9 終焉と、真実の始まり
世界料理サミットの会場、特設ステージ。
陣のブースの前に、一花が立っていた。彼女の瞳は、疲労の色を帯びながらも、鋭く、陣のすべてを見透かそうとしていた。
「陣。私に話したい真実があるんでしょう? 聞かせてもらうわ」
一花は静かに、しかし決然とした声で言った。
陣は一花の視線をまっすぐ受け止め、深呼吸をした。隣には真実の証人として里中陽子が静かに控えている。会場には世界中の報道陣と、彼の凋落を期待するライバルのシェフたちが、固唾を飲んで見守っていた。
「お集まり頂き、ありがとうございます」
陣は報道陣に向け、深く頭を下げた。
「私は今日、この世界料理サミットという最高の舞台で、ある告白をするために参りました。私がこれまで語ってきた『至高の濃厚ラーメン』の誕生秘話、私の『天才的ひらめき』による創作性、それらは、すべて嘘でした」
会場に、ざわめきが起こる。報道陣のフラッシュが一斉に焚かれた。
「この『至高の濃厚ラーメン』は、私、八神陣のオリジナルではありません。これは、かつて日本に存在し、ある日突然、世界からその存在と記憶が消滅した伝説のラーメン店『鳳凰』の秘伝レシピです」
陣はあの数秒間の大停電と、「鳳凰」の消失、そして自分だけにそのレシピが残された経緯を、すべて正直に語った。
「私は凡庸な定食屋の二代目である自分を変えたかった。あなたの期待に応えたかった。だから、この世界に残された偉大な遺産を、自分の手柄だと偽り、世界を欺きました」
彼は一花に視線を移した。
「一花。君に嘘をついたことが、俺の最大の罪だ。君の純粋な信頼と愛情を、俺の卑怯な嘘の土台に使った。本当に、ごめんなさい」
陣は涙を堪えながら、頭を深く下げた。一花は、その告白を聞きながら、微動だにしなかった。彼女の顔には、すでに秘密を知っていた者の驚きはなく、ただ、彼の正直な苦悩への、深い哀しみが浮かんでいた。
陣は顔を上げ、里中陽子を紹介した。
「そして、この方こそ、その『鳳凰』の創業者の娘さんです。私が今から披露するのは、この偉大なレシピを、私がどれほど汚したかという、私の失敗の記録です」
陣はブースに並べられた二つの寸胴鍋の前に立った。
「まず、こちらをご覧ください」
彼は偽りのスープが入った寸胴鍋を指差した。それは彼がグローバルチェーンで提供している、コストダウンと効率化のために化学調味料を多用した、大量生産型のスープだった。
陣はそのラーメンを試食皿に乗せ、審査員と報道陣に提供した。
「このラーメンは、私に巨万の富と名声をもたらしました。しかし一花に指摘された通り、その味には魂がありません。それは私が『鳳凰の哲学』を裏切り、金儲けの道具に変えた、傲慢と欲望の味です」
批評家たちは、そのラーメンを口にし、すぐに表情を歪めた。「濃厚だが単調だ」「化学的な味が強すぎる」「かつての感動とはかけ離れている」という声が、会場のあちこちから聞こえた。
そして陣は、もう一つの寸胴鍋、里中と二人で魂を込めて再現した真実のスープの前に立った。
「次に、こちらを試食してください。こちらが、あの世界フェスで皆さんが感動してくださった、『鳳凰』のレシピの真の魂です。コスト度外視、効率度外視。ただ純粋な探求心と、食の哲学だけで生み出された、偉大な遺産です」
真実のスープが提供されると、会場の空気が一変した。批評家たちは、その一口で、味の深み、複雑さ、そしてその背景にある「物語」を感じ取った。
「これだ! 味が違う! まるで、人生の哲学が凝縮されているようだ!」
「あの時感じたのは、この味だ! 最初に提供されたものは、この影に過ぎない!」
会場は真実のスープの感動と、陣の告白という衝撃で、完全にヒートアップした。
「私は偽りの成功を捨てることを選びました」
陣は壇上の中央に立ち、カメラに向かって言った。
「私は今後、八神陣としてのすべてのビジネス、フランチャイズ展開を停止します。私はこの偉大なレシピを、自分のものとして独占する資格はありません」
彼は里中陽子に、祖父の代から受け継いだ「鳳凰の秘伝レシピ帳」を差し出した。
「里中さん。このレシピは、あなたのものです。そしてこのレシピは、私のような浅はかな人間が独占するものではなく、世界が共有すべき食の遺産です。どうか、このレシピを『人類の宝』として、公開してください」
陽子は涙を浮かべ、レシピ帳を受け取った。
「八神さんの勇気に、心から感謝します。このレシピは、世界に公開されます。そしてあなたの、真の料理人としての魂は、決して消えることはありません」
告白は世界に大きな波紋を呼んだ。
「天才シェフの転落と告白」「消えた伝説のラーメンの復活」「食の哲学と資本の戦い」として、陣の名は、偽りの成功者から、「名声よりも真実を選んだ男」として、人々の記憶に刻まれた。
そして陣は、すべてを失った。巨大な投資は撤回され、フランチャイズは停止。彼が築いた富と名声は、一夜にして消え去った。
会場を出た陣は、静かに立っている一花の前に立った。
「一花……俺は、すべてを話した。もう、俺は、お前が信じた『天才』じゃない」
一花は、その言葉に静かに首を振った。
「いいえ、陣。あなたは、私が信じた通りの人間よ」
一花の目から、一筋の涙がこぼれた。
「私は、あなたが嘘をついていることを知っていたわ。でも、私は、あなたがその孤独な嘘の重圧の中で、私を喜ばせたいと必死にもがいていることも知っていた。あなたが、名声よりも真実の愛と哲学を選んだ今、あなたは、私にとって、世界一の、正直な料理人よ」
一花は陣に駆け寄り、彼の胸に飛び込んだ。彼は失ったすべてのものよりも価値のある、一花の愛と信頼を取り戻したのだ。小野の予言は最も美しい形で成就した。
「これから、二人でやり直しましょう。東中野の、あの小さな店で」
一花は顔を上げ、微笑んだ。
「ああ、もちろんだ」
彼の人生は、終焉を迎えた。だが、それは同時に、真実と愛に基づいた、新たな人生の始まりでもあった。彼が次に作る料理は、「借り物のレシピ」ではなく、一花と二人で、彼自身の魂と愛を込めた、新しい定食屋のメニューになるだろう。
消えたレシピの行方 御厨あると @mac_0099
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