第3話
スマホのアラームが鳴る前に、子どもの泣き声で目が覚めた。
天井を見たまま、しばらく身体を動かさない。すぐ横で小さな身体がもぞもぞと動いていて、「んー」とか「やー」とか、言葉になる前の声が漏れている。
アラームの音が追いかけてくるより先に、手を伸ばしてスマホを掴む。ロック画面には、時刻と、今日の日付と、アラームのアイコン。指でスライドして止めると、部屋は一瞬だけ静かになる。
すぐに、また泣き声が始まる。
「はいはい、起きるよ」
声に出して言いながら、布団から半身を起こす。眠気はあまり取れていない。でも、ここで五分だけ、と目を閉じると、その五分はたぶん二十分か三十分になる。そうなると、保育園の門の前で、今日も同じ言い訳をすることになる。
スマホのアラームは、起きたことは教えてくれない。止めた回数だけが、履歴の一覧に静かに増えていくだけだ。
隣で転がっている子どもを抱き上げる。まだ体温の高い身体が腕に乗る。小さな手がわたしの服をつかむ。目はまだ半分閉じかけているけれど、口だけはしっかりと「ごはん」の形をしている。
「はいはい、ごはんね」
声に出して言いながら、わたしは頭の中で、今日一日の工程表を慌ただしくめくる。
ごはん、着替え、自分の身支度、ごみ出し、保育園、電車、会社。会社を「自分のこと」と呼ぶには、少し距離があるけれど、そこに行って、お給料という形で生活の残り半分を埋めてもらっているのだから、たぶん自分のことのうちに入るのだろう。
――――
キッチンの電気をつけると、白い光が一気に狭い空間を満たす。
テーブルの端には、昨夜洗って乾かした食器が伏せてある。その横に、保育園の連絡帳が開いたまま置かれている。昨日、眠い目をこすりながら、「きょうもげんきでした」と書いた、小さな字が残っている。
今日はその下に、何を書くことになるんだろう。
子どもをベビーチェアに座らせて、エプロンをつける。まだ眠そうな顔で、ぼんやりとこちらを見ている。わたしは冷蔵庫から、ごはんと昨晩の味噌汁の残りを取り出す。レンジに入れてボタンを押す。電子音が鳴って、時間のカウントが始まる。
そのあいだに、子どものお皿とスプーンを用意する。小さなプラスチックの皿。底のところにキャラクターが描いてあって、ごはんを食べ終わると顔が出てくる。それを見て喜ぶのは、もう少し先のことかもしれない。
自分の分は、トーストとコーヒーだけにしようか。それとも、ごはんを少し分けてもらおうか。頭の中でカロリーと時間を計算する。
レンジの「チン」という音が鳴って、考えは中断される。
湯気の立つ茶碗とお椀をテーブルに置く。子どもの前には、ごはんを小さく丸めたものと、柔らかくした野菜。色合いはあまり良くないけれど、そこにこだわる余裕はない。
「ほら、あーん」
スプーンを口元に持っていくと、子どもは反射的に口を開ける。スプーンを引き抜くと、ごはんの半分くらいが口の外にはみ出す。手で押し戻そうとして、余計にこぼす。
「もう、こぼす〜」
口ではそう言いながら、ふきんで口元を拭く。頬のあたりに触れたときの、柔らかい感触。子どもの身体は、常にわたしの腕の届く範囲にある。トイレに行くときも、ベランダに洗濯物を干しに出るときも、子どもの気配はどこかしらに付いて回る。
それなのに、大人として何かを相談できる相手は、この部屋にはいない。
今日保育園に着いたとき、連絡帳に何と書かれていたら安心するのか。熱が出たら、どこまで迎えに行けるのか。何を元に判断していいかわからないことが、毎日、少しずつたまっていく。
テーブルの隅に置いてある家計簿アプリには、支出の数字だけがきれいに並んでいる。子どもが生まれてからのレシートを打ち込んだ記録は、どんどん下に伸びていく。
今日は、その中の「朝ごはん」の欄に、いくら書き足すことになるんだろう。
――――
自分の分のトーストをかじりながら、コーヒーを一口飲む。
熱いか、ぬるいかの判断はつく。でも、それがおいしいのかどうか、最近はよく分からない。疲れているときほど、味覚は当てにならない気がする。味がどうかよりも、カフェインが入っているかどうかだけに意識が向かう。
テーブルの端に置いたスマホが、振動した。
