第4話

第四章


 自分の部屋のベランダから見える景色は、初めてここに引っ越してきた日から、ほとんど変わっていない。


 正面には、少し背の低いオフィスビル。その向こうには、幹だけの森みたいに、高いビルがいくつも刺さっている。昼はガラスに空の色を貼りつけて、夜は窓のひとつひとつが、小さな画面みたいに光る。


 その全部を、たばこの煙越しに眺めるのが、自分の一日の終わりの儀式になっている。


 ベランダに出て、手すりに肘をつく。金属の冷たさが、骨に直接触れてくる。指先で軽く叩くと、カン、カン、と小さな音が夜に溶けていく。


 下の道路からは、車の音が絶えず登ってくる。エンジンの低い唸り、タイヤがアスファルトを擦る音。ときどき交じるバイクの高い音。耳を澄ませば全部違うのに、少し意識を遠ざけると、一枚の「波の音」になる。


 寄せては返す、じゃなくて、ずっと寄せ続けてくる波。止まる気配のない、都会の海。


――――


 このマンションで、自分の名前を呼ぶ声はほとんどない。


 宅配便の人が、インターホン越しに苗字を確認するときと、契約のときに管理会社の人が間違えないようにゆっくり発音したときくらい。ポストの表札にはフルネームが印刷されているけれど、そこを読むのは、配達員と郵便物の仕分けをする誰かだけだ。


 エレベーターで一緒になる人たちは、だいたい無言だ。「お先にどうぞ」とか「すみません」とか、名前のいらない言葉だけが行き来する。顔はなんとなく覚える。あの人、前も見たな、くらいには。でも、名前を知ろうとしたことは、一度もない。


 きっと向こうも同じだろう。


 この建物のどこかの部屋の灯りを、自分もベランダから「見たことがある」けれど、その向こう側の生活に、踏み込もうとしたことはない。


――――


 部屋の中では、テレビがつけっぱなしになっている。音量は小さくしてあるから、具体的な言葉は聞き取れない。笑い声と拍手と、ニュースのジングルだけが、窓ガラスを薄く震わせてくる。


 自分は、ベランダの戸を半分だけ開けて、外と中の音を同時に聞いている。


 車の波と、テレビの笑い声。


 どちらも、自分とは関係のないところで続いている音だ。


 たばこを一口吸って、煙を肺の奥まで入れる。うまいのかどうか、正直よく分からない。ただ、「吸っている自分」がここにいる、という印みたいなものだ。


 高校生の頃、深夜ラジオを聴きながらこっそり吸ったときは、「大人の世界の入口」に足をかけた気がした。いま吸っているたばこには、そんなドラマはない。ただの習慣。けれど、この小さな火が、外から見れば「この窓の向こうにも、誰かが起きている」というサインになっているかもしれない、と思うと、少しだけ落ち着く。


 実際には、下を歩く誰かが、この小さな火に気づく可能性なんて、ほとんどないのに。


――――


 朝の景色も、大体決まっている。


 コンビニの看板の下を、保育園に向かう親子が通る。子どもの手を引く人と、遅れそうになって小走りになる小さな足。信号が変わるギリギリで渡っていく姿を、コーヒーを飲みながら何度も見た。


 別の日も、似たような時間に、似たような親子が横断歩道を渡る。服の色が違っても、抱えているリュックの柄が違っても、ベランダから見ていると、「朝の親子」という一つの影にまとまってしまう。


 夜には、ネクタイをゆるめたスーツたちが、同じ角を曲がってくる。


 コンビニに入っていく人。素通りして駅のほうへ急ぐ人。店の前で一瞬立ち止まって、入るかどうか迷っているように見える人。顔を覚えようとすれば、たぶん何人かは「よく見かけるあのスーツ」として登録できるのだろう。けれど、自分はそこまでしない。


 ここから見える彼らは、みんな「スーツ」で、「親子」で、「誰か」で止まっている。


――――


 ふと気づくと、自分が一日を通して見ているのは、ほとんど「誰かのストーリーの断片」だ。


 昼間、スマホの画面で見るのは、知らない誰かの動画だ。誰かの日常。誰かのルーティン。ソファの上でスクロールしながら、「へえ」「すごいな」と思う。画面の中の部屋と、自分の部屋の間にある差を数えているうちに、時間が溶けていく。


