10 悪魔の回転椅子1
「全く。こんな時間に、旦那様も人使いが荒いわね。」
そう漏らすのはこの館に勤める女中の2人である。
夜遅くにも関わらずこの家の主人にワインを持ってくるよう申しつかったのだ。
燭台を手にし、暗い廊下を愚痴りながら歩く。
すると視界の端に何やら動く影を捉えた。
「何かしら……?」
燭台を掲げて目を凝らして見る。
何か大きな蜘蛛のようなものが床を這い回っていた。それは、人間程の大きさであった。
「ひっ……!」
恐怖の余り、女中は燭台を落とした。
ーーガタン。
廊下に音が響く。
二人に気付いたのであろう。
それはこちらを見ると、ゆらりと方向を変えた。
「ーーきゃああああああああ」
悲鳴が屋敷中に響き渡った。
********
果たして、今までこれほどまでに驚いたことはあっただろうか。
桐谷遥香は一点を凝視したまま、考える。
蝋燭が何本も立ち並ぶシャンデリア、美しく波打つ真紅のカーテン、濃紺の壁には金縁に入れられた絵画がずらりと並べられている。
目がチカチカしそうに派手派手しい場所で、遥香は呆然と立ち尽くしていた。
遥香の目の前には椅子に縛られ、ぐるぐる回転させられている青年。20代半ば頃だろうか。
「ヒャアァァァァ…!」
かん高い声をあげ、ひたすら回されている。
もはや、見ているこちらが目を回しそうな勢いだ。
「…く…っ、もう、少し…っ!」
白衣を着た医師は、額に汗を浮かばせながら椅子をぶんぶん回している。
小学生の頃に、パソコン室で男子達が椅子に腰掛け、回しあって遊んでいたことを、ふと思い出す。
(……これ、は……)
遥香は恐る恐るレオニスとハンスを盗み見る。
が、二人とも真顔でこの光景を見ているだけだった。
ということは、恐らくこれもこの時代においては、普通の医療行為なのだろう。
その時代に応じた医療の形があることは理解している。
遥香は不必要に口出ししないよう心がけているが、これではあまりにも患者が気の毒だ。
「あ、あのー…」
小声で隣に立つハンスに声を掛ける。
「これは何の治療なんですか?」
「ああ、頭に入った悪魔を追い出す治療だよ」
ハンスは何の気なしに答えた。
遥香はズキズキと痛むコメカミを押さえる。
(……ああ、なんでこんなことに…っ!)
こうなったのも、涼しい顔で隣に立っているレオニスのせいだった。
その美しい横顔をキッと睨みつける。
*****
半刻程前
「ハンス先生、必要な薬草って…これで全部ですか?」
遥香は、ハンスが薬草を購入するのを手伝う為、街に出ていた。
「ああ、これで揃ったよ!ありがとう!」
ハンスは腕いっぱいに抱えた薬草を、えいっとまとめて背中の袋へ押し込む。
すると、低く落ち着いた声が、二人の背後から響いた。
「……ちょうど良い。」
「……あ」
振り返ると、そこには騎士服を着たレオニスが立っていた。どうやら勤務中らしく、腰には剣を帯びている。
「今、時間はあるか。」
レオニスは唐突に二人にそう問いかけた。
「…え…、用事…は、終わりましたけど……。」
遥香は嫌な予感を覚えながらも、そう正直に答えた。
「では、共に来て欲しい。」
「………え、」
思いがけない言葉に、遥香は一瞬思考が停止する。
レオニスは構わず、端的に続ける。
「ある商人の子息が悪魔に取り憑かれたようで、調査依頼が来ている。」
「…………はい?」
遥香の口から、間の抜けた声がこぼれ落ちた。
*****
こうして、商人の館に連れてこられた遥香は、この異様な光景を目の当たりにしているのだった。
「と、とりあえず、回すのは…いかがな…ものでしょう…?」
遥香がそう言った時、椅子がゆっくりと止まった。
どうやら椅子を一心不乱に回し続けていた医師の体力が尽きたようだ。
「はぁ…っ、はぁっ」
医師は肩で大きく息をついている。
哀れな青年はやっと回転地獄から解放されたらしい。
「副団長殿」
後ろの扉の方から声がした。
そこには、金糸で刺繍された赤色の上着を着た男性が立っていた。
髭は形が整えられ先がツンと尖っている。
