陽成院妖物事(やうぜいゐんのばけもののこと)・結
「そっそれって……いえ失礼しました。先の帝の娘さんでしたよね?」
「そうだ釣殿院を受け継いだ姫宮、
奔放で激しい発想力と、馬や鬼といった異種族にさえ感情移入する一種の天才をそなえる廃帝に、似つかわしくもない感傷の翳がよぎった。
自分から見たら臣下だ、成り上がり者だと暴言を吐いた今上の天皇の妹姫に、政敵というハードルを飛越して焦がれている。変わり者扱いされる陽成帝も、恋をするとただひとりの男になるようである。
鬼のツノにもたらされる超常の力(望まぬタイムスリップもそのひとつだ)がなくても、天川游には切ない想いが感じとれたのだった。
「釣殿の姫君をとても愛されているのですね、陛下は」
「まだ少女のようなお方だがな」
照れているが17歳で退位した院はまだ青年と言って良いだろう。光孝帝の第三皇女ならお似合いではないか、人柄まで知らないが
「きっとうまくいきますよ。これは未来人の予言ですけど」
「未来人とは鬼の別名か?」
「鬼というか……人の悩みや心の病にアドバイスするのが本業なので」
「そなた鬼ではなく、夢解きが
「……夢解き」
平安時代には、夢は予知や神の啓示と考えられていた。
(それも未来の人間が忘れ失った、人の心をいやし幸福に変えてゆく方法のひとつだったな)と、千年先のみやこで心療内科をいとなむ鬼は思った。
(いずれにせよ)
筑波嶺の 峰より落つる 男女川
恋ぞつもりて 淵となりぬる
(筑波山の峯から流れおちる
男女川とは筑波山系の、男体山・女体山を流れおちる水が合わさった川だ。
縁結びの利益があるとして神格を崇められると同時に、「歌垣」と言う古代の男女の出逢いと恋の発展の"場"として奔放な性の讃歌の象徴ともされた。
若く奔放な廃帝を見つめるうち、(奇矯な行動をとったと非難されたり、冤罪まで負わされたと言う。情熱的すぎるというか、人としてどこか過剰なのかも。だがそれが無性に色っぽく感じる)と、しょうもない鬼の本性がむくむくしてくる。
まさにそのとき額のツノがピクリと――二本のアンテナが微妙な空間変移の
21世紀の学生には理科教師としか思われない白衣姿がふわっと宙に浮く。
月光を透かし逆髪がいっそう四方八方に伸び盛っているようにも見える。
天川游は騎乗している陽成院に、顔が触れあうほど接近してささやいた。
「陽成上皇陛下、お逢いできて光栄でした。貴重で稀有なお話と、人となりを知ることができ、私もとても……とて……」
「うっ」院がうめいた。
南風に似ている偏移断層の中で、鬼の
頬とくちびるをあやしくも執拗に舐められながら、鬼の
偏移が完了し妖風が消え去り、正気に戻った院は自分の顔を撫でてみる。
口も頬肉も、顎もどこもかじり取られておらず無事だった。
ただし……
「鬼とは多情淫乱と聞くが、真であった」
月光に濡れのびる平安の
🙇♀️蛇足と存じますが、「宇治拾遺物語・巻十二」
`今は昔 陽成院下り居させ給ひての御所は 大宮よりは北 西洞院よりは西油の小路よりは東にてなんありける `
大きなる池のありける釣殿に番の物寝たりければ 夜中ばかりに細々とある手にてこの男が顔をそとそと撫でけり
`けむつかし `と思ひて太刀を抜きて片手にて攫みたりければ
浅黄の上下著たる叟の殊の外に物侘しげなるが云ふやう
`我はこれ昔住みし主なり `浦島が子が弟なり `いにしへより此所に住みて千二百余年になるなり `願はくは免し給へ `此処に社を建てて斉ひ給へ `さらばいかにも守り奉らん ` と云ひけるを
`我が心ひとつにては恊はじ `この由を院へ申してこそは `と云ひければ
`憎き男の云ひごとかな `とて
三度上ざまへ蹴あげ蹴あげして 萎え萎えくたくたと成して落つるところを口をあきて食ひたりけり
`並ての人程なる男と見るほどに夥しく大きになりてこの男を一口に食ひてけり
――了――
陽成院妖物事 宝井星居 @yohinoyume
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