誕生日

中村ハル

誕生日はめでたいものです

「何がめでたいものか。30過ぎて、嫁に行くあてもないのに」

 帰り際に、そういえば、と誕生日を祝ってくれた友の前で、母がそう言い捨てた。

 凍りつく友達の背を押して、私は笑顔で手を振る。

「あなたも、いい歳して独身なんでしょう」

 怯えたような眼差しを向けた友に、何も言うなと首を振ってみせる。

「行き遅れた独身女が二人、雁首揃えて、めでたいも何もあったもんじゃない」

「いつの時代の」

 ひいい、と友達がか細い声で笑いながら呟いたのを耳ざとく拾い上げ、母はちょっとお待ちなさい、と友の肩を掴もうとする。

「母さん、いいからほら、家に入って。大きな声出すと聞こえるよ」

「聞こえるから何だっていうのよ」

「だってこの間、裏の娘さんがまだお嫁にいっていないって笑ってたじゃん。あの子、私よりもずっと年下だよ」

 母の眉が吊り上がる。

「そうよ、私はそれを生き甲斐にしているのに、あんたがまだ嫁に行かずにいるから、他人様のことをどうこう言えないじゃない」

 どんな生き甲斐だ、やめてくれ、と思いつつも、母を宥めて、というよりも強引にその小柄な身体を家に押し込む。

 自分だって、結構な年になってから私を産んだくせに、とは言わないし言えないし。

「まったく、いつまで家にいる気なんだか」

「別に働いてるし、家にお金も入れてるんだからいいじゃない」

「そういう問題じゃないの。世間体、わかる? いい歳して嫁に行かないなんて、何か欠陥でもあるんじゃないかって噂されたらどうするの」

「それなら性格に難があります、って言っておけばいいじゃん」

 この親にしてこの子ありだし、とは口に出さずに秘めておく。近所だって納得するだろう。

「世が世なら、口減しに出されたって仕方ないのよ」

「それはお互い様でしょ。母さんだって、世が世なら姥捨山に捨てられてるかもしれないのに」

「あんた、親に向かってその口の利き方は何なのよ」

 くどくどと繰り出す母の戯言を聞き流して、私は部屋に引っ込む。母が後からついてきて、扉の向こうでまだ何か言っている。

「ああもう、うるさいな。それなら見合いでも何でも探してきたらいいじゃん。こっちは仕事で忙しくて、そんな暇ないんだってば」

 扉に背を向けてそう呟いた。その後も母は、しつこく何事かをぼやいていたが、やがてその声が遠のいていく。大方、近所の奥様に電話をかけて、どこそこの息子さんは相手が見つかったのかとか、誰それさんちの娘さんが戻ってきただとか、そんなことを知ってどうするんだという情報交換をして、楽しんでいるのだ。しょうもない。

 だから、夕飯の席で「入会したわよ」と母が魚を突きながら行ったときに、間のぬけた顔をしてしまった。

「プール?」

「違うわよ」

「スポーツジム」

「あんたのよ」

 お味噌汁を啜って、母はため息をついた。

「結婚相談所」

「どうして」

「言ったじゃないの、自分で」

 見合いでも何でも、と呟いたあれか。聞こえていたのか。私は魚の身を箸でほぐしながら落ち込む。口は災いの元とはよく言ったものだ。

「嫌だよ、面倒くさい。貴重な休みの日を、誰だか知らない人と会うのに使いたくない」

「じゃあどうするのよ。一生独身のつもりなの」

「結婚したって結局独り身じゃん」

 しまった、と思った。

 口に運びかけていた漬物を米の上に置いて、母が私をじっと見る。その目は無表情だ。

 ごめん、と呟くと、母はぱしり、と音を立てて箸を置き、席を立つ。

 食べかけのままの食卓を後に、エプロンを外し、上着をとる。

「ちょっと、買い物行ってくる」

 ばたりと音を立てて扉を閉めて、夜の中に出ていってしまった。

 ため息をついて温かな米を口に放り込み、咀嚼しながら仏壇を振り返る。扉がピッタリと閉ざされたままの黒塗りの仏壇は、当然ながら、シンとしていた。


 母の残した茶碗の米をおにぎりにして、小さな皿に移し替えたおかずの隣に並べてラップをかけ、食器や鍋を洗う。母は「独り身」という言葉に、過剰なまでに反応する。自分は他人のことをどうこういう割に、自分が言われるのは嫌なのだ。嫌だから、他人に言うのかもしれない。いつものことではあるが、やりにくい。