画面には、天気予報の通知と、家計管理アプリからの「カード利用のお知らせ」。昨日コンビニで買った何かの支払いだ。少額の数字が、また一つ増えている。
わたしの今日が、また一行、どこかのサーバーに記録されたことを知らせてくれる通知だ。そこには、何を考えながらレジに並んでいたかは、一文字も書かれていない。
「ごちそうさまでした」
子どもの口癖みたいになっている言葉を、先にわたしのほうがつぶやく。子どもは、まだ口の周りを汚したまま、スプーンを握っている。
急いで顔と手を拭いて、着替えをさせる。わたしも自分の服を着替える。ワンピースの上にカーディガン。子どもの服に合うような色を選んだつもりが、自分だけ外に出ていくときには、少し年齢に合っていないようにも感じる。
鏡の前に立って、髪をひとつ結びにする。目の下のクマをごまかすために、薄くコンシーラーを塗る。誰かに「かわいいね」と言われるためのメイクではなく、「疲れてないね」と見えるためだけのメイク。
鏡の中の自分と目が合うと、妙な居心地の悪さを覚える。この顔を「おかあさん」と呼ぶ声と、「一社会人」として見る視線が、同じ一枚の皮膚の上に乗っている。
そのどちらにも、本気で応えられている自信は、あまりない。
――――
保育園のカバンに、おむつと着替えと、連絡帳を入れる。昨日も、ほとんど同じものを入れた。その前の日も。その前の前の日も。
玄関の鏡に、子どもと並んだ自分たちの姿が映る。小さなリュックを背負った子どもと、その手を握る大人。写真に撮れば、「平日朝のよくある光景」というラベルが貼られそうな構図だ。
「行こうか」
玄関のドアを開けると、冷たい空気が流れ込んでくる。子どもが「さむい」と言って、わたしの足にしがみつく。わたしは「だいじょうぶ、すぐあったかくなるよ」と言いながら、マフラーの位置を直してあげる。
ベビーカーを押して廊下を進む。マンションの天井の蛍光灯が、等間隔に白い光を落としている。誰かの部屋の前には、ごみ袋が一つ置かれている。誰の生活の一部なのか、立ち止まって考える余裕はない。
エレベーターを呼ぶボタンを押すと、小さな光が点く。その光は、誰が押しても同じ明るさだ。中に誰が乗っているか、ボタンは気にしない。
エレベーターの中で、子どもがわたしの足にまたしがみつく。鏡には、わたしたち二人の姿が映っている。わたしの肩と、子どもの後頭部。その背中に、自分の手をそっと置く。
物理的には、今日も誰かとずっとくっついている一日になることは、もう分かっている。
それでも、大人としてのわたしは、どこかでずっと一人きりで、判断をし続けないといけない。
――――
外に出ると、通りの向こうから車の音が絶え間なく流れてくる。
ベビーカーを押しながら、わたしはコンビニの看板のほうへと足を向ける。保育園の手前にある、その店。毎朝のように通っていると、ここが一日のスタート地点みたいな気がしてくる。
看板の白い光と、ガラス越しに漏れてくる蛍光灯の光が、朝の空の薄い色と混ざる。
自動ドアの前に立つと、センサーが反応してドアが開く。
「いらっしゃいませ」
中から、まだ少し眠そうな声が聞こえる。若い店員さん。名前は知らないけれど、何度も顔を見ている。きっとあの人も、この街のどこかに自分の部屋を持っていて、朝のアラームに起こされているのだろう。
その部屋を、わたしが想像することはない。向こうもきっと、わたしの部屋を想像しない。
コーヒーマシンの前に並ぶ。カップを取り出して、Lサイズを選ぶボタンを押す。機械がガーガーと音を立てて、コーヒーを落としていく。数字が小さくカウントダウンしていき、ゼロになったところで、音が止まる。
この機械は、わたしが何回ここでコーヒーを買ったか、全部覚えているのだろうか。それとも、一杯ごとの数字だけを、その都度どこかへ送って忘れてしまうのだろうか。
背後で、子どもがガムの棚に視線を送っている気配がする。
「これー」
小さな声がする。振り向くと、カラフルなパッケージを指さしている。まだうまく商品名は言えないけれど、「これがほしい」という意思だけは、十分伝わる。
「今日はこれにしようか」
