第41話

📘 第41章:狭間の意志


(この手は、もう汚れている。

だからせめて、お前だけは――真っ白な世界へ。)



🔷【改訂者専用区域・ECHO観測室 - 深夜】

警報が鳴り続ける。


天井の赤色灯が、一定間隔で薄暗い室内を照らすたび、甲斐の表情が強張っていく。


壁際にはECHO抑制剤の投与装置。


その前で、翔真――いや、“黒峰新太”が、甲斐の手首を掴んでいた。


「……邪魔すんなよ。」


声は低く、しかし確かな怒気を含んでいた。

甲斐は言葉を飲み込んだまま、ゆっくりと呼吸を整える。

「新太……いや、翔真。落ち着け。」


「……“落ち着け”? 誰に言ってんだよ。」


翔真はゆっくり手を離すが、その目は獣のように研ぎ澄まされていた。


「“新太”なんて……最初からいねぇんだよ。お前らが作った幻だ。」



🔷【甲斐の葛藤】


「違う。」


甲斐は首を横に振る。

その顔には、かつての医師としての責任と、消せぬ罪の意識が交錯していた。


「確かに……お前から“翔真”を奪ったのは、俺たちかもしれない。でもな、俺は……“新太”として生きるお前を見ていた。」


「“優しい父親”として……月陽ちゃんに手をあげず、笑いかけていたお前を、ずっと見てた。」


翔真の表情が、一瞬だけ揺らぐ。



🔷【時間制限の迫り来る中で】


壁面モニターに表示される警告。

【自動隔離システム起動まで 残り 4分12秒】

甲斐は息を呑み、時計に視線を落とす。


「時間がない……お前をここから出さなきゃ、次は“完全隔離”だ。」


「……結城の思い通りにさせていいのか!?」


翔真は鼻で笑う。


「“思い通り”……?」

「違ぇよ。これは、俺が選んだんだ。」



🔷【回想の断片 – 光生の死】


――光生の顔。

――泣き叫ぶ真羽。

――血に濡れた手。

翔真は目を伏せる。


「……なあ、甲斐さん。」

「俺が……“父親”としてまともだったのは、本当に俺か?」

「それとも、あのシステムで書き換えられた記憶の“産物”か?」


甲斐は答えられなかった。



🔷【甲斐の本音】


「……それでもいい。」


震える声で、甲斐は言った。


「例え“偽物”でも……誰かを守れるなら、それでいいだろう。」

「“新太”として、あの子の手を引けるなら……それが、命を繋ぐってことじゃないのか!?」


翔真は黙って甲斐を見つめた。

灰色の瞳の奥に、かすかに揺れる何かがあった。

その瞬間――

【残り 3分01秒】

警告が再度点滅した。



🔷【別離の選択】


翔真は掴んでいた甲斐の手首を、乱暴に振り払った。


「……行け。」


短く、吐き捨てるような声。

「月陽は……お前らが連れて行った。……それでいい。」


甲斐はよろめきながら叫ぶ。

「何言ってる……! お前も来い! 娘と一緒に暮らすんだろ!?」


「だからだよ。」

翔真が顔を上げる。

その瞳は、怒りでも狂気でもなく、深く乾いた絶望に沈んでいた。


「今の俺が行けば……あいつをまた、怖がらせる。」

「俺は……翔真(バケモノ)だ。……もう、優しいパパ(新太)には戻れねぇ。」



🔷【タイムリミット – 決別】


【自動隔離システム起動まで 残り 1分50秒】

廊下の向こうから、無機質な機械音と、複数の足音が近づいてくる。

警備ドローンと鎮圧部隊だ。


「甲斐!!」

インカムから透也の叫び声が響く。

『限界だ! 月陽は確保した! ルートが閉じるぞ! 戻れ!!』

甲斐は唇を噛み切り、血の味を呑み込んだ。

(連れて行くのは……月陽ちゃんだけか……!)


「翔真……頼む……!」

手を伸ばそうとした瞬間。

翔真が背を向け、低い声で言った。


「……甲斐。」

「……あいつに……月陽に……あんな絵、描かせんじゃねぇぞ。」

それは、医師への命令ではなく、父親としての最期の頼みだった。



🔷【灯の選択】


その時、甲斐の横を白い影が駆け抜けた。


「新太さん!!」

白石灯だった。

彼女は撤退ルートへ向かわず、逆走してきていた。


「灯……!? お前、月陽ちゃんは!?」


「真田さんが連れて行きました! ……でも!」

灯は立ち止まらず、翔真の背中に駆け寄った。

震える手で、翔真の血に濡れた袖を掴む。


「来ちゃだめだ!!」

翔真が振り返り、怒号を飛ばす。


しかし、灯は離さなかった。

「……離しません。」

「私は……ここの看護師です。患者さんを……一人にはしません。」

その瞳には、狂気にも似た覚悟が宿っていた。



🔷【扉の向こう】


【残り 30秒 - 全区画閉鎖】

轟音と共に、重厚な防火壁が降下を始める。


「甲斐さん! 月陽ちゃんをお願いします!!」

灯の悲鳴のような叫び。


甲斐は拳を握り締め、天井を仰いだ。

(……くそっ……!!)

「……死ぬなよ!! 絶対に……死なせるなよ!!」

甲斐は踵を返し、閉まりゆく扉の隙間へと滑り込んだ。



🔷【閉ざされた世界】


ドォン……。

重い地響きと共に、NOISEとRE:CODEを隔てる壁が完全に閉ざされた。

残されたのは、赤い回転灯が回る廊下。

警備ドローンの銃口。


そして、立ち尽くす翔真と、その袖を握りしめる灯。


翔真は力なく笑い、崩れ落ちるように膝をついた。

「……馬鹿な女だ……。」


「……ええ。知ってます。」

灯は膝をつき、傷ついた彼の背中に手を添えた。

その掌から伝わる熱だけが、ここにある唯一の真実だった。



🔷【敗北と希望の夜明け】


同時刻。NOISE撤退車両。

後部座席で、小さな毛布の塊が震えていた。

月陽だ。真田がその隣で、泥と煤にまみれた顔で月陽の背中をさすっていた。

「……パパ……ママ……」

うわ言のように繰り返す少女。


甲斐は車両に飛び乗り、荒い息をつきながらその光景を見た。

(……一人は救った。)

(でも……二人を置いてきた。)

窓の外、東の空が白み始めていた。

それはNOISEにとって、月陽という希望を守り抜く、新しい戦いの始まりだった。



(夜が明ける。

けれど、その光はあまりにも冷たく、残酷だった。)


🔚 第41章・完

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