第2話  お疲れ様

 

 ■お疲れ様

 ゴンとミックの様子を見ていると、どうにも5つの挨拶が定着しない。学はそのたびに胸の奥がざわついた。

 特に最初の3つはよくあることで、修正もしやすい。

 「こういう時は、『あ……』じゃなくて、「ありがとう」でしょ」

 「今のは『お願いします……』ですよね?」

 「返事は『はい』。ほら、こんな感じに」


 こんなふうに、最初の三つならすぐに直せる。

 だが、後の2つ――とくに連帯のための「お疲れ様」と、ミスしたら言う、「済みません」だけは、どうにも身につかない。

 見過ごせなくなった学は、ついに二人へ注意することにした。


 ■ゴン

 ゴンを呼んで話し始めた。

 「ゴンさん、『お疲れ様』って言うって言ったじゃない」           

 「へへっ……」

 「へへっ、じゃないよ。大丈夫?」

 「イヤァ、ついつい……」

 「こういう時は、『すみません』でしょう」

 お互い、何も言わずに向き合っていた。

 ゴンの視線は落ち着かず、学の胸の前あたりを泳いでいた。


 先に声をかけたのは学だった。

 「今の、もう1回」

 ゴンは、その言葉に驚いたように目を上げた。

 「すみません」

 「わかった。『お疲れ』の挨拶を頼むよ」


 ■ミック

 今度はミックとの話だった。

 「ミックさんは、分かってるよね」

 「はい」

 ミックは恐れを感じていた。叱られることではない。

 学の表情が曇ることの方が、よほど怖かった。昔から、人の顔色に敏感だった。

 「お疲れ様です」

 

 そこで、学は二人に言った。

 「二人とも、頼んだよ」

 二人は背筋を伸ばして言った。

 「はい」


 ■褒める力

 学は、自分の中に“陰”と“陽”の二つの働きがあると感じていた。間違えたら、代わりに言ってあげる。これは、陰で、そして、正しい事をしたら、褒める。これが陽である。

 「今の良かった」

 「さっきの良かったです」

  といった具合に、褒める。


 相手が、「何が?」と聞いてきたら、その理由を話す。短く、温かく、すぐに伝わる、電子レンジの“チン”のように。


 ■学の思い

 学は班長として、二人に5つの挨拶を教えなくてはならなかった。

 それは支援員から言われたことではない。


 だが、ここでやっていくには、そういった小さな習慣こそが大切だと学は考えていた。

 挨拶のような小さな習慣が、人を守る盾になることを、今までの経験から知っていた。


 その盾は、一人で持つものではない。誰かと挨拶を交わす事で、手と手を取り合って、縁が出来ることで、初めて盾という形になるのだ。学が若い頃、同僚のマモル君とタックを組んで揃えた様に……。

 学は二人の背中を見送りながら、小さく息をついた。


 挨拶ひとつで何が変わるのか、と言う人もいるだろう。

 だが、ここでは違う。


 この様な小さな言葉が、最初の盾になる。

 ――その盾を、今日ようやく、彼らが手にした気がした。


 小さな言葉が、お互いの小さな背中を守る日が来るかもしれない――そんな予感とともに。


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