わたしは一つだけ取って、買い物かごに入れる。自分の分のパンも一つ。ついでに、子ども用のジュースを一本。カゴの中身は、ほとんど全部、自分以外の誰かのためのものだ。
――――
レジの前に並ぶと、前にサラリーマン風の人が一人いて、その前にまた別の人がいる。
みんな、それぞれの一日のスタート地点で、同じようなものを買っている。コーヒー、パン、おにぎり。レジの音と、電子マネーの決済音が、一定のリズムで繰り返される。
順番が来て、カゴをカウンターに置く。
「おはようございます」
店員がそう言う。わたしも「おはようございます」と返す。子どもは、カウンターの端に手をかけて、背伸びをして中を覗き込む。店員の顔を見上げ、目が合う。
その一瞬だけ、空気が少しやわらかくなる。子どもは、何かを言っている。店員は、口元だけで笑う。
「○○ペイで」
わたしは機械にスマホをかざす。ピッという音がして、画面には「支払い完了」の文字。アプリの履歴には、また一つ、「コンビニ ○○円」という記録が増える。
レシートを受け取って、財布にしまう前に一瞬だけ目を通す。日付と時間と、商品名と、合計金額。レシートの紙が覚えているわたしたちの朝は、数字とカタカナだけだ。
「ありがとうございました」
店員の声に背中を押されるようにして、わたしは子どもと一緒に店を出る。自動ドアが閉まると、外の車の音がまた近くなる。
――――
保育園までの道を歩く。
さっき買ったコーヒーを片手に持ちながら、もう片方の手でベビーカーを押す。子どもは、コップに移したジュースを少しずつ飲んでいる。その横で、通勤の人たちが早足で歩いていく。イヤホンをしている人。電話をしている人。目の前の信号だけを見ている人。
わたしたちの歩幅と、彼らの歩幅は、あまり合わない。彼らの時間は、きっともう少し先で待っている何かに向かって流れていて、わたしの時間は、ベビーカーの車輪と、保育園の門と、連絡帳の空白に向かって流れている。
保育園の前に着くと、もう何人かの親子が門の前で別れを惜しんでいた。泣いている子。泣かない子。さっと手を振って行ってしまう親。何度見ても、胸の奥のどこかが少しきゅっとなる光景だ。
門をくぐって、玄関で靴を脱がせる。子ども用のロッカーに上着をしまう。教室の前でインターホンを押すと、中から先生が出てきて、「おはようございます」と笑顔を向けてくれる。
「おはようございます。今日ももよろしくお願いします」
何度も言っているはずの言葉なのに、毎回少しだけ声が上ずる。
子どもは、わたしの足にまたしがみつく。わたしは膝を折って目線を合わせる。
「じゃあ、おかあさんお仕事行ってくるね」
「やだー」
小さな手が、服をぎゅっとつかむ。その手を、そっとほどく。先生が、やさしい声で子どもの名前を呼ぶ。その名前が、教室の中に吸い込まれていく。
連絡帳を先生に渡す。「きのうは、よく食べて、よく寝ました」と書いたページ。今日の夕方には、その下に、先生の字で「きょうのようす」が書き足される。
保育園のシステムにも、きっと今、わたしたち親子がここを訪れた時間が打刻されている。登園時間のログ。誰がどのクラスに何時に来たかの一覧。
今日のわたしの「おかあさん」としての仕事は、ここでいったん区切りになる。そして、別の「わたし」としての時間が、これから始まる。
――――
保育園を出て、わたしは駅のほうへ歩き出す。
さっきまで隣を歩いていた小さな影がいないことに、身体のほうが先に違和感を覚える。片方の手が急に軽くなって、そこに何を持てばいいのか、一瞬分からなくなる。
片手にはまだコーヒーがある。さっきより温度が下がって、味も少し薄くなった気がする。子どもと一緒にいたときより、少しだけ自分のことを考えられる隙間ができる。それが、楽でもあり、怖くもある。
駅へ向かう人の流れに混ざる。スーツ姿の人たちの肩の高さの間に、自分の頭が埋もれる。わたしがこの流れにいなくても、誰も困らないだろう。それでも、ここにいなければ、さっき保育園に子どもを預けることもできなかった。
大人としてのわたしは、この流れの中の一人分の人数としてカウントされる。保育園の前では、「○○ちゃんのおかあさん」として数えられていた。同じ日付の中で、違う名前をいくつも持たないといけない。
