第13話 告白

 学は、膝の上で組んだ指をほどいたり結んだりしながら、ゆっくりと言葉を探していた。

 声は落ち着いているようで、どこか震えが混じる。

 学が過去を語るたびに、胸の奥に沈んでいたものが、少しずつ浮かび上がってくるようだった。


 学は美穂にどうしても話したいことがあると言って、特別に時間を作ってもらったのだ。誰もいない会議室で、学は、自分の過去を話始めた。


 「私は、産まれた時から、身体に内部障害を持っていた。母は、その障害があっても、社会で生きていけるように、躾ようとした。その躾は、過酷だった。」

 美穂は、彼の目を真正面から見ず、しかし逃げもしない。

 相手の痛みに寄り添う時の、あの独特の距離感で、そっと頷いた。

 「そう……」


 その声には、驚きと、どう扱えばいいのか迷う優しさが滲んでいた。

 学は、少し、深い息を吸い込んだ。


 「母は、自分の目線で躾、物心つく頃から、冬の冷たい水の入ったバケツで汚れたパンツを洗わせた。私がそれは嫌だと言うと、火を噴いて怒った。」

 語りながら、学の視線は遠くへ向かう。

 学は、まるで、幼い自分が立っていた、あの寒い便所で汚れたパンツを洗っている姿を見ているかのように感じた。


 美穂は、胸の前で手を組み、少し眉を寄せた。

 「そうなんですね……」

 その言葉は、ただの相槌ではなく、“そんな幼い子に、どれほどの重さだったんだろう”という想像が滲んでいた。


 学は、唇を噛みしめるようにして続けた。

 「母が言うには、大人になったら治ると……今では、何の根拠もない嘘だったのだが、それを子供の頃、信じ込ませて、大人になるまで痛め続けた。」

 美穂は、息をのむようにして小さく声を漏らした。

 「そんなあー……」

 その声は、学の胸の奥に触れたように響いた。

 そして学は、少し俯きながら、最後の言葉を絞り出す。


 「私は、成長して、大人になっても、その障害は治らなかった。何もしないのに、治る筈ないよね、私は、今までの人生の無意味さに……未来を描けない、絶望に似た、激しい怒りを覚えた。それは、母が私に向けた、怒りだった。」


 語り終えた瞬間、学の肩がわずかに落ちる。

 長い間、胸の奥に押し込めていた気持ちを、ようやく机の上に置いたような表情だった。

 美穂は、すぐに言葉を返さない。

 沈黙を恐れず、学の呼吸が落ち着くのを待つように、ただそこにいた。

 その沈黙自体が、彼にとっては救いのように感じられた。


 ■学の語りに広がる情景

 「それで……」

 美穂が小さく促すと、学は視線を落とし、膝の上で握った手をゆっくりほどいた。

 その仕草には、語ることへのためらいと、語らずにはいられない切実さが入り混じっている。

 「母に当たるのは怖かった。そして、家庭でも社会でも、私の居場所は無かった。私の心は引き裂かれ、幻聴に苦しめられることになった」

 その瞬間、部屋の空気がわずかに沈む。

 

 窓の外では夕方の光が傾き、壁に柔らかい影を落としていた。

 学の声は淡々としているのに、言葉の奥には長い年月の痛みが染み込んでいる。

 「障害を持って、母と一緒にいる事は、苦痛だった。だから私は、少ない年金から、一部のお金を貯金して……100万貯めたらアパート暮らしをしようと考えた」


 美穂は、そっと目を見て頷く。

 “逃げたい”ではなく、“自分の人生を取り戻したい”という願いが、その言葉に宿っているのを感じた。

 「その内、母が交通事故に遭い亡くなった」

 学は、少しだけ目を閉じた。


 その一瞬に、複雑な感情が押し寄せていたことが伝わる。

 「私は、幻聴の原因が取り除かれ、それが聞こえなくなるかもしれないと……嬉しくなった。しかし、その後も、それは、消えることがなかった、母が原因ではなかた」

 美穂は、胸の前で手を組み、静かに息をのみ込んだ。

 “そんなに追い詰められていたんだ”


 その思いが、言葉にならないまま、表情に滲む。

 「私は、アパートで暮らすために貯金を続けた。それは、凄い苦しい事だったんだ。それを父は当然のよう、自分が死ぬまで続くと思っていたようだ」


 「お金は貯まったの?」

 美穂の問いは、優しさと確認の両方が混ざっていた。

 「貯まった」

 

 学は、少しだけ誇らしげに、しかしどこか寂しげに答えた。

 「嬉しさの余り、父に色々助言したが、嫌な顔をするだけで、助言が通ることはなかった。そこで、アパート暮らしの話をすると、激しく怒った」


 その時の父の怒声が、今も耳に残っているかのように、学の肩がわずかに強張る。

 「私は、それに絶望して、入院することになった。その事で、大切な40代を失った」

 美穂は、言葉を失ったまま、ただ学の方へ身体を少し傾けた。

 “その時間は、どれほど重かったんだろう”

 その思いが、沈黙の中に流れている。


 「退院をすると、早速アパートの入居の手続きをした。一番の難関は保証人だった。父に頼むと、署名することに同意した」


 学は、少しだけ息を吐き、肩の力を抜いた。

 「こうして、それから5年たって、今は、幻聴にさいなまれることもなく、生活を続いているんだ」

 語り終えた瞬間、部屋の空気がふっと緩む。

 長い長い道のりを、ようやく誰かに手渡せたような、そんな静かな解放感が漂っていた。


 美穂は、すぐに言葉を返さず、学の呼吸が落ち着くのを待つように、そっと視線を合わせた。

 その目には、評価でも同情でもなく、ただ“あなたの話を受け取った”という確かなまなざしが宿っている。


 

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