薬剤師は火刑台に立つ〜え、呪い?いや、それ病気です〜
大棗ナツメ
1 疲弊する薬剤師
(…熱い…っ熱い…っ!!息が…、出来ない…っ!)
顔にかかる炎は払っても払っても、次々襲いかかってくる。
「…たすけて……っ」
掠れた声で、必死に前に手を伸ばす。
もう少し。
あと、ほんの少しで"それ"に指先が届く。
そう思った瞬間ーー
意識が、ぷつりと途切れた。
*******
(あー……、もう、仕事やめたいな…)
時計の針は、無情にも二十時を回っている。
病院の煌々と照りつける蛍光灯の下で、この病院の薬剤師である桐谷遥香は「うーん」と伸びをした。
静かな調剤室に響くのは、自動調剤機が錠剤を弾はじくカチカチという規則正しい音だけだ。
「……あれ?先輩、昨日当直じゃなかったっすか?まだ帰らないんすか?」
背後から能天気な声が飛んでくる。
振り返ると、後輩薬剤師の宮本が、いかにも幸せそうな顔で立っていた。
最近彼女ができたらしく、彼からは“リア充オーラ”がだだ漏れだ。
「帰らないんじゃなくて、帰れないの!まだ点滴作りも残ってるし……。」
「うわー……。お疲れっす!昨日相当忙しかったらしいっすね!」
宮本は、無駄に明るく弾んだ声で労いの言葉を掛ける。
「………今日は、落ち着いてるね」
夜勤の医療従事者の間では、言うと途端に忙しくなるということから禁句とされている言葉を掛け、パソコンのスイッチを荒々しく切る。
そう、遥香は昨夜当直に入り、そのままずっとこの時間まで働いているのだ。
こうなったのも、急に寒くなった為か、夜間にインフルエンザやらノロウィルスやらの患者で救急がごった返したからである。
一晩中、薬を作っては患者に渡しを繰り返し、気が付けば夜が明けていた。
後に残ったのは、散乱した処方せんと膨大な服薬指導記録だけだった。
(……疲れすぎて頭が回らない。さっさと薬を作って今日はもう帰ろう)
「無菌室使うね」
そう言って、歌を口ずさみながら薬の鑑別作業をする宮本を横目に、青いガウンに着替える。
粉っぽい手袋に無理やり手を突っ込んだ。
無菌室のガラスに映った自分の顔は、驚くほどくすんで見えた。
一つに結んだ髪も、ほつれた糸みたいに垂れてきている。
その姿は、もはや亡霊である。
「……はぁ、もう本当、仕事辞めたいな…。」
本日何度目か分からない呟きは、無菌室の冷たい壁に吸い込まれていく。
「えーと…今日は二本、ね。」
クリーンベンチの表に作製する個数と日付を書き込み、自分の名前の印鑑を、半ば八つ当たり気味に押す。
(……大学を卒業したばかりの頃は、まだ良かった…。)
薬品を手早く準備しながら遥香は考える。
使命感に溢れ、人の命を支える仕事に就けたことを誇らしく思っていた。
それから4年。チキチキと嫌な音を立てて次々と処方箋を吐き出すプリンターに、書いても書いても終わらない服薬指導記録の山。
最近では、仕事を辞めることばかりが頭の中を占めている。
「はあ…」
遥香は大きなため息をつき、滅菌の為にガスバーナーに火をつける。
青い炎がゆらゆらと静かに揺れた。
慣れた手つきで黙々と器具をガスバーナーに翳かざして、滅菌していく。
その時だった。
ーーコトン……
肘が消毒用エタノールのボトルに当たり、透明な液体が作業台に広がった。
鼻をツンとアルコール臭が刺す。
「…やば……っ」
一瞬で我に帰る。
――ボッ。
小さな音のあと、火が燃え上がった。
青かった筈の炎は、空気を食い橙へと変わっていく。
あっという間に遥香の身体は炎に包まれた。
「……っ!」
思わず息を吸い込む。
熱が頬を刺し、喉が焼けた。
(……くる、し……っ」
遥香の視界は真っ赤に染まり、次第に音が遠のいていく。
――ああ、これ……
多分…、死んだ………。
******
ーーガラガラガラ
どこか遠くから耳慣れない音が、近づいてくる。
頬に感じるのは、硬くてざらついた感触。それに、土と石の匂い。
遥香は瞼を僅わずかに開いた。光が差し込んだ。
「え……ここ、どこ?」
小さな呟きは声にならず、喉の奥でかすれた。
体を起こそうとした瞬間、地鳴りのような音が後方から迫っていることに気付いた。
ーーガラン、ガラン
金具の打つ音と石を蹴る蹄の音。
馬車だった。
信じられない速さでこちらに突っ込んでくる。
「…うそ……っちょっ、待っ……!」
慌てて身を起こそうとするが、足がもつれて立てない。
ーーガラガラガラ
無情にも馬車は迫ってくる。
叫ぶ間もなく、風が頬を打った。
(ぶつかる…っ!!)
本日、二度目。
桐谷遥香は、人生で二度目の“死”を覚悟した。
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