電車に乗って、会社に行って、パソコンの前に座る。そこでは、また別の名前で呼ばれるだろう。苗字か、下の名前か、あるいはただの役職名か。
家に帰れば、また「おかあさん」に戻る。その間のわたしのことを、連絡帳と勤怠システムと、クレジットカードの利用履歴だけが、それぞれの角度から覚えている。
子どもと離れているあいだのわたしの気持ちを、正確に覚えていてくれるものは、たぶんどこにもない。
――――
夜、仕事を終えて保育園に迎えに行くと、連絡帳の「きょうのようす」の欄に、先生の字が並んでいる。
「ごはんをよく食べました」「お昼寝を一時間しました」「お友だちとブロックで遊びました」
事実だけが、丁寧な字で書き込まれている。その下に、「とてもいい笑顔でした」と一行だけ添えられていて、その部分だけを何度も読み返す。
その笑顔を、その時間のわたしは見ていない。仕事の画面を見ていた。電車の中で他人の背中を見ていた。会議の空気を読んでいた。
「きょうもげんきでした」の文字と、「とてもいい笑顔でした」の文字のあいだに、わたしの一日も挟まっているはずなのに、そのことはどこにも書かれていない。
連絡帳をカバンにしまいながら、わたしは子どもの手を握る。その手は、朝と同じように、わたしの指をぎゅっとつかむ。
家に帰る道、わたしの肩には、今日一日、大人として受け止めきれなかったいろんなことが乗っている。誰かに「大変だったね」と言ってもらえるほど特別な出来事は何もなかったのに、背中は妙に重い。
子どもは、その重さには気づかないまま、「きょうね〜」と保育園での出来事を、ところどころしか分からない言葉で話してくれる。わたしは「うん」「へえ」「そうなんだ」と相槌を打つ。そのあいだにも、スマホの中のアプリには、今日の歩数や消費カロリーや、時刻入りのメッセージの送受信履歴が淡々と積み重なっている。
わたしが大人として一日どう感じていたかは、そのどれにも書かれない。
――――
夜、子どもが寝静まったあと、洗濯物を干しながらふと考える。
今日一日、わたしは一度も「一人」になっていない。
朝からずっと、誰かの手を握っていて、誰かの名前を呼んでいて、誰かに「お願いします」と頭を下げていて、誰かに「すみません」とメールを送っていた。
そのどの場面でも、わたしは大人として、何かを決めて、何かを我慢していた。子どもがいるから、という理由と、子どもとは関係ない理由とが、ぐちゃぐちゃに混ざっている。
物理的には一人にならないように過ごしているのに、心のどこかでは、ずっと「この判断を一緒にしてくれる大人」がいないことを自覚しながら動いている。
洗濯機の終了音が鳴る。ピーピーという電子音が、今日の家事の終わりを告げる。
スマホの画面を開くと、家計アプリのトップに、「今月の支出」のグラフが表示されている。そこには、「保育料」「食費」「日用品」「交通費」といったカテゴリが、色付きのパイで示されている。
「孤独」という項目はどこにもない。
でも、わたしの一日のかなりの部分は、その無記名の部分に占められている気がする。
明日の朝も、アラームと、子どもの泣き声と、連絡帳と、コンビニと、保育園と、電車と、会社と、帰り道と、連絡帳。
そのどこにも、「きょう、あなたは大人として一人でがんばりましたね」と書かれる欄はない。
それでも、その全部をつなぎ合わせているのは、他の誰でもない、わたしだ。
ベランダに出ると、遠くを走る車の音が、波のように続いている。
窓の外に見える高層ビルの光と、この小さな部屋の中の電球の明かり。そのどちらも、毎日、誰かの「今日」を照らしては消えていく。
明日の連絡帳の「きょうのようす」の欄には、また違う事実が書かれるのだろう。その下に、「とてもいい笑顔でした」と書かれていたらいいな、と思う。
その笑顔を、何回一緒に見られるだろう。
わたしは洗濯物を干し終えて、部屋に戻る。
子どもの寝息と、遠くの車の音と、冷蔵庫のモーター音だけが、今日のこの部屋を覚えている。
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