歳の頃は50代といったところか。いかにも"商人"といった出立だ。
「…ヨハンソンか」
レオニスが振り向く。
「いやはや、愚息のためにご足労頂き申し訳ない。……そちらは?」
遥香とハンスをちらりと見て、商人ーーヨハンソンは尋ねる。
「ああ、街で会った薬師と医師だ。」
「さようですか。」
興味なさげに頷く。
「息子は、親の私が言うのもアレですが、とても出来が良く将来を熱望される聡い子でした。それが…突然悪魔に憑かれたかのように人が変わったのです。」
「……悪魔…」
遥香が小声で呟いた。
ヨハンソンは遥香を一瞥して続ける。
「クモのように床を這いずり回り、何処かれかまわず唾を吐く。虚な目で宙を見ていたかと思うと、次の瞬間使用人に噛み付く。」
ヨハンソンの目の下には深い隈ができていた。
「祈祷も効かず、医師に見せても治らず。もし…悪魔が憑いているなどと知れたら、家業の枷になるでしょう。」
そう言うと、ヨハンソンは忌々しげに眉を顰めた。
「そこで、副団長殿に秘密裏にお願いしたと言う次第です。」
(…なるほど…。)
噂でも漏れようものなら、商売あがったりといった具合か。
件の息子は、椅子にくくりつけられたまま頭をだらりと下げている。
髪の間からちらりと見える顔は蒼白そのものだ。
「……もう、一度…っ!」
医師は体力が回復したのであろう。
そう言うと、また椅子に手をかけ立ちあがろうとしている。
「……おかしくなったのは、いつ頃からなのですか?」
遥香が尋ねるも、ヨハンソンはレオニスの方を向いたまま答えた。
「1ヶ月ほど前からだったと思いますが……。段々おかしくなっていったのです。」
まるで居ない者かのように扱われている。
黒髪に黒い目、小麦色の肌をした遥香は明らかに異国の者であり、見下されているようだった。
(…感じ悪……。)
ため息をつきつつも、遥香は口をつぐむ。
その様子を見て何やら感じ取ったのか、横目で遥香を見たレオニスが言う。
「この薬師は、コービッツ村の件を解決した立役者だ。」
ヨハンソンは目を瞬かせて一瞬止まる。そして、笑顔で遥香の方を向くと言った。
「そうとは知らず、すまなかった。どうか息子をよろしく頼む。噂になる前に!」
(………こいつ…!)
遥香の眉間がピクピクと動く。商人らしく、現金な奴だ。
力になどなりたくはないが、また回り始めた青年を見て放っておけない気持ちにもなった。
「さて、是非我が家で一緒に夕食でもいかがでしょうか?」
ヨハンソンが手をパンパンと叩き、使用人を呼ぶ。
「こちらです。」
執事に案内された部屋は食堂のようだった。
またもや、落ちてきそうな程に垂れ下がったシャンデリアに、どこまでも続くテーブル。その上の赤いクロスは金糸で縁取りがされている。
豪華すぎて、どうにも落ち着かない。
レオニスとハンス、そしてヨハンソンと息子が席につく。
息子は、使用人に支えられようにして椅子に座らされたが、虚な目で一点を見つめていた。
息子の皿にだけ、黄色のトマトがちょこんと載せられていることに気付く。
(トマト…好きなのかな)
食事は前菜から始まり、子牛のレアステーキ、ムール貝のソテーなど、予想通り豪華な物だった。
デザートのチョコレートケーキにはナッツが入っており、噛むたびに小気味の良い音が鳴る。
(…お、おいしい…っ!)
遥香は夢中で料理を口に運ぶ。
その隣では、レオニスが美しい所作でナイフを動かしていた。
遥香がそれに見入っていると、突然机がガタガタッと揺れた。
「…え!…じ、地震…!?」
驚き思わず立ち上がろうとすると、息子が虚ろな目で机に手をつき、突然口を開けて唾を吐きかけた。
口の中にちらりと青緑色が見えた気がした。
「…ひぃっ…!」
使用人たちは後ずさる。その体は恐怖でぶるぶると震えていた。
薬剤師は火刑台に立つ〜え、呪い?いや、それ病気です〜 大棗ナツメ @natsume-tai
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