第2話 リヤカーと未来の計算機
1969年(昭和44年)11月7日、月曜日。
神奈川県武蔵小杉、TOKIO燕スターズの多摩川グラウンド。
強烈な日差しと共に、
2007年の東京ではとうに失われた「時代の臭気」が伸の鼻腔を突いていた。
土埃、安煙草、ポマード、そして男たちの剥き出しの汗。
「おい、聞いとんのか。
その格好は何だ?ちんどん屋かって!」
目の前に立つ巨漢、金畑正二が太い眉をひそめる。
伸の着崩したジャージに、派手な色のパーカーの姿や、
真樹の洗練されたスタイリッシュなコートは、
V9時代半ばのこの時代のグラウンドでは、異様なほど浮き上がっていた。
先月、通算400勝という不滅の金字塔を打ち立て、
G軍のエースとして現役を引退したばかりの、36歳の「怪物」。
この前日、神宮外苑で盛大な引退パレードを終えたばかりの彼は、
古巣、TOKIO燕スターズの不甲斐ない練習風景に活を入れるべく、
ネクタイを緩めた姿でここに立っていた。
金畑は伸と自分の身長を比べながら言った。
「しっかし、お前デカイな?ワシよりデカイやつなんて、
そうそうおらんぞ!なんぼあるんや?」
金畑は184センチあり、当時としてはプロ野球選手の中でも大男だった。
伸は少しまだ夢の中にいるような顔で、しかし、はっきりとこたえた。
「189センチだ」
このとき伸は、金畑の威圧感に気圧されるどころか、熱い土を踏みしめる感触と、
指先にまで通った血の巡りに陶酔していた。
しばらくして伸は、ベンチにおいてあったスポーツ新聞を手に取り、
その日付を見た。
「……真樹、これ今日は1969年11月7日だってことだよな?」
伸は新聞を握りしめ、真樹にだけ聞こえる声で囁いた。
「チャンスだ。俺はどうしてもここで、
この体で、もう一度プロ野球選手になる。
真樹、この時代のプロテストもこの時期だよな!?」
真樹は周囲の騒音と視線から隠れるように、タブレットを素早く操作した。
オフラインのアーカイブが、1969年の「常識」を弾き出す。
「ええ……調べたわ。この時代、
現代のような統一されたトライアウト制度なんて存在しない。
すべては球団ごとの不定期なテストだけ、ゴリ押しが通用した時代よ。
基本はトップダウンのパワハラ社会――つまり」
真樹は視線を上げ、目の前の巨漢を射抜いた。
「ここにいる『カネさん』さえ頷かせれば、
それがそのまま合格証書になる。最短ルートよ」
伸が不敵に口角を上げる。
「話が早い。正面突破で行くぞ」
「おい! 小林! この不審者二人を追い出せ!
ワシがせっかくG軍の用事を切り上げて顔を出してやっとるときに、
なにをノロノロしとるか!」
金畑の怒声にこたえて、燕スターズの雑用係、
小林健太(21歳)が慌てて駆け寄ってきた。
小林は頭をぺこりぺこりと下げながら
「は、はい! カネさん!
……こら、君たち、困るよ。
昨日までパレードで日本中を沸かせた、あの金畑さんに失礼じゃないか!」
小林が真樹の肩を掴もうとしたその瞬間、真樹がその腕を鋭く制した。
「触らないで!」
そして、真樹は金畑の方へと目線を移し
「……カネさん。いいえ、400勝投手、金畑正二さん」
真樹は一歩前へ出た。
彼女には、昭和の「怪物」への敬意を込めた、
珍妙な交渉力と、奇妙な迫力があった。
「彼の球を今すぐマウンドで見なさい。
そうすれば、あなたの古巣の悩みは10分で解決するわ」
金畑「あぁん? 姉ちゃん、ワシに指図するんか?」
真樹は小林の方へ向き直り
「協力しなさい、小林さん」
真樹は小林の胸ぐらを掴むようにして引き寄せ、耳元で冷たく囁いた。
「さもなければ、あなたがキャンプ初日に用具室で酒を飲んでいたことを、
燕スターズの怖い別府監督にぶちまけるわよ!」
「な、なんでそれを……!?」
小林は凍りついた。
真樹はデータマニアなのか、彼女のタブレットには、
プロ野球関連の歴史のログとしてあらゆるスキャンダルが刻まれている。
実はこの時代に小林は、酒を飲んだことがばれて、2軍の部署に飛ばされていた。
真樹は有無を言わさぬ勢いで、小林を用具室へと連れ出した。
金畑はその様子を呆然と眺め
「えらい姉ちゃんやな、小林の方が追い出される勢いや」
と吐き捨てた。
そのとき、金畑は伸と目が合い、規格外の男同士、お互いに不敵な笑みを漏らした。
しかし、金畑は笑いながら、
鍛え上げられた伸の体躯、太ももやふくらはぎの異常なまでの発達を、
無言で見つめていた。
――用具室の入口。
真樹は小林に用具室の鍵をに開けさせた。
用具室に入ると真樹は物陰に隠れていた酒瓶を取り出しながら呟いた。
『これよこれ!この瓶が原因であんた飛ばされるのよ』
小林は慌てて
「あ、それ、あのとき転がっていって……
暗がりで飲んでたから、どこ行ったかわかんなくなっちゃって、
そ、そんなところにあったのか……よ、よく君見つけ、」
小林が言い終わらないうちに真樹は見得を切った。
「いい、小林さん。私たちは……『未来』から来た、
国家機密のプロジェクトチームよ。
伸は最新の超高速投法を習得した実験体。
この機械は、アメリカすら持っていない弾道計算機なの」
真樹が示した現代のタブレットの光。
小林の目には、それがおぞましいほどの未知の道具に見えた。
小林「み、未来……?」
真樹は小林の肩に手をおいて
「そう。協力すれば、あなたはこのチームの『主任工作員』。
拒めば、クビ。どっちがいい?」
「ク、クビって、あなたたちのチームからですか?
