなかったのだ。



金畑は小林に向かって言った。

「161……? 161キロってなんや、小林! 車のスピードか!?

バカ言え、それじゃ新幹線よりは遅いだろうが……だが、しかし、今の球……

ワシの目で見ても、ほとんど見えんかったぞ!」


金畑はその数字の異常さを本能で悟り、咆哮した。

「161……数字の理屈はようわからんが、

下手すると全盛期のワシより速そうやないかい……」


そして、30名ほどの選手やファン、球団関係者もざわめき出した。

「161キロなんて聞いたことがない」、「あの箱の故障だろ!」と騒ぎ立てる。


しかし、目の前で唸りを上げた白球の軌道は、誰の目にも「異常」だった。


数字が何を意味するかは分からなくても、

そこに「未知の破力」が存在することだけは、全員の肌が理解していた。


現場にいた数少ないマスコミは、震える手でメモを取った。

(……書け! 数字の真偽はわからん。

だが、これまでの常識を超えた怪物が現れたとな!)


この日のリークが後日、

お忍びで訪れるG軍(毎朝GREATS)の河上監督や森田捕手を引き寄せることなど、

まだ誰も知らない。


嵐のような余韻が去り、金畑は狐につままれたような、しかし嬉しそうな顔で呟く。

「あの姉ちゃん……オールドルーキー……いったい何者や……

しかし、こりゃ面白くなるで、来年のペナントレースは。

この『161』とかいう数字の正体を暴いてやらんといかんな」


金畑は伸に向けて、ベンチに置いてあった予備のユニフォームを投げた。

「それ、取っときや……11月17日、

多摩川グラウンドで行われるプロテストに着て来いや」


伸と真樹が歓喜の顔で叫ぶ。

「よし、よし、よっしゃー!」


興奮が冷めやらぬ中、金畑が背中越しに手を振り、その場を去って行く。

「やめたばかりやのに、なんや現役のときの血が騒いどる。

久しぶりにいいもん見せてもろうたわい! ガハハハハハ!」


去りゆく怪物の背中を見送りながら、多摩川の夕風が三人の間を吹き抜けた。

つい数分前まで「不審者」として、追い出されそうになっていたはずが、

今や伸の手の中には、未来へと繋がる一着のユニフォームが握られている。



「……さて、一仕事終えたな」

伸がパーカーの袖で額の汗を拭うと、

緊張の糸が切れた小林が、その場にへなへなと座り込んだ。

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