ECHO-記憶の残響-

@GODS04

第1話

📘 第1章:残響(ざんきょう)



🔷 目覚め


天井は真っ白だった。

薬品と消毒液の混じった匂いが鼻を刺す。

視界の端で揺れる点滴のチューブ――


どこだ、ここは。

いや、それ以前に……俺は、誰だ?


胸の奥に、なにか重いものが沈んでいる。

言葉でも、名前でもない、“感情”に近い何か。

得体の知れない“何か”が、確かにそこに残っていた。


「……目覚められたのですね」


低く落ち着いた声がした。


ベッドの横には、一人の女性が立っていた。

ストレートにまとめられた黒髪と、真っ白な制服。

看護師だろうか。整った顔立ちに似合わず、その瞳は妙に深く、こちらの奥を覗くような光を宿していた。


「あなたは――黒峰 新太(くろみね あらた)さん。記憶を失っていますが……ご家族が、ずっとあなたを待っていました」


彼女は穏やかにそう言った。だが、どこか、表情の裏を隠しているようにも見えた。



🔷 家族の再会


病室のドアが開いた。

勢いよく、小さな女の子が飛び込んでくる。


「パパっ! ほんとに目が覚めたんだねっ!」


彼女は6歳くらいだろうか。

笑顔で頬を紅潮させ、まっすぐに新太の胸に飛びついてきた。


「私はね、パパの言うこと、なんでも聞くね!」


その目に揺るぎはなかった。

まるで、本当に“父親”であることを疑っていない。

新太の胸の奥に、かすかなざわめきが生まれる。


――この子は、本当に俺の娘なのか?


だが、不思議と拒絶する気持ちはなかった。

温もりが、心に静かに染みこんでいく。


「……月陽(つきひ)。あなたの娘さんです」


さきほどの看護師が告げる。

月陽――月のように澄んだ瞳。どこか、見覚えのある感情が胸を打った。



🔷 “妻”の登場


「失礼します」


次に入ってきたのは、穏やかな雰囲気の女性。

茶色がかったセミロングの髪、薄く笑みをたたえた柔らかな表情。

目元にわずかな疲れをにじませながらも、どこか優しさをまとっていた。


「……あなたの奥様、沙耶(さや)さんです」


新太はゆっくり彼女を見つめる。

“妻”だという沙耶は、ごく自然にベッドのそばに座り、新太の手をそっと握った。


――違和感は、ない。

けれど、何かが決定的に欠けている気がした。


彼女の手の温もりも、瞳の奥の優しさも嘘ではない。

だが、そこに“自分の記憶”が寄り添っていない。まるで、他人のアルバムを眺めているような感覚。


それでも、彼女は微笑んで言った。


「……あなたに、もう一度会えて本当に良かった」



🔷 絵の中の記憶


その夜。

新太のベッドのそばに、1枚の絵が置かれていた。

月陽が描いた“家族”の絵。


そこには、新太、月陽、そして――長い髪の女性が描かれていた。


「この人? 夢で見たの。ママじゃないけど、たぶん……ママだった人」


月陽が無邪気に言ったとき、沙耶の表情が一瞬だけ強張った。

手元を見つめ、何かを確認するように目を伏せる。


後ろに控えていた看護師――白石 灯(しらいし ともり)もまた、無言のまま微笑を保ちつつ、その言葉に確かに反応していた。


月陽の“夢”が、どこまで過去の真実に触れているのか。

今はまだ誰にも分からない。けれど、記憶ではなく、感情だけが知っていることがある――



🔷 灯の独白


――人は、記憶を失っても、

感情の奥に“残響(エコー)”のようなものを残している。


名前も過去も消え去っても、

愛した誰かのぬくもりだけは、決して消しきれない。


その残響が、新太の中で、ゆっくりと目覚めようとしていた。

そしてそれは、娘・月陽の中にも――確かに生きていた。



🔚 第1章・完

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る