……僕はいつからチーム入りしてたんですか?」
小林は勢いだけはあるが、頭がおかしくなりそうな説得に激しく戸惑った。
それにいくらなんでも未来から来たなんて話、あるわけがない。
だが、弱みを握られた上に、
真樹の珍妙で何をするか分からない迫力に気圧され、
この場を収めるべく頷ことにした。
彼は混乱した頭を働かせ、用具室から外へと進みながら、
周囲の記者たちや野次馬、金畑に向かって声を張り上げた。
「あ、ああ! そうだったんです! カネさん、お待ちください!
この女性は、アメリカ帰りの最新科学トレーニングを研究する先生でした!
彼女の持ってきた計算機は弾道を計算する最新鋭の電子頭脳なんですよ!」
用具室の周囲が野次馬のざわめきに包まれる。
そして、小林は冷や汗を流しながら、
真樹の指示により、ゴミ捨て場から拾ってきた古びたリヤカーを引いてきた。
「この上に……載せるんですね。この計算機(タブレット)を」
真樹は周囲に聞こえない小声で独り言を呟いた。
「そうねぇ……でも、この時代にこのままじゃ、
あまりに筐体が小さすぎて怪しまれるわねぇ」
彼女は即座に小林へ次の指示を飛ばす。
「小林、今すぐ用具室、倉庫、その他あらゆる近場から
古い真空管、コイル、メーター、
それから大きな鉄製の箱、一斗缶でもいいからそれらを集めなさい」
伸が真樹に顔を近づけ、囁く。
「何を始めるんだ?」
真樹は伸に内緒話のトーンで返す
「このタブレットを、巨大なガラクタの中に組み込んで見せるのよ。
1969年の人間にちょうどいい感じの『凄い未来的機械』だと思わせるためにね」
「ハリボテ……ってことか?くっははは」
と伸が楽しそうに笑うと、真樹は小林を指差して、少しニヤけながら伸に囁いた。
「これからあいつは私たちの主任工作員だから」
小林がそこへ割り込む。
「な、なに話してるんですか?」
真樹は小林に、たたみ掛ける。
「あなたの仕事は、そのリヤカー引きよ、
この『未来の計算機』を完璧に守り抜くこと、いいわね?」
小林は首を傾げて呟いた。
「これをなにから守るんですか?」
真樹は小林の肩を抱き寄せ、彼だけに届く密やかな声で囁く。
「決まってるでしょ! これは『未来』から持ってきた、
国家機密プロジェクトの切り札なのよ。わかる?」
小林は、本気で頭のおかしい人間を見る目で真樹を見つめ、震えながらこたえた。
「は、はぁ……そ、そうなんですね……」
こうして、小林主任工作員の手によって、道具や素材は集まり、
「計算機」の外装は組み立てられ、史上最大のハッタリが幕を開けた。
リヤカーに載せられた、不釣り合いに巨大でガラクタだらけの「自称・計算機」。
その中心に、真樹のタブレットがひっそりと鎮座する。
小林は、自分が何に巻き込まれたのかも分からぬまま、
重いリヤカーの取手を握りしめた。
「よし、行こうぜ主任工作員!俺の全力を見せてやる」
伸の不敵な笑み。
マウンドへ向かう彼の背中。
小林は、その延髄に貼られたパッチが、時折パチパチと青白い光を放っているのを、
誰にも気づかれぬように、隠すようにリヤカーを押し進めた。
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