第54話

📘 第54章:空白の意図


(洗脳よりも残酷なのは、

「ありのままの絶望」を見せつけることだ。)



🔷【疑念と安堵】


翌朝。Café 琥珀には、久しぶりに穏やかな朝の光が差し込んでいた。


灯は、まだぎこちない手つきながらも、紋之丞を手伝ってモーニングの準備をしている。


月陽はカウンターの端で、灯が焼いたトーストを嬉しそうに頬張っていた。


その光景を、透也は少し離れたソファからじっと見つめていた。

手には冷めたコーヒー。だが、口をつける気配はない。


(……本当に、何もしなかったのか?)

透也の脳裏に、冷たい疑念がよぎる。


RE:CODEの技術力があれば、人間の記憶や人格を書き換えることなど造作もない。

灯をわざと泳がせ、スパイとして「洗脳」した状態で送り返した可能性はないのか?

あるいは、特定のキーワードで発動する「時限爆弾」のような暗示をかけられているのでは?

疑えばキリがない。

だが、リーダーとして、その可能性を排除するわけにはいかない。


「……透也さん?」

視線に気づいたのか、灯がこちらを向き、不思議そうに首を傾げた。


その瞳は澄んでいて、昨夜、涙ながらに「泥だらけの真実を選ぶ」と語った強さがそのまま宿っている。


(……いや、違うな。)


透也はふっと肩の力を抜いた。

もし人格が書き換えられていれば、あんな風に「痛み」を伴う告白はできない。

作り物の人格には、あのような生々しい葛藤は宿らないのだ。それは「新太」を見ればわかる。

灯は、灯のままだ。

透也の中にあった氷のような警戒心が溶け、安堵のため息となって漏れた。


🔷【緊急作戦会議】


「さて……飯も食ったし、始めるとするか。」

「CLOSE」の札が掛かった店内で、NOISEのメンバー――透也、真田、佳乃、甲斐、そして灯が集まった。

(月陽は紋之丞が「買い出し」と称して連れ出している。)


議題は一つ。

「なぜ、結城維人は灯の記憶を消さなかったのか」。


「身体検査の結果、発信機(トラッカー)やナノマシンの類は検出されなかった。」

白衣を着た甲斐が、タブレットを操作しながら報告する。


「脳波も正常。薬物による催眠暗示の痕跡もない。……今のところ、彼女は『シロ』だ。」


「それが逆に気味悪いのよ。」

佳乃が爪を噛みながらモニターを睨む。


「あいつらがミスをするはずがない。灯ちゃんを半年も手元に置いておいて、記憶もいじらず、最後はあんなザル警備で逃がした……。まるで『連れて帰れ』と言わんばかりじゃない。」


「ええ……私も、そう思います。」

灯が膝の上で拳を握りしめる。


彼女自身、それが不思議でならなかった。


「結城という男は、私に興味がないようでした。……

一度だけ、彼が私の病室に来たことがあります。」


🔷【悪意ある放置】


全員の視線が灯に集まる。


「彼は言いました。『君は、良いサンプルだ』と。」


「サンプル?」


「はい。『記憶を消された男(新太)が、どれほど幸せか。それを客観的に観察し、絶望する人間が必要だ』……と。」

その言葉に、室内が凍りついた。


透也は舌打ちをし、強く拳を握りしめた。

「……なるほどな。そういうことか。」


真田が低い声で唸る。

「つまり……灯ちゃんを洗脳しなかったのは、慈悲じゃねえ。『罰』だ。」


記憶を消してしまえば、灯は新太のことを忘れて幸せになれるかもしれない。


だが、結城はそれを許さなかった。

**「変わり果てた新太を見せつけ、無力感を植え付ける」**ために、あえて記憶を残したのだ。


「それに……」

透也が重い口を開いた。


「俺たちへのメッセージでもある。『見ろ、これが完成された世界だ。お前たちが抵抗しようと、誰も救われないし、誰も望んでいない』……そんな傲慢な自信の表れだ。」


自分たちの活動など、結城にとっては「誤差」ですらない。

放っておいても、世界は勝手にRE:CODEを受け入れる。

灯を無傷で返したのは、「勝負はもうついている」という勝利宣言に他ならなかった。


🔷【宣戦布告】


「……ナメられたもんね。」

佳乃が乾いた笑いを漏らす。


「完全に『蚊帳の外』扱いってわけか。ムカつく男。」


「だが、それが奴の隙になる。」

透也が顔を上げた。


その目には、結城の思惑通りに絶望する色など微塵もない。

むしろ、明確な敵意という「炎」が宿っていた。


「奴は、人の『感情』を計算に入れていない。記憶さえ消せば、痛みさえ消せば、人間は管理できると思っている。」

透也は灯を見た。


彼女は結城の意図通りに絶望などしていない。むしろ、その残酷さを知って、戦う覚悟を決めて戻ってきた。


「灯。お前が持ち帰ったのは『絶望』じゃない。奴らの『油断』だ。」


「……はい!」

灯が力強く頷く。


「奴らが俺たちを『ノイズ(雑音)』だと侮っている間に、その耳元で最大音量のアラームを鳴らしてやる。」


透也の言葉に、メンバー全員がニヤリと笑った。

結城維人の完璧な計算式。

そこに生じた「傲慢」という名の空白こそが、NOISEにとっての最大の勝機となることを、天才科学者はまだ知らない。


🔚 第54章・完

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