 夜、ベランダに出ると、今度は窓の向こうの光を眺める。


 テレビの明かりがちらつく窓。カーテンの隙間から見える、人の影。キッチンの白いライトだけが付いている部屋。どの光にも、「その人の今日」の続きがあるはずだと頭では分かっているけれど、自分に見えるのは、外側だけだ。


 画面の中のストーリーも、窓の向こうのストーリーも、自分にとっては同じくらい遠い。


 自分の一日は、そのどれにも映らない。


――――


 自分の名前が出てくる場所は、奇妙に偏っている。


 クレジットカードの明細。電気・ガス・水道の請求書。マンションの契約書。通販サイトの送り状。そこには、正しい漢字でフルネームが印刷されている。支払いが遅れれば、きっとそこでだけ問題になる。


 でも、「きょう、どうだった?」と自分の名前を主語にして聞いてくる人は、この街にはいない。


 職場で呼ばれるのは苗字だけだ。必要な連絡事項があるときに名前が飛んでくる。そういう名前の使われ方も、「交換可能な一人分」という感じがあって嫌いではないけれど、そこに自分の輪郭を預けきるには、少し心もとない。


 ベランダにいるとき、自分は名前を持たない。ここから見える景色の中に、自分は一切映らない。


 ただ、「どこかの窓の一つ」として、誰かの夜景の一部にはなっているかもしれない。


――――


 ソファに戻って、スマホを手に取る。


 メッセージアプリを開いても、新着の通知はほとんどない。上のほうには仕事のグループチャット。下のほうには、「今度飲もう」が最後になっているトークルームがいくつか。


 誰かの名前をタップして、「元気?」と打ちかけてやめる。消した文字の分だけ、画面の中の履歴は変わらないまま残る。


 通話履歴の画面に切り替えると、「発信」「着信」「不在着信」の文字が規則正しく並んでいる。そこにも、今日の自分の名前は出てこない。出てくるのは、相手の名前と番号だけだ。


 自分は、誰かの通話履歴の中で、どのくらい残っているんだろう。


 考え始めたところで、画面が自動で暗くなる。そこには、自分の顔だけがぼんやり映る。ベランダのガラスに映っていた顔と、たいして変わらない。


――――


 キッチンに行き、水をコップに注ぐ。


 シンクには、昨日の皿と今日のマグカップと、洗おうとしてやめた箸が、中途半端な高さで積み上がっている。完全に放置しているわけでもなく、完璧に片付けているわけでもない。


 蛇口から落ちる水の音を聞きながら、「水道のメーターは、これもちゃんと数えてるんだろうな」と、どうでもいいことを思う。


 ガス会社のシステムも、電気会社のシステムも、コンビニのレジも、スマホのログも、自分の生活を誰より正確に覚えている。


 そのどれも、自分の顔を知らない。


――――


 ベッドに横になって、天井を見上げる。


 昼間、会社で見た天井と、ここで見る天井は、色も高さも違うけれど、そこに映し出そうとする自分の一日は、どちらでも似たような輪郭をしている。


 朝起きて、会社に行って、椅子に座って、画面を見て、帰ってきて、コンビニに寄って、ベランダに出て、車の音を聞きながらたばこを吸って、こうして寝る。


 昨日と今日の違いを説明しろと言われたら、たぶん少し悩む。明日もきっと、同じ説明の仕方になる。


 自分がこの部屋にいてもいなくても、下の道路は同じように車で埋まるだろうし、コンビニの看板も同じように光るだろう。


 それでも、自分は毎晩ベランダに出て、小さなたばこの火を灯している。


 「ここに観客が一人います」と、誰にともなく合図するみたいに。


 それを見てくれる誰かがいるのかどうかは分からない。それでも、自分はそうして一日を締めくくる。


 目を閉じると、外の車の音が、さっきより近くなったり遠くなったりをくり返す。


 高層ビルの森のあいだを抜けていく車の群れ。その波の音に紛れながら、自分の意識は、ゆっくりと薄くなっていく。

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