 ただ、しばらく放っておけば、機嫌を直して帰ってくるのだから、気にすることはない。自分にそう言い聞かせて、風呂を沸かして湯に浸る。清潔な石鹸の匂いが、全てを洗い流してくれる。昼間の埃、他人の呼気、食事でついた油や食べかす、そんなもの全て。別に潔癖症のつもりはないが、生きているだけで、身体が汚れる気がする。それなのに、他人と暮らすなんて。ぶくぶくと鼻まで湯に沈む。透明な湯が身体を清めていく。

 目を瞑って髪を洗っているときに、玄関の扉が開く音がした。ぎい、と廊下の板を踏む音が聞こえる。私がどこにいるのかを探るように、鉢合わせしないように、母はいつもそうっと帰ってくる。気まずいのだろう。

 なるべくゆっくりと時間をかけて身体を洗い、髪を乾かし、台所に向かう。

 母はこちらに背を向けて、のんびりとおにぎりを食べている。

「お茶飲む?」と振り向かないまま、ことさら何でもないような声で私に問う。

「うん、ありがとう」

 私もそう応える。何もなかったかのように。

 テーブルの上には、エコバッグが置いてある。母が私と揉めたときのルーティンだ。この後、母はエコバッグを持ってそっと仏壇に向かい、一人で静かにその扉を開くのだ。

「お茶、あとで取りに来るね。ゆっくり食べてていいよ」

 気まずかろうと気を使い、私は部屋に戻る。乾き切る前に、化粧水を塗らねばならない。丁寧に、ゆっくりと。母が仏壇をそっと閉じて、また食卓に戻るまで。

 自室に向かう背中に、母が鼻歌を口ずさむのが聞こえた。随分と機嫌が直ったらしい。


「結婚相談所か、面倒くさいなあ」

 何が楽しくて、見知らぬ相手とお茶などせねばならぬのか。会ったばかりの他人と、何を話せというのか。そういうものだと母は笑うかもしれない。父と母との出会いがそうだったから。

 だからといって、気が進まない。父と母のようになってしまうこともあるだろう。結婚したからといって、一生一緒にいられるわけではないのだ。たとえ長く連れ添ったとして、いずれどちらかが先に逝ってしまうものだろう。それなら、初めからひとりだったとして、何が違うというのか。子供の有無だという人もいるが、全ての夫婦に子がいるわけでもないし、子がいるからとて、一生一緒にいられるわけでは、やはり、ないのだ。

 それならば、行き遅れて家にいる私は親孝行の部類に入るのでは。

 長く親元にいてあげることは孝行ではないのか。ましてや、母のような人と一緒に。

「やめよ」

 考えるだけ、馬鹿みたいだし、何を言っても言い訳にしか聞こえない。

 誰がどうとか、世間がどうとか、そんなことはどうだっていいのだ。私は私の生きたいように生きる。母もそれは同じだろう。

 時計を見る。

 耳を澄ます。

 もう母は、仏壇を閉めた頃だろう。

 立ち上がり、台所に向かう。仲直りをした方がいい。

「喉乾いたなあ」

 わざとらしく声を出して、台所に入る。

 母が慌てたように振り向いた。

 仏壇の扉はまだ開いている。

 母の膝の横には広げられたエコバックがある。中には汚れたビニール袋が入っている。

「父さん、連れてきたの?」

 広げられた仏壇に目を向ける。

 仏壇の中に積み上がっているのは、どれも父だ。

 母が、私と諍いをするたびに捕まえてくる父たち。

「うん」

 母が照れたように笑う。

「今日のお父さんは素敵でしょう。綺麗な爪をしているのよ」

「そっかあ」

「初めて会った時の笑顔が素敵でね」

「うんうん」

 嬉しそうにジップロックに入れた指を見せてくれる。

「あんたも早く、相手を見つけなさいよ。結婚相談所から連絡あったら、ちゃんとお返事するのよ」

「そうだねえ」

「さ、父さんに挨拶しちゃいなさい。それから、ケーキ買ってきたからお祝いしよう。誕生日でしょ、あんたの」

 ちらりとエコバックを見る。そこに一緒に入っていたのか、とは口に出さない。

 母の隣に座り、仏壇を眺める。

 何枚にも重ねて貼られたどれも違う顔の写真で分厚く膨れ上がった遺影に手を合わせる。

 本当の父さんの顔を、私は知らない。

 母は、ジップロックに入った父のかけらを仏壇に入れる。カサカサに乾いたたくさんの父のかけらの上に、まだ新しい父が乗る。

 父のかけらを全て集めて、母はいつか、新しく父を産むつもりらしい。

 その時は、盛大に、お祝いをしてあげようと思う。

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