第62話

📘 第62章:聖者の落日



(人は死して星になるという。

だが、作られた星の光は、誰を照らすのだろうか。)



🔷 【2056年・夢の少女】


季節は、色のない冬だった。


あの日から数年、黒峰新太の体調は、まるでロウソクの火が小さくなるように、徐々に、しかし確実に衰えていった。


原因は、脳の深層に施された強力な記憶封印(ロック)による負荷。

脳が「本来の記憶」と「作られた人格」の矛盾に耐えきれず、静かに崩壊を始めていたのだ。だが、その事実は公表されていない。


病室の窓の外には、彼を心配して集まった市民たちが手向けた花が溢れている。



「……沙耶。」


ベッドに横たわる新太の声は、枯れ木のように細い。

しかし、その瞳だけは少年のように澄んでいた。


「また、あの子の夢を見たよ。」


新太は、夢見心地に語る。

ここ数ヶ月、彼は毎晩のように同じ少女の夢を見ていた。

太陽のように明るく、どこか懐かしい笑顔の少女。

彼女はいつも遠くで笑っていて、新太に手を振っている。


「きっと、予知夢だ。……お腹の子は、女の子だよ。あの夢の子みたいに、元気で、可愛い女の子が生まれてくる。」


新太は、沙耶の膨らんだお腹に、骨と皮ばかりになった手を添えた。

その手からは、かつて多くの人を傷つけた暴力の記憶も、多くの人を救った善行の記憶も、全てが抜け落ちていくようだった。



🔷 【最後の優しい嘘】


「……そうね。きっと、そうね。」


沙耶は、新太の手の上から自分の手を重ね、震える声で答えた。


彼女は知っていた。

医師から告げられた性別は、「男の子」だ。


しかし、沙耶はそれを言えなかった。

夢の中の少女を愛おしそうに語る新太の笑顔を、壊すことなどできなかった。


(ごめんね、新太。……その夢の子は、きっと……)



沙耶は本能的に感じていた。

新太が見ているのは未来の子供ではない。


彼がかつて愛し、そして忘れてしまった過去の娘――月陽(真羽)の残像なのだと。

皮肉にも、命が消えかける今になって、魂だけが失われた絆を求めているのだ。


「楽しみだなあ……。名前は、何がいいかな……。」


新太の意識が、ゆっくりと混濁していく。


「……会いたかったな……。」


それが、最期の言葉だった。


モニターの電子音が、一本の線を描く。


誰からも愛され、誰よりも優しかった「黒峰新太」という虚構の聖人は、真実の娘に気づくことも、生まれてくる息子を抱くこともなく、静かにこの世を去った。


同時に、彼の中に眠っていた「山下泰輔」と「不破翔真」という罪人もまた、誰にも裁かれることなく永遠の闇へと消えた。



🔷 【英雄の葬送】


新太の死は、国葬級の扱いとして大々的に報じられた。

RE:CODE本部前の広場には、何万人もの市民が参列し、涙を流した。


演壇に立ったのは、黒いスーツに身を包んだ結城維人(ゆうき いひと)だった。


彼は沈痛な面持ちでマイクを握り、そして世界に向けて爆弾を投下した。


『――我々が愛した黒峰新太氏は、かつて凶悪な犯罪者でした。』


どよめきが広場を包む。

しかし、結城は言葉を続けた。


『ですが、見てください。彼の晩年を。彼の行いを。

過去に過ちを犯した人間でも、記憶を正しく修正(コード)すれば、これほどまでに清らかで、社会に貢献できる聖人になれるのです。』


スクリーンには、生前の新太の笑顔と、彼に救われた人々の感謝のメッセージが次々と映し出される。


『罪を憎んで、人を憎まず。……記憶を変えることは、魂の救済なのです。』


当初の困惑は、次第に感嘆と称賛へと変わっていった。


「そうだ……新太さんは素晴らしかった。」

「記憶を変えれば、やり直せるんだ。」

「犯罪者も、あんな風になれるなら……。」


結城の巧みな演説により、新太の死は「RE:CODE計画の成功」を証明するこれ以上ないプロモーションとなった。



🔷 【時代の変革】


モニター越しにその光景を見ていたNOISEの面々は、言葉を失っていた。


「……やられた。」


透也が、ギリリと歯を噛み締める。

新太の死すら利用し、結城は「記憶改変」を「善行」へと昇華させたのだ。


これまで忌避されていたRE:CODE技術は、この日を境に「更生の光」「新しい医療」として、肯定的に受け入れられ始めていた。


「パパ……?」


12歳になった真羽が、不安そうに紋之丞を見上げる。

紋之丞は何も言えず、ただ真羽の肩を抱き寄せた。


世間は、真羽の実の父(翔真)の死を悼んでいるのではない。

「成功した実験体」の死を称えているのだ。


その歪んだ熱狂は、静かに、しかし確実に世界を侵食し始めていた。



🔚 第62章・完

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