2 薬師の小屋
「……こっちだ…っ!!」
ギュッと目を瞑った瞬間、誰かの手が、遥香の腕を強く引いた。
体が宙に浮いたと思ったら、次の瞬間には地面に背中を思い切り打っていた。
「……っ!」
ヒュッと息が漏れた。耳のすぐそばで馬蹄が跳ね、顔には砂がかかった。
あと少しでもずれていたら、遥香の体はミンチになっていたであろう。
「はぁ…っ、はぁ…っ、」
肩を上下させ、荒く息を吐いているとーー
「何やってんだ」
頭上から荒っぽい女の声がした。
遥香が顔を上げると、そこにはフードを脱いだ女の顔があった。
その灰色の瞳は呆れたようで、それでもどこか温かい。
「まったく、どこの間抜けが街道の真ん中で寝てんだい!」
そう言って、女は遥香の背をポン、と叩いた。
「ほら、立てるかい?モタモタしていたら、また次の馬車が来るよ!」
その言葉に、遥香は慌てて立ち上がる。
「…あ…ありがとう、ございました…」
絞り出すような声で女に礼を言う。
石で出来た道の両脇では、人々が遠巻きにこちらを見ていた。
「なんだ…?あの変な格好は」
「まさか、魔女じゃないか?」
そんな囁きが風に混じって遥香の元へ届いた。
「ここじゃ目立つ。教会の連中に見つかったらタダじゃ済まないよ。私の小屋まで来な!」
女は言うが早いか、遥香の腕をぐいと引っ張る。
遥香は半ば女に引きずられるようにして、歩き出した。
******
うっそうとした暗い森の中、煙が立ち上る小さな小屋が見えてきた。
女はドアを開け、遥香をそこに押し込むかのように中へ入れる。
壁に並ぶ古い棚には、乾燥した薬草の束や瓶詰めの液体、手書きの書物が雑然と置かれている。
「……で、あんたはあんな所で何をしていたんだい?」
ドアを後ろ手で閉め、女は遥香の顔を覗き込むようにして尋ねてくる。
「え…あ…」
答えにならない声が漏れる。
「まあいい。とりあえず座りな。」
言われるがまま、近くの椅子に腰を下ろす。
ギシギシッ、と今にも壊れそうな音が小屋に響いた。
「顔色が悪いね。ほら、これでも飲みな。」
見慣れない形の水筒のようなものを手渡される。
中を覗くと、濃い茶色の液体がたぷんっと揺れた。
窓から差す光の下で見たそれは、まるで土を水で溶いたかのような色の液体であった。
ーーいや、もはや泥水そのものだ。
(…うぅっ…、これは…)
一瞬ためらったものの、ここまで来て拒否するのも失礼だ。
遥香は意を決して、ほんの少しだけ口をつけた。
(………温かい…。)
ほんのり苦い香りが鼻に抜け、喉の奥がじんわりと温まった。
薬草特有の青臭さはあるものの、不快ではなく、むしろ心地よい。
遥香は体の痛みが、少しずつ和らぐのを感じた。
「どうだい?効くだろ?」
優しい声が降ってくる。
(…なんか…親戚のおばちゃん、みたいだな…)
「……私はエルダ。ここで薬師をやってんだ。」
2杯目の薬草茶を手渡しながら、エルダは言う。
「薬師…」
両手で器を包み込み、遥香はぽつりと呟く。
「それにしても……」
エルダは遥香の服装を一瞥し、眉をひそめた。
「あんた、その格好。教会の連中に見つかったら、即火炙りだよ」
「…あ、これ…」
遥香は自分の姿を見下ろす。
水色のガウンに、水色のキャップ。
誰がどう見ても不審者である。
「…点滴を、作っていたので…」
「て、てんて……!?なんだい、それは……」
エルダが怪訝そうに首を傾げる。
「え…?」
その瞬間、遥香の中で何かが引っかかった。
(…そういえば、私…病院にいた筈なのに……)
小屋をゆっくりと見渡す。
天井の梁に吊るされた無数の草に、干からびた謎の生き物。
現代の病院とはあまりにもかけ離れていた。
「…ここ……ここは…どこですか?」
恐る恐る尋ねる。
「…ここ?ルーンヘルム、だけど…。」
エルダはキョトンとした顔で答える。
(…………どこだ、それ……)
「安心しな!街からは離れてる!魔女だなんて密告される心配はない」
「……ま、魔女ぉ……?」
聞き慣れない単語に、頭が追いつかない。
炎に包まれた記憶が、脳裏をよぎる。
(……私……あのまま……)
——死んだ?
胸が、ぎゅっと締め付けられる。
「あんた、どこから来たの?」
「日本…です」
混乱した頭を抱えながら、小さな声で答える。
「日本?聞いたことないねぇ」
その言葉に、遥香は弾かれたように顔を上げた。
(……日本を知らない?)
一応先進国だ。 小さな島国でも、名前くらいは知られているはずなのに。
その時ーー
ーーードンッ、ドン、ドン
扉が激しく叩かれた。
「……っ!」
遥香の体は一気に強張る。
「………しっ…!」
エルダは素早く口に指を当てると、気配を消して扉の前に立った。
——空気が、張り詰めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます