4 締め付けの呪い2

 親子が帰ったのは、日もすっかり暮れた頃だった。

 森の中にぽつんと建つ小屋の周りでは、フクロウの鳴き声が夜の静寂にこだましている。



「ふぅ。」

 エルダは肩をぐるりと回しながら、向かいの椅子に座る遥香へ声をかけた。

「今日は色々あって、疲れただろう。あんた、帰る所はあるのかい?」

「……ないんです…。」

 遥香は俯き、テーブルの木目をじっと見つめたまま、か細く答えた。



「だろうと思ったよ。」

 エルダは腰に手を当て、眉を下げる。

「そういえば、まだ名前を聞いてなかったね」

 湯気の立つカップを持ち上げながら、じっと遥香を見る。



「桐谷…遥香、です。」

 遥香は胸の前でぎゅっと指を組みながら、答える。


「へぇ。ここいらじゃ聞かない名前だね」


 エルダは薬草の束をひっくり返しながら言った。


「マオウを知ってたところを見ると、あんたも薬師かい?」

「あ、はい。その……病院で働いてて……」


 ――ぴたり。


 エルダの手が止まった。

「……びょ、びょ……?」
 

 ぱちぱちと瞬きをして、遥香を凝視している。

(……あー…はい、またこのパターンね……)

「…にほん…って、本当に変なとこだねぇ…」


(いや、魔女だとか呪いだとか、ここの方がよっぽど変わってる気が……)

 そう心の中で突っ込んだ、その時――



 ーーーぐぅぅぅぅ…


 盛大な音が、小屋に響いた。

「……っ」

 遥香は顔を真っ赤にしてお腹を押さえる。



「はっははは!」
 

 エルダは腹を抱えて笑った。


「腹が減ったねぇ! さぁ、夕飯にしよう!」

 並べられたのは、パンと具だくさんのシチュー。
 

 かぼちゃとじゃがいもがごろごろ入った、素朴で優しい香り。


(……今日、何も食べてなかった……)

「…いただきます」

 一口すすると、じんわりと体が温まっていく。


 そして、逃げていた考えが、また頭をもたげる。


(…どうしよう…)

 今日何度も聞いたーー魔女、呪い――あまりにも非現実的な単語たち。

 そして、明らかに日本ではない建物や人々。


(もしかして……)

 嫌な予感に胸が締め付けられる。
 深呼吸をして、勇気を振り絞った。



「……エルダさん」

「ん?」

「……今って……何年…ですか…?」

 自分でも驚くほど、か細い声だった。


 エルダはスプーンを止め、じっと遥香を見る。



 小屋に沈黙が落ちる。


「……何年…?」

 エルダは首をかしげる。


「いやだねぇ、馬車に跳ねられかけた時に頭でも打ったかい?」

 遥香はエルダの顔をじっと見つめて唾を飲み込んだ。



「今はーー」


 一瞬の間。



「1625年、じゃないか!」

 その言葉が放たれた瞬間、遥香の頭は真っ白になった。



(……せん……ろっぴゃく……にじゅう……ご……)

 呆然とエルダを見つめる。




「そうだよ。……あんた、そんなに驚くことか?」

 エルダは不思議そうに首を傾げている。



(私……過去の…しかも、名前も知らない国に……来ちゃったの…?)

 現実が、重くのしかかる。
 遥香は顔を覆い、大きく息を吐いた。



 その肩に、そっと手が置かれる。

「行くところがないなら、ここに居な」
 

 暖炉みたいに、温かい声だった。


 その瞬間、涙が溢れた。



(泣くのなんて、いつぶりだろう……。)

 涙のせいで頭の奥はずきずきと痛んだが、不思議と心は少し軽くなった。


 エルダは何も言わず、ただそっと遥香の背を撫で続けてくれた。


(優しい人だ…。)

 街の往来で倒れるように寝ていた怪しい私に、どうしてこんなにも親切にしてくれるのだろう――。



 そう思うと、申し訳なさと感謝が胸の中でごちゃ混ぜになり、さらに涙がこぼれた。



 ******


 翌朝


「遥香!出掛けるよ!」

 布団をばさっと剥がされる。


 ーー既視感のある光景だ。

 朝が苦手な遥香は、学生時代は毎朝こうやって母に起こされていた。



「ほら、早く支度しな!」

 往生際悪く、布団の中でもぞもぞしていた遥香に容赦のない声が降ってくる。

 眩しすぎる朝の光に顔をしかめながら薄目を開ける。

 そこには仁王立ちのエルダが居た。



 ……一気に思考が覚醒する。

「……はっ! す、すみません!」

 反射的に謝るのは、日本人の性だ。



 エルダは呆れたように息をついた。

「もう昼になっちまうよ。今日は、昨日の子供の様子を見に、街まで行くよ」

「すぐ支度します!」

 
 遥香は軍隊のように気をつけをして言ってみたものの、着るものが白衣とガウンしかないことを思い出す。


「あの……服が……」

「服ならそこの机に置いてあるよ。昨日みたいな格好で街へ出ようもんなら、すぐ捕まっちまうからね」


(……こわ…)

 物騒な言葉に身震いをする。



 エルダに借りた服からはほんのり薬草の匂いがした。どこかで嗅いだことのある懐かしい香り。


(そうだ…!これ、正露丸の匂いだ…!)

 呑気にそんなことを考えているとーーー


「早く来な!!」

 階下から声が飛んできた。


 リボンを結びながら、慌てて一階へ降りていくと、エルダがテーブルに朝食を並べていた。


「沢山食べな!あんた痩せすぎだよ」


 ーーバシンッ!


「っ!?」

 背中を叩かれ、紅茶を吹き出しそうになる。



 こうしてーー

 1625年、ルーンヘルムでの生活が、強制的にスタートした。

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