第76話

📘 第76章:日常の温度



(世界は何も変わらなかった。

だからこそ、私たちは「今日」を食べる。)



🔷 【2062年・関心なき世界】


渋谷のスクランブル交差点。

巨大ビジョンには、緊急ニュース速報が流れていた。


『RE:CODE計画、事実上の凍結』

『与党幹事長・榊原廉也、収賄容疑で逮捕』

『結城維人氏、死去。平均寿命への影響は……』


社会の根幹を揺るがす大ニュースだ。

だが、行き交う人々は、スマホの画面に目を落としたまま、誰も足を止めようとはしない。


「えー、榊原って誰だっけ? おじいちゃんじゃん」

「それより見てよこの動画、ウケる」

「今日のランチどこにする?」


巨悪が倒れても、空が割れるわけでも、天使が舞い降りるわけでもない。

ただ、昨日と同じ「今日」が続くだけ。


その圧倒的な「無関心」という平和が、そこにはあった。



🔷 【心のバリア】


雑踏の中を、三人の男女が歩いていた。

甲斐(かい)、佳乃(よしの)、そしてミカゲ(ハヤト)。


彼らは、命がけでこのニュースの裏側にある真実を暴いた当事者たちだ。


「……誰も、気にしてないわね。」


佳乃が、乾いた笑いを浮かべて呟く。


「あれだけ苦労して、セキュリティ突破して、世界を変えたつもりだったけど……現実はこんなものか。」


ハヤトもまた、無表情で通り過ぎる人々を見つめていた。


(結局、人は見たいものしか見ない。真実なんて、重たくて邪魔なだけなのかもしれない。)


世界への失望。

戦った意義への疑問。

それらが澱(おり)のように胸に溜まっていく。


彼らは知らず知らずのうちに、心に何重もの「バリア」を張り始めていた。

期待しなければ、傷つかない。

世界なんてこんなものだと諦めて、「今日生きていること」だけで満足しよう。


そうやって感情を殺しかけた時――。



🔷 【未来への種蒔き】


「あーーー! 腹減った!!」


突然、甲斐がバカでかい声を上げて、二人の背中をバンと叩いた。


「な、なによ急に!?」


「辛気臭い顔してんじゃねーよ。世界が変わらなくても、俺たちの腹は減るんだよ。」


甲斐はニカっと笑い、唐突に言った。


「おい、佳乃。お前もうハヤトと結婚しちまえよ。」


「はあ!? ///」

「なっ……!? ///」


佳乃とハヤトが同時に素っ頓狂な声を上げる。

二人の顔が、一瞬にして真っ赤に染まる。


「い、いきなり何を……!」


「だってよぉ、お前らどっちも天才だろ? その二人の子供なんて、絶対面白ぇじゃんか。」


甲斐は、夜空を指差すように大袈裟に手を広げた。


「スーパーハッカーと情報分析官のハイブリッドだぞ? どんな天才が生まれるか、俺は見たくてたまらねーんだよ。それが今の俺の『未来への希望』だ。」



🔷 【牛丼の味】


「……あんたねぇ。」


佳乃は呆れたように息を吐いたが、その表情からは先ほどまでの「諦め」の影が消えていた。

ハヤトも、まんざらでもなさそうに口元を緩め、佳乃を横目でチラリと見ている。


「……甲斐さんの提案も、論理的には悪くない。」


「ちょ、ハヤトまで!」


甲斐のデリカシーのない提案が、彼らの心のバリアを粉々に砕いてしまったのだ。

世界を憂うよりも、誰かと生きる未来を想像する方が、ずっと温かい。


「へいへい、惚気(のろけ)は食ってからにしろ。行くぞ!」


甲斐が指差したのは、路地裏にある古びた『牛丼屋』だった。


「……フレンチじゃないの?」


「バカ言え。こういう時は、ガツガツかっこむのが一番うめぇんだよ。」



三人は、暖簾(のれん)をくぐる。


「いらっしゃいませー!」


店内に満ちる、出汁と醤油の匂い。湯気。

カウンターに並んで座り、並盛りの牛丼を注文する。


「……いただきます。」


熱々の牛丼を一口頬張る。

甘辛いタレの味が、疲れた体に染み渡る。


世界は相変わらず無関心で、理不尽かもしれない。

けれど、隣に仲間がいて、温かいご飯が食べられる。

それだけで、生きていく理由は十分だった。


2062年の春。

英雄たちは、戦いの後に牛丼を食べた。

それは、どんな勝利の美酒よりも確かな、「日常」という名の幸せの味がした。



🔚 第76章・完

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