3 締め付けの呪い1

「た、頼む!!助けてくれ!」

 外から、切羽詰まった男の声が響いた。


「子供が死にそうなんだ!町の医者にも手遅れだと言われた!もう、お前しか頼る奴がいねぇんだ!!」



 エルダはすぐに扉の閂を外し、軋む音とともに扉を開けた。


 そこに立っていたのは、土埃まみれの男だった。

 背中には小さな子供が背負われている。

 子どもはヒューヒューと浅い呼吸を繰り返し、今にも意識が途切れそうだった。



 エルダは父親を半ば引きずるようにして小屋の中へ招き入れると、子供を寝台へと寝かせた。



 その胸は激しく上下し、喉の奥から
「ヒュウ……ヒュウ……」
 と、苦しげな笛のような音が漏れている。


 その音には聞き覚えがあった。

 狭まった気道を空気が無理矢理通ろうとする時に出る音。

 
 この独特の「ヒュウ、ヒュウ」という音はーー



(喘鳴……。喘息発作だ。)


「どうしてこんなことに…医者はなんて言ってたんだい!?」

 エルダは険しい表情で父親を振り返る。


「…胸を締め付ける呪いがかけられているから、どうしようもないんだと。瀉血もしてもらったが、効かなかったんだ……」

 男は、震える手で顔を覆った。



(し、し、締め付ける…呪い……!?)

 遥香は自身の耳を疑う。


(一体どんなヤブ医者に見せたら、そんなことになるんだ……)

 驚きのあまり、遥香がぱちぱちと目を瞬かせているとーー



「チッ」

 エルダが忌々しげに舌打ちをした。
「こんな小さい子からどんだけの血を抜いたんだい。」


 遥香の視線が、子供の腕へと落ちる。
 幾重にも巻かれた包帯。その隙間から滲む、痛々しい赤色。

 胸が、きゅっと締め付けられた。


 
「お願いだ……助けてくれ…」

 父親は子供の両手を握り、縋るように懇願する。


 必死に息を吸おうとする子供の顔は、苦しさで歪んでいた。


 失血のせいで体力も削られ、この小さな体にかかる負担は明らかだ。



「くそ…っ!絶対にあの女が、呪いをかけているんだ!魔女めが…っ!何度も…何度もこうなるんだ!」

 机をダンッと叩いて父親は忌々しげにそう言った。



「……呪い…?…え、いや、…"喘息”だと思いますが……」

 思わず突っ込んでしまった。


(……あ)

 空気が、止まった。


「……あ…いや…、えーっと…お子さんがこうなるのは夜中や明け方が多くないですか?」

 次は言葉を選ぶように慎重に尋ねる。


「あ、…あぁ、そう、そうだ…!!いつも夜中にこうなる。」

 父親は驚いたように目を見開き、何度も頷いている。



「やっぱり……。」

 喘息発作で間違いはなさそうだ。

(治療は……ステロイド吸入だけど……)

 ちらり、と遥香は父親を見る。


「呪いじゃないのか…?いや、呪いだろ、あの女の……」

 父親は、まだ一人で何やら呟いている。

 この調子では、持っている訳がない。



(エルダさんは薬師って言ってたよね………?)

 小屋を見回すと、棚には無数の薬瓶。
 可能性は、ゼロじゃない。


「あのー…、エルダさん、ステロイドって…置いてますかね…?」

 期待を込めて、エルダを見る。


「……すて、ろ…? 」

 エルダは目を丸くして、瞬きを繰り返している。


 
(……うん…、なさそうだ…)


「あー…、マオウならあるが…」

 エルダが顎に手を当てて言った。


「……マオウ…?」

 エルダは棚の奥を探り、大きな瓶を取り出す。
 中には、まっすぐ伸びた褐色の薬草。


「麻黄……!」


 気管支拡張作用と、咳を鎮める作用を持つ。


 即効性は弱いが――

(今は、これしかない!)


「やかん、ありますか?」

 エルダが差し出した鉄のやかんに水を張り、火にかける。
 麻黄を入れると、ほのかに甘い香りが立ち上った。



「お父さん!お子さんの体重は何キロですか?」


「…たい、じゅ…? なんだ、それは?」

 父親は心底分からないという顔をする。

「……あー…(察し)……いえ、すみません…。じゃあ…お子さんの年齢を教えて下さい……」

 遥香は気を取り直して、年齢を聞く。


 父親は、子供の身体を見てしばらく考え込んでから言った。

「……恐らく…5歳か…6歳だと思うが……。」


(……うん…明らかに様子がおかしい……)

「…あー、………五歳か、六歳ですね……。」

 遥香は深呼吸して、頭の中で平均体重を計算した。


「歳や重さなんて、薬と関係あるのかい…」

 エルダは一人首を傾げている。


「……できました」


 薬を子供に少しずつ、慎重に飲ませる。



(お願い……効いて……)



 ******


 数十分後。



「ヒュウ……」という音は弱まり、呼吸が落ち着いてきた。

「ああ……、息が……楽そうだ……」

 
 父親の声が震える。

「よかった……」

 
 遥香は、心からそう思った。

「この薬を、毎日飲ませてあげてください」

「ありがとう……本当に……」

 
 男は涙を流し、子供を抱きしめた。



 遥香は、空き瓶に薬湯を入れ、瓶に目安の線を引こうとした。


 ……が、ペンがない。


「…仕方ない…インクでいくか」

 エルダに渡されたインク壺をキュッと開ける。


 結果。


「ミミズがのたくったみたいだねぇ」

 
 エルダは瓶を見て笑う。

「………ですよね…」

 
 遥香は苦笑して、瓶を父親に渡した。

「……あ、ありがとう……」

 そう言った父親の視線は、完全にミミズ模様に釘付けだ。



「…あ、…ところで、君は?」

 その問いに、遥香は固まる。

(……な、なんて言えば…、)


 その瞬間、エルダが遥香の肩を抱き寄せた。

「なぁに。この子は私の妹の娘さ」

 その仕草があまりにも手慣れていたので、男は何の疑いもなく納得している。




 君は、誰ーー?か。


(そんなこと……、私が一番知りたい……)


 遥香は、そっと天井を見上げた。

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