第2話

📘 第2章:欠けた感情の設計図



🔷 2年前:RE:CODE研究所 第3階層・記録処理室


無機質な白い光の下。

最新鋭の脳波解析装置と情動パターンモニターが、幼い少女の神経地図を投影していた。


「……4歳ですよ。たった4歳の子どもに、ここまで精度の高い記録改訂が成功するなんて。正直、震えました。」


助手の橘は、ホログラムを見つめながら興奮をあらわにした。

そこに映るのは、改訂直後の月陽(つきひ)のデータ。どれも理論上の“正常値”を示している。


「家族構成の理解、対人反応、言語処理……どれも理想的。主任、あなたの理論があってこその成果です。」


隣でデータを眺めていたのは、RE:CODE研究所 主任研究官――

結城 維人(ゆうき いひと)。


「……逸脱がないからこそ、不完全だ。」


低く静かな声が、橘の胸元を打つ。


「不完全……?」


「完璧な反応は、“深度”が浅いということだ。成長に伴って崩壊する可能性がある。」


「……つまり、幼児は、記憶の定着が不安定だから?」


「脳が未発達な分、神経回路はこれから再構築される。

改訂した記憶の“上に”、再び過去の記憶が芽吹く可能性がある。」


橘は息を呑んだ。


結城の瞳はホログラムを貫き、その奥を見つめていた。



🔷 現在:RE:CODE研究所 モニタリング室


2050年春。


結城は、2年前の月陽のデータと並べて表示された最新モニタリングデータを無言で見つめていた。


脳波パターン、情動反応、ホルモン分泌――

どれも異常値はない。

だが、ある“微かなズレ”が連続して記録されていた。


助手の橘が沈黙を破る。


「……灯(ともり)さんが言っていたこと、当たっているのかもしれませんね。」


結城は答えなかった。


灯は、月陽の情緒的変化に早くから気づき、

「感情は遺伝子に由来する可能性がある」と指摘していた。


結城はそれを一蹴していた。

だが今、モニターに映る月陽の“目”が、彼の論理をわずかに揺らしていた。


消したはずの記憶は、感情という“残響”として、再び現れる。


それは、制度を崩す“ノイズ”であり、

人間を人間たらしめる、“真実”でもあった。



🔷 回想:少年・結城維人


――猫が死んだ、と聞いたのは、小学四年の春だった。


同級生の広田が泣いていた。

飼っていた猫、ココアが車に轢かれて死んだという。


周囲の子どもたちは「かわいそう」「天国に行ったんだよ」と口々に言っていた。

だが、結城だけは、その輪の外にいた。


(なぜ泣く? 死は不可逆的な自然現象。感情をぶつける意味がわからない。)


そのとき彼は、自覚してしまった。

自分には、“人と同じ反応”が欠けているということに。



🔷 感情の排除と、再設計の夢


祖父の死も、母の入院も、友人の涙も――

彼の中に「痛み」は生まれなかった。


代わりに芽生えたのは、論理と疑問。


感情とは、記憶の副産物に過ぎない。

行動の予測や判断を乱す、“ノイズ”である。


彼はそれを排除し、人の“構造”を再定義する手段として、記憶改訂の研究にのめり込んでいった。



🔷 国家との接触と、制度の起源


16歳で大学に飛び級入学。

神経科学と記憶工学を専攻し、18歳で発表した論文が、倫理と学会を大きく揺るがせた。


「人格とは、記憶の総和である。

よって、記憶を改訂すれば、人は別人になり得る。」


その“危険な理論”に目をつけたのは、科学界ではなかった。


当時の国家は、深刻な課題を抱えていた。

• 急激な人口減少による社会インフラの崩壊

• 犯罪者の長期収監による労働力の浪費

• 再犯率の高さと、刑務所運営コストの肥大化


「罪を犯した人間を、記憶を書き換えて再教育すれば、

刑務所に入れるよりも早く、社会に“再利用”できるのではないか?」


こうして、国家直轄の記憶改訂研究機関――

RE:CODE研究所が極秘に設立され、

主任研究官として任命されたのが、結城維人だった。



🔚 第